村上春樹の「騎士団長殺し」

  • 2019.07.16 Tuesday
  • 22:00

 

 

今 調べてみると 私は2017年に この小説のことを 書いていました。

 

 

〇 村上春樹『騎士団長殺し』は 安倍晋三らの歴史修正主義と対決する小説だった!

http://mazeranmisogi.jugem.jp/?eid=1423

 

 

 

そのことは 勿論覚えていましたが

村上春樹氏の小説には マイナーなコメントも多かったし 私も ある時点で 小説離れをしたので 読んだことはなかった。

 

 

 

つい最近 近くの図書館で 久しぶりに 小説を手にとった。

 

村上春樹の短編。

 

そして これが なんだか 本好きだった かつての私を思い出すような 「本の魔力」を思い出しました。

 

音楽 映画 など 様々な氏の文化がちりばめられており 読んでいて心地よい。

 

 

 

村上春樹は ロシアで とても人気がありますね。

 

ドストエフスキー トルストイなど とことん 胡麻化しのない魂を 深く 深く 追求するような 常人ではなしえないようなロシアの文化と 村上春樹の対比。

 

 

たしかに 村上文学は 言われているように 軽い男女の 性的な交わりなど 当たり前に 入り込んでいる。

 

でも もちろん それだけではない。

 

 

理屈抜きに 続きを読みたくなる。

 

 

そして 次に 「スプートニクの恋人」をいうタイトル。 迷わず 読みました。

 

このタイトルの 意味は 心に 残り続けます。 ロシア人の恋人という意味では 全くなかったのでした。

 

 

そして 「騎士団長殺し」は 重いだろうと まだ読むつもりはなかったけれど、他の本が 先に借りられていて、それで 読んでみることに なりました。

 

 

上 下 の 下しかなく それを 読んでいますが

 

 

「きた きた これだな」・・・

 

 

そう 主人公の友達の 祖父 その息子 ・・・

 

芸大のピアノの学生が 中国の戦線に駆り出された。

 

上から 捕虜の首を切れと 命じられる。

 

その命令は 天皇の命令だ。 拒むことはできない。

 

 

捕虜の苦しみと うまく殺せないための 血の 地獄。

 

それは 地獄。

 

 

首を切れという命令は 1度では すまなかった。

 

 

ピアニストは 吐いた。 そして 笑われた。 そして 結局 自殺をすることで 自分の意思を 示したのだ。

 

彼は 弱くなかった、強かった。

 

 

捕虜の死体は 揚子江に投げ入れられ 川の生き物は 食べて肥え太った。

 

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この部分は 虐殺はなかった という 人間悪魔

 

明治ニツポンの天皇の軍隊を 真っ向から否定しています。

 

 

 

私は 村上春樹は 殺されなかったなぁ そんな ホッとした思いと 出版停止にならなかった ということに 感じ入っています。

 

 

そう 明治からの 天皇の軍隊の なれのはて

 

創価 統一 そして ペクチョン ・・・ 火病 ・・・

 

 

 

ある人のブログは それらの まさしく ターゲットになりそうだが

 

まだ 消されていない そして そこへの コメントで

 

そのブログへのコメント ツィッター Face Book の どれかが 1か月使用不可となった と書かれていた。

 

 

実は 私も 

 

あるサイトへの コメントが できなく操作された。

 

 

スプートニクにメールをすると

 

あなたのだけが コメントできなくなっています との返事。

 

 

もちろん スプートニクの操作ではありません。

 

 

 

期日前投票で 自公が勝つでしょう。

 

 

かれらは 本当に強いのです。

 

 

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まだ 騎士団長殺しは 読み始めたばかりです。

 

これ以外の本も 私は 昔のような 「本の楽しみ」を 味わうような おもいがけない時間をもちそうです。

 

 

村上文学の 

 

特徴的な 女性像と

 

説明も 理屈も 建て前も まったくなくて

 

直観的な 本音だけの会話 ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランスのテイストで 「ミスター・サマータイム」

  • 2019.07.09 Tuesday
  • 21:46



日本では「ミスター・サマータイム」として有名な

 

「Une Belle Histoire(すてきな物語)」詞 :Pierre Delanoë、曲:Michel Fugain、

人間讃美歌っていう感じ、



こういう作品はやっぱりフランス生まれなのよね、
すてき❤️








https://twitter.com/honest_kuroki/status/1148186262504787969

 

性格でもなく民族でもなく「魂」  レイブドラック アキヒト  在野の人

  • 2019.07.07 Sunday
  • 21:57

 

 

☆「レイプドラッグ」

 

 7月3日のNHK「クローズアップ現代+」は「レイプドラッグ」を取り上げた。

 

 加害者らの証言には改めて驚きと怒りがこみあげた。

彼らには罪の意識がない。

 

レイプドラッグは卑劣な犯罪のハードルを下げる”効果“がある。

 

自分の妻にドラッグを使い、複数で暴行を続けた男の話には寒気がした。

 

 

 ドラッグ(睡眠薬)の特徴は、「もうろうとしていても普通のように振る舞うこと」だという。

 

だから「監視カメラ」の映像を見てもレイプと断定しがたく、警察も逮捕しづらいという。

 

 

 その話を聞いて、伊藤詩織さんの『ブラックボックス』がすぐ頭に浮かんだ。

 

安倍首相に近い山口敬之元TBS記者を告発した本だ。

 

番組が強調したドラッグの特徴は、伊藤さんが書いている自身の被害経過そのままだ。

 

番組は伊藤さんが被害を受けた事件については一言も触れなかったが、客観的に、伊藤さんの証言・告発の正しさを証明するものだった。

 

 

 コメンテーターとして出席した大藪順子さん(フォトジャーナリスト、自身も被害者)の、

 

「被害に遭うまでは、私には関係ないことだと思っていた。その無関心がいかに加害者を野放しにする社会をつくっているか。それに気づいたとき、私も加害者の側にいたのだと反省した」という言葉が、重く心を揺さぶった。

 

 

 

☆「明仁天皇」82回の違憲行為

 

 

 宮内庁が6月28日、明仁上皇の天皇時代30年間の活動をまとめて発表した。

 

 内閣の書類への署名・押印=3万2千件超、地方訪問=375件、被災地訪問=61件、誕生日・新年のベランダ立ち=265回、同参賀者=約293万人、文化勲章など勲章授与者=999人、宮中祭祀=888件、だそうだ(6月29日付中国新聞=共同)。

 

 

 中でも目を引いたのは、「国会開会式出席=82回」だ。

 

天皇の国会開会式出席は、憲法に規定されている「国事行為」にないのはもちろん、

 

天皇が「国権の最高機関」であるはずの国会の上に君臨し、

 

国会議員たちを見下ろす儀式で、主権在民の憲法原則に反する明白な違憲行為だ。

 

 

 その違憲行為を明仁天皇は82回繰り返してきたわけだ。

 

 

それに対し、2016年1月4日の開会式から出席しはじめた日本共産党を含め、すべての政党が従順に従ってきた。この異常現象こそ「天皇明仁の30年」、そして「象徴天皇制」を”象徴”するものだ。

 

 

 

☆在野研究者の魂

 

 北宏一朗さんに初めてお会いしたのは、約10年前、帝国日本軍の毒ガス兵器問題の学習会だった。

 

いただいた名刺に肩書はなかった。文字通り手弁当で、調査・取材を続け、毒ガス兵器問題を追及してきた。

 

 

 今年1月の「ノーモア化学兵器」集会でも講演し、

 

日本の毒ガス兵器が今なお中国の人々に被害を与えているだけでなく、

 

日本においてもまさに今日的問題であることを、寒川(神奈川県)、神栖(茨城県)などの事例をあげて力説された(「遺棄毒ガス中国人被害者を支援する会ニュース」)。

 

 

 日本の毒ガス兵器は主に広島県の大久野島でつくられた。

 

私の父はその工場で働いていた。

 

生活のためとはいえ、毒ガス兵器製造の加害者の1人であることは否定できない。

 

毒ガス兵器問題は、息子である私が本来追及しなければならないことだ。それを北さんがやってくれていた。うしろめたさも含め、北さんには畏敬の念を抱いていた。

 

 「支援する会」の最新ニュースレターで、6月10日、北さんが亡くなられたことを知った。享年74。

 

 

 肩書も代償も名誉もなく、ただ正義感と人間愛で歴史の真実を追求し、国家権力の不正を暴く。

 

北さんから学んだそんな在野研究者の魂を、生涯胸に刻もうと思う。

 

 

https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/060d41759f501f2bfd6227b6ceb92d42

 

 

 

 

 

 

 

露・イルカの解放  ニツポン・商業捕鯨

  • 2019.06.30 Sunday
  • 22:03

 

 

 

 

 

6.29  「イルカ監獄」からシャチやベルーガの解放が始まる


ロシア沿海地方のスレドニャヤ湾でシャチやベルーガ(シロイルカ)が閉じ込められていた「イルカ監獄」から、2頭のシャチと6頭のベルーガが解放された。

 

全ロシア漁業海洋学研究所(VNIRO)のサイトで発表された。

 

 

同研究所によると、シャチやベルーガの健康状態は良好で、学者らが彼らの動きを追跡し、行動データの収集を行うためのサテライトタグが装着された。

 

次のグループは、専門家チームが戻り、輸送の準備が整った後、解放される予定。

 


『イルカ監獄』の存在は、2018年10月、環境保護団体「グリーンピース」がレッドブックで絶滅の危機に瀕していると認証されたシャチ、13頭をロシアから中国に違法に販売する計画があることをすっぱ抜いたために世界に大きな反響を呼んだ。

 

 

この場所にいる、海洋性の哺乳類は過去5年で15頭が持ち出され、姿を消した。

 

ロシア捜査委員会はこの事件を動物を非合法に捕獲し、これを残忍に扱った犯罪として捜査を開始している。

 

 

 

 

6.30   日本がIWC脱退 7月から商業捕鯨再開へ


日本は6月30日に国際捕鯨委員会(IWC)から脱退した。

 

時事通信が伝えた。


報道によると、日本は7月1日から自国の領海と排他的経済水域(EEZ)内で31年ぶりに商業捕鯨を再開する。

 

 

日本政府は昨年末、IWCからの脱退を表明、

 

科学的に確立された複数の種類のクジラの頭数は、来夏からの商業捕鯨の再開を可能としていると強調していた。

 

また日本当局は、引き続き複数の委員会のオブザーバーとして残る意向を示していた。

 


2014年、オランダのハーグに本部を置く国際司法裁判所は、日本の調査捕鯨について、

 

科学的研究のためではなく商業捕鯨だとして、

 

日本に対し調査捕鯨の中止を命じていた。

 

 

私と猫のその後  獣医さんが嫌いなネコちゃん

  • 2019.06.29 Saturday
  • 21:50

 

 

6月25日に

 

3匹の子猫ちゃんが ワクチンと 回虫駆除をして

 

NPOの 個人のかたに 引き取られました。

 

 

母ネコの クロは 避妊をして 私のところにいます。

 

 

終わりました。

 

前日の24日は 人間と猫が 一緒に寝るような感じでした。

 

 

生粋の野良ちゃんなので 抱くことができないですが 私に警戒心を持たないところまでは いきました。

 

 

NPOの猫シェルターは 広い 広いゲージで

 

居心地がよさそうです。

 

 

もう 雨のなかをさまよったりしないですみます。

 

 

住む環境が 変わるということは

 

捕獲されたりして まるで 生きた心地がしないような変化だったと思います。

 

 

2か月くらいの子猫は 始めてでしたが このかわいらしさは 焼き付いています。

 

 

コードをいたずらしたり 目を離せない 大変な日々でもありましたが

 

フードの差し入れなどもあり 思い出になる 10日間でした。

 

 

 

 

 

 

6.28 賢いネコが獣医から身を隠したのはファイルホルダーだった


病院が嫌いなのは人間も動物も変わりない。

 

このネコも同じ。お医者さんから逃亡したネコ、(どうしよう)と思った挙句、「人目につかない」場所を見つけた。





心臓がバクバクする音まで聞こえてきそうなこのネコの表情。

 

 

追手(つまり獣医)が追い付いていないかを確かめながら、とうとう崖の橋(机の端っこ)まで来てしまった。

 

 

この先に道はない。絶体絶命!と思いきや、ニャンというグッドタイミング!
 

 

こんなところに「人目につかない」隠れ場所が!ファイルフォルダーに入り込むとしっぽまでうまく隠れてしまったではないか。

このあとネコが見つかってしまったかどうかは獣医さんに聞かないとわからない。

 

 


 

アラン・ドロン 83才   Je n'aime que toi  「I only love you」

  • 2019.06.11 Tuesday
  • 21:31

 

 

 

 

 

 

6.5  アラン・ドロンさん、83歳で大きな感銘を与える愛の歌をリリース【動画】

 

 

現在83歳のフランスの有名な俳優で、数世代のセックスシンボルのアラン・ドロンさんが、新曲を出した。

 

雑誌Closerが伝えた。

 

 

曲名は「Je n'aime que toi」(「I only love you」)。

 

 

作詞はフランス人のジュリア・パリさん、作曲はカナダ人のリック・アリソンさん。パリのサンジェルマン・スタジオで録音が行われた。

 

新曲のMVには、スタジオで録音するドロンさんの姿が収められている。

 

 

ドロンさんは深みのある声で静かに歌詞を読んでいる。歌というよりもむしろ、大きな感銘を与える愛の手紙だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

なりすましではない チョー・ヨンピル 「釜山港へ帰れ」

  • 2019.06.10 Monday
  • 21:46

 

 

 

この歌の歌詞の元は日本に行った兄弟の事を思って歌われた、と。

 

釜山港へ帰れ チョー・ヨンピル조용필 

 

 

 

 

 

 

 

https://twitter.com/JunjiHattori/status/1137690615380975617

 

 

 

 

嘘と詐欺を捨てる自由意志  魂の時代へ

  • 2019.05.24 Friday
  • 21:58

 

 

 

 

 

5.23  日本人がロシアの古典作品に新しい息吹を与える:

 

劇団「地点」の三浦基さん、露劇場のため「罪と罰」の演出に着手

 


京都に拠点を置く劇団「地点」の演出家・三浦基さんが、ロシア・サンクトペテルブルクの国立ボリショイ・ドラマ劇場で、同劇場のレパートリー作品としてドストエフスキーの「罪と罰」を制作することが明らかになった。

 

来月、ボリショイ・ドラマ劇場で俳優のキャスティングを行い、一年の準備期間を経て2020年6月に初演される。

 


これまで、演出作品がロシアの国立劇場のレパートリーになった日本人は、鈴木忠志さん(劇団SCOT主宰)だけだった。

 

 

2004年にモスクワ芸術座で鈴木さんが演出したシェイクスピアの「リア王」は評判となり、鈴木さんはロシアの権威ある「スタニスラフスキー賞」を受賞している。

 

 

市民の間に劇場文化が根付き、国を挙げて演出家や俳優を養成しているロシアにおいて、外国人が演出家として招かれるのは大変な名誉だとみなされている。

 

 

三浦さんが初めてロシアを訪れたのは学生時代の1989年、モスクワ芸術座で研修を受けた。

 

その後はパリでの修行などを経て、京都に拠点を移し「地点」での活動を本格化。

 

 

「地点」はチェーホフやシェイクスピアを中心にした古典から現代劇作家の作品まで、様々なジャンルの創作に取り組んできた。

 

 

 

 

舞台「三人姉妹」

 

 


ロシアでは、2011年モスクワのメイエルホリド・センターでの初公演を皮切りに、毎年のように各地で公演を行なっている。

 

三浦さんにとってロシアは、他のヨーロッパの国と比べて、最も「性に合う」国だと言う。

 

 

三浦さん「ロシア初公演ではチェーホフの作品『ワーニャ伯父さん/桜の園』を上演したのですが、観客の反応が素晴らしかったです。

 

初めてロシアに来た気がせず、なんだか昔から知っているような親しみを感じました。

 

 

それ以降もロシアの色々な劇場で舞台をやるたびに、

非常に懐かしい人たちと出会っている、という気持ちになりました。

 

 

 

舞台「ワーニャ伯父さん」

 

 

 

三浦さんが温かく迎えられているのは、ロシアで定番とみなされ、もうこれ以上解釈のしようがないとされている古典作品に、全く新しい世界観を与えたからだ。

 

 

ロシアの批評家らは三浦さんの手法を

 

「極めて異例で意外性に富み、独創的」「感情の面でも知性の面でも非常に強い印象」と評している。

 

 

三浦さん「ロシアの観客はもう、オーソドックスなチェーホフには飽き飽きしているわけです。

 

 

しかし『地点』のロシア公演では、僕たちの新しい表現への挑戦と、観客の『こういう解釈があったんだ』という新発見とが、うまく相互作用し、その中で感動が生まれたのだと思います。

 

 

ロシアではシェイクスピア作品も上演しました。

 

最初は、『チェーホフじゃないけど大丈夫かな?』と思いましたが、全くその心配はありませんでした。

 

 

チェーホフに限らず、僕の演出が、ある種の受け入れられ方をしている、という実感はあります。

 

でもやはり、そもそもはチェーホフのおかげです。

 

チェーホフ作品で新しい表現が受け入れられたことで、他の作品でも僕の演出を受けとめてもらえるようになったのかな、と思っています。」

 

 

ボリショイ・ドラマ劇場とは、2015年にアンドレイ・マグーチー芸術監督が来日したことで交流がスタート。

 

 

「地点」の「ミステリヤ・ブッフ」と「桜の園」を鑑賞したマグーチー監督は、三浦さんとすっかり意気投合。

 

 

その後、ボリショイ・ドラマ劇場で「地点」が客演したり、三浦さんが講師となり若手演出家のためのマスタークラスを行なうなど、親交を深めてきた。その流れが、今回のオファーにつながった。

 

 

 

 

三浦さんとマスタークラスの受講者

 

 

 


ドストエフスキーの「罪と罰」といえば、ロシアでは誰もが知っているが、これを提案したのは、ボリショイ・ドラマ劇場側だ。

 

定番中の定番を、あえて日本人に手がけさせることにしたのである。

 

三浦さん「『罪と罰』はどうですか、と提案された時、そう来るか、と思いましたね。

 

ドストエフスキーはチェーホフと並んで、ロシアで特に親しまれている作家であり、

小説の舞台は劇場のある地元・サンクトペテルブルクです。

 

 

つまりは一番目玉になるものを持ってきたということです。

 

これにはプレッシャーも感じましたし、劇場としての戦略も感じました。

 

 

むしろロシア人の演出家には、このタイミングで『罪と罰』の依頼はしないでしょう。

 

この『ど真ん中』の依頼に対しては、古典的なものに新しい息吹を与える使命を課せられたのだなと思って、

勇気をもって正面突破しよう、という気持ちです。」

 

 

三浦さんの演出の最大の特色は、テキストの最も重要な部分を抽出し、再構成・コラージュすることで、独自の表現世界を作り出していることだ。

 

その世界の土台となる台本は、紙の上ではなく、実際の稽古を重ねる中で、演出家と俳優の共同作業で生み出されていく。

 

もちろんこれは、非常に珍しい手法である。

 

俳優が日本語でなくロシア語で演じても、この根底に流れる考え方が変わることはない。

 


三浦さん「僕の場合はテキストを再構成し、ほとんどの作品の演出をしてきています。

 

『罪と罰』をセリフ化するにあたっても、一般的な理屈ではなかなか通らないような文章の組み立てになり、文節の構成もユニークなものになるでしょう。

 

日本語でなくロシア語で演じても、この考え方は伝わるだろうと期待しています。

 

僕の演出の場合、リアリズム演劇の作り方とは視点が異なるので、まずはその考え方を俳優陣に理解してもらうことが最初の仕事になるでしょう。」

 

 

 

これまでボリショイ・ドラマ劇場では何度も客演してきたが、劇場所属の俳優たちと舞台を作る、という意味では初仕事になる。

 

 

三浦さん

 

「一般的に言えば、ロシアの俳優はリアリズムの演技が非常に上手く技術力が高いのですが、僕の演出で、彼らがその部分をどういうふうに封印したり料理したりするか、ということが重要になっていくと思います。

 

 

しかし彼らはリアリズムの信奉者ではないと思いますし、

 

色々な演技スタイルに慣れ、様々なスタイルやルーツをもっている俳優が多い印象があるので、僕にも独自のスタイルが期待されているのだと思います。」

 

 

「罪と罰」は長編小説で、そもそも戯曲ではないため、まずはホームの「地点」の俳優と核になるようなテキスト構成を行ない、来年2月から3月にかけて日本で上演する。

 

 

しかしそれをそのままロシアに「移植」するわけではなく、更に創作を続け、発展させていく。

 


この一年、三浦さんはロシア浸けの毎日を送ることになりそうだ。

 

 

今月27日から、KAAT神奈川芸術劇場と「地点」が共同制作した

「シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!」が開幕する。

 

 

この特徴的なタイトルはチェーホフの「三人姉妹」に出てくるセリフ「モスクワへ!モスクワへ!モスクワへ!」をもじったもの。

 

 

 

1890年、チェーホフは周囲の反対を押し切り、辺境の地・シベリアを横断して流刑地だったサハリンまでの旅を決行する。

 

彼が旅の途中で記したユーモアあふれる手記が、劇のモチーフになっている。

 

 

また、「罪と罰」キャスティングのためのロシア渡航にあわせ、ボリショイ・ドラマ劇場では6月12日から13日にかけて、

「地点」が「ワーニャ伯父さん」の客演を行なう。

 

チケットはすでに公式サイトで完売になっている。

 

7月から8月にかけては神奈川および京都で「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」が上演される。(詳細は公演予定を参照)

 

 

大仕事を前にした三浦さんは、スプートニクに今の心境を語ってくれた。

 

 

三浦さん「ほぼ毎年行っているロシア公演と、ロシアの演劇人とのお付き合いはとても楽しく、僕のライフワークであると言えます。

 

そういったこれまでの活動が結実して、レパートリーの演出依頼が来たこと自体はとても名誉で、幸福なことだと思っています。

 

 

ただ、今回の『罪と罰』の演出は、ひとつの通過点です。

 

これを機にもっとロシアでも活躍したいですね。

 

もちろん、それが実現するように、素晴らしい作品を作らなければ、というプレッシャーも感じ始めています。」

 

 

https://jp.sputniknews.com/opinion/201905236287914/]

 

 

 

 

超右翼からの変身   三浦綾子・光世 ご夫妻

  • 2019.05.01 Wednesday
  • 22:14

 

 

学生のころも 結構読んでいた 三浦作品ですが

 

綾子さんが 日本の終戦にショックを受けたと書いていたことを 覚えていました。

 

つまり 日本は負けない と 信じていたということでしょう。

 

 

また 今回 読んで改めて 分かったことは

 

「天皇に喜ばれる子供を育てる」という思いで 命がけに真面目に 小学校の子供たちを教えていたということです。

 

 

敗戦の時は 天皇さまに申し訳ないと 本気で思った。

 

 

ここまででも 

 

日本のなかに これほど 明治からの天皇制に浸食されていた人々がいたんだ と 恐ろしくなります。

 

 

これは 私の家系とは 違いすぎます  w

 

私の親族でも 天皇がやってくるとき 地面に頭をつけて 顔をあげてはいけないという時代に生きていた人はいますが

 

「チラッと、見てみようと」 見たそうです 笑。

 

 

そして

 

アメリカとの戦争には 勝つはずはないと 心底 思っていたそうです。

 

冷静になれば 神風で勝つ とは 到底 思えなかったのですね。

 

 

だから

 

綾子さんが言うように あの時代の人達は みな 綾子さんのようだったとは どうしてもおもえないのです。

 

 

彼女が もし

 

維新の天皇すり替えを知っていたなら

 

ヒロヒトが 英国陸軍で 連合国として 戦争ごっこをして 大金持ちになったことを 知ったなら

 

ショックでしょうか?

 

 

 

天皇が人間宣言をした

 

子供たちには 生神さまとしての教育をしていた のに

 

そして

 

米国により 彼女や子供たちの教科書に 墨を塗る作業をさせられた。

 

 

けれど 使っていた ニツポンの教科書だって 都合のよい嘘 だったのではないでしょうか?

 

 

綾子さんは 子供たちへの罪悪感が消えず 自殺を試みた。

 

 

私はまず

 

今の日本の人々も含めて

 

嘘を 教科書で 宗教で マスコミで 火病の拡散で

 

教え込まれる ということの 根の深さを 思い知った。

 

 

そして 本の最後のほうに

 

「三浦も私も 右翼だったんですよ。 そして そうでは なくなったのです」

 

 

 

どこまで 例えば 英米の介在と 戦争の嘘など 知っているのかどうか 分かりませんが。

 

 

そして 結局 魂の進む道は

 

人間の よくないものたちの 思う通りにはならない のだとも 感じました。

 

 

 

彼女は 自身 クリスチャンと言いますね

 

もう 一人のあやこさんも みな クリスチャンと言います

 

でも そうでしょうか?

 

クリスチャンが 「死に時は 自分で決めるべき」 つまり それほど 稼ぎもないままに長生きしていいのですか

 

などと 言うでしょうか?

 

 

こちらのあやこさんには 私は 「血」を感じてなりません。

 

笹川良一の子供とのうわさもあります。

 

DNAでなければ解明できないでしょうが

 

彼女の本には 子供の頃 両親の仲が悪く 父親は 常に一緒にはいなかった と 書かれていたと記憶しています。

 

 

子供が 親を 選んで生まれてくるとも言われます。

 

 

血を言うと 差別のようですが

 

実際 血を重んじるのは 「あちら側」のものたちです。

 

 

そして 日本を支配しているものたちが 血筋で固まっていることを見るとき

 

「血」というのは 文字通り 「水よりも濃い」

 

つまり その血の 悪魔的な要素をなくしていくのは 至難の業 と 思っています。

 

生まれ変わりが 要求される。

 

 

 

おもいがけず

 

久しぶりの 三浦綾子さんの本は

 

私のなかに 渇きを満たしてくれるようなものになりました。

 

 

ご夫妻が望んだのではない 「記念館」が

 

旭川の自然のなかにありますね。

 

 

光世さんも登場する 記念館での インタビューの動画を見ました。

 

 

https://vimeo.com/29474918

 

 

 

歴史の本当のことを 知ること

 

そして つきまとう 火病との バトル 

 

悪がいつも勝つ という やりきれない気持ち ・・・

 

 

そんななかで

 

プレゼントのような 空気を吸いました

 

 

☆ 宗教としてではなく

 

人としての 心地よさ ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「独裁者」に 国外追放させられた チャップリン  515事件

  • 2019.04.23 Tuesday
  • 23:25

 

 






4.16  チャーリー・チャップリン 

「道化師であることはどの政治家よりも私を高く飛ぶ飛行機に乗せてくれる」


130年前、ロンドンのミュージックホールの俳優一家に男の子が誕生した。

今や「喜劇王」と呼ばれるチャールズ・スペンサー・チャップリン、その人だ。


観客たちは、チャップリンが創作した「小さな放浪者=The Little Tramp」の姿を笑ったが、

名優が演じるのがほぼ等身大の彼自身なのではないかと疑う人は少なかった。


チャールズ・チャップリンの幼少期は幸せだった。だがそれは長く は続かなかった。

父親の早すぎる死の後、母親が稼ぎ手となり、 ミュージックホールで歌を歌い始めた。


ところがある公演の最中に 母親が突然声を失う。


母親が片時も離さなかった当時5歳のチャー リー少年が舞台に上がり、母親に代って歌を披露した。


観客たちは 少年に小額のコインや紙幣を投げ与えた。

チャーリー少年は観客たちの笑い声の中、投げ銭を拾い集めるとま た歌を歌いだし、ホールを感動で満たした。


チャーリー・チャップリンの創造に満ちた伝記はこうして始まった。


チャーリー少年が7歳になったとき、母親は精神病院に入れられ、 チャーリー少年は孤児院に預けられることになった。 


たえず腹を空かせた宿無しのチャーリー少年は、

 

新聞の売り子や病院での看護師の手伝い、印刷工場など、自分をを 雇ってくれるところであれば生きるためにどこでも働いた。

 

 

1908年、19歳のチャーリー・ チャップリンは英国のパントマイム劇場に雇われ、 その劇団と共に米国へ公演旅行に出かける。

ここで青年の夢が実現することになった。


チャーリーは俳優としてだけでなく、無声映画でも名声を勝ち取り、

有名な監督となって映画スタジオを所有するまでになった。


「小さな放浪者」の舞台イメージを考案したのはチャーリー青年本 人だった。


幅広の裾のズボンと窮屈な上着、山高帽にぶかぶかのブ ーツ、ちょび髭、ステッキ。


少年期の虐げられた経験を忘れていな かったチャーリー青年は、自身の経験に基づいて映画を製作した。 


チャップリンの作品は、時に笑い、時に涙を誘うが、

決して変わらないのは人間の尊厳を守るということ。

そして それが 永遠のテーマだった。



だからこそ彼の映画は永遠不滅のものとなっ たのだ。
 

 


チャップリンは語る。

「人生は、近くで見れば悲劇であるが、遠めで見れば喜劇である。」

 

そしてこうも言った。


「私の苦痛が、誰かが笑うきっかけになるかもしれない。しかし、私の笑いが、 誰かの苦痛のきっかけになることだけは絶対にあってはならない。 」


1950年代のはじめ、チャップリンは自身が40年以上を暮らし 、そして働いてきた米国から事実上の追放を受ける。

 


米国内で正真 正銘の「魔女狩り」を実施した米連邦捜査局(FBI)の初代長官 、エドガー・フーヴァーは、

チャップリンに共産主義への賛同者という嫌疑をかけ、米国への入国を禁止した。


このように権力は、米国映画の名声を高めたチャーリー・チャップリンに、こんなとんでもない形で「感謝の意」を表した。


チャップリンはこの仕打ちれに対し、
 

 

私は道化師であり続ける。 そして道化師であることはどの政治家よりも私を高く飛ぶ飛行機に乗せてくれる」と返した。


チャップリンはスイスに移住し、人生の最後の時期を家族とともに幸せに暮らした。


チャーリー・ チャップリンは、どんなに困難な目にあっても、決して絶望などせず、


「このよこしま(邪悪)な世界に永久なものなんてない。苦しみでさえ永久ではないんだ」という強い信念を持ち続けた。










 

セラピー ウマさん

  • 2019.03.31 Sunday
  • 22:13

 

 

フランスの14歳の馬、Peyo君は、月に2回、病院やケアホームを訪問。

 

 

だれからも強制されることなく、自分でどの病室/ 部屋に入るか決める。。。

 

 

そしてなぜかPeyo君はPeyo君を一番必要としている患者さんを知っている。

 

 

 

 

 

 

 

花柳幻船さんの生  家元制度と天皇制に抵抗

  • 2019.03.30 Saturday
  • 22:33

 

 

 

花柳幻舟さんといえば、人々は往々にしてすぐ人目を引いた何か突飛な事件だけを思い浮かべてしまう。

 

確かにそこには彼女の信念の所産の行為ではある。

 

 

だが幻舟さんの真実は社会の卑劣な差別、偏見に対する純粋無比な怒り以外の何物でもない。

 

 

 

でも幻舟さんはすごい人だ。

 

花柳の宗家家元の寿輔を襲ったシーンの記述は感歎である。

 

 

 

「私の前を寿楽が通り過ぎた。その時私は、寿楽の後に続く家元にスーっと近寄った。

 

花束を持った私を見て、ファンと思ったのか、家元は少し足を停めた。

 

私は花束とともに、自分の上半身を家元にぴったりくっつける格好になり、その瞬間、

 

花束で隠していた包丁を、寿輔の右首筋にすくい上げるように、斬った

 

 

「その時、私は予定していなかった言葉が、静かな声となって出た。

 

『思い知りなさい!』・・・・・この言葉こそが、私の三十数年の、半生の全ての思いを込めた、生命の言葉だったのです」

 

 

「私は寿輔のさながら大名行列のような、舞台から帰ってくる姿を見た時,

 

 

『こんな人間に、この十数年間、爪の灯をともすように、家元制度の悪を訴えて来たのか』

 

こんな権力者が、人間どもが私たちのような下層芸人を踏みつけて、差別を作って来たのか、−いくら頼んでも何も通じない。

痛い思いを自分の体でしなければ、人の痛みなど分からないのだ』」

 

 

「私の『思い知りなさい』の声に家元は驚いたのか、後退りを一、二歩した。

 

寿楽の背後に横に寿輔は一歩ゆっくり歩いた時、血が顎から首筋にかけてスーっと流れた」

 

 

「血を見て『な、なにすんのさ!』家元はあられもなく言った。−私は驚いた。

 

大流派の宗家家元たる人間が、いくら突然の出来事でも,『な、なにスンのさ!』はちょっとヒドかった

 

 

「人間、本当にいざとなると本性がみえるものらしい」

 

 

「いかに突然の出来事とはいえ、寿輔を誰一人、自分の身をもって助けようとしなかったことを見て。権力の座に座る人間を哀れにさえ思ったものです」

 

 

 

幻舟さんは「天皇制があるから家元制度がある」、・・・

 

これは幼い頃から旅役者の子として一般世間の徹底した蔑みと差別を受けてきたことの怒りの帰結である。

 

 

幻舟さんがいう天皇制も結局、明治からの国家神道専制国家、教団国家における祭政軍一致の国家における天皇制である。

 

 

 

3世紀の日本を記述したとされる三国志の中の魏志倭人伝。・・・

 

「天皇制に邪馬台国はタブー」というのはある意味何が本質か、核心をついている。

 

 

江戸自体から前の民衆は天皇が誰か、知らなかったし関心すらなかったのである。

 

 

 

卑弥呼は天皇を知っていたのでしょうか?邪馬台国がタブーの所以であろう。

 

 

天皇「制」などという言葉自体が明治以降のもでしかなく、

 

江戸時代(も含めてそれ以前)の日本人は天皇制などという概念は全くなく、

 

ましてナショナリズムもない時代、庶民は京都にいる天皇の名前など知ることもなく、心になかった。

 

 

 

 

ま、こんな考えは幻舟さんの思想をはぐらかす程度のものでしかないが、でも彼女ほどの女性もいない。男性も含めていないだろう。

 

口では言えてもまず実行などできないからである。

 

彼女ほど真の意味で過激な人は他にいない。

 

 

しかし、幻舟さんの父親は関西歌舞伎界の大部屋俳優であった!

決して、大衆演劇の旅回りで通した人ではない!

 

 

父親は世襲性が幅を利かす梨園に絶望し、戦後、旅役者となったのである。

 

 

お母さんも歌舞伎俳優の妻となった人だから美人だったのも当然である。

 

 

 

幻舟さんに見られる見識の高さは理由がある。

 

1962年日舞花柳流に入門し、1966年に名取りになった、・・・が家元制度に束縛された日舞に疑問を抱き、

 

1968年4月、大阪中座「花柳幻舟リサイタル」で渋沢竜彦原作の「赤道幻滅」を舞踊家として前衛劇に挑戦し、

 

日本舞踊界の反逆児として注目を一身に集めた、・・・・・。並の方ではないのである。

 

 

ただしこの前衛舞踊家の道で花柳流の名取の籍は抹消された。

 

 

だがこの後、

 

大島渚監督や歴史学者、哲学者の羽仁五郎氏の支持を得て家元制度批判、天皇制批判へと向かったのは周知のとおり。

 

 

 

映画出演もこの頃続いた。

 

 

世襲制の梨園に泣かされた父親の怨念が彼女に伝わり、家元制度、ゆくゆくは天皇制への「世襲特権」に疑問を抱いたのである。

 

 

 

✱ただ一つ気づくこと、・・・・

 

幻舟さん一家が旅回り役者という苦難に陥った理由は歌舞伎界、−梨園の世襲制、排他性である。

 

それこそ親の仇のはずだが、・・・・彼女はもっぱら家元制度、−花柳流攻撃は行っても、さらには天皇制にまで進んでも、・・・決して歌舞伎の世界、−

梨園への攻撃はしない、・・・・

 

 

ここにある種の幻舟さんの心の中の超えられない、わだかまりのようなものが、・・・・あるのだろうか、と思ったりする

のであるが。

 

 

 

私の場合はあくまで親の非人間性、虐待、いやな家庭に悩まされ続けた。

 

幻舟さんはまだ親、周囲の慈愛があった。

 

 

幻舟さんは旅回りの役者の子供、ご自身も一員で舞台に上がっていた。

 

苦難を極めても親の慈愛、配慮、一座ならばこその人の情を受けて育った。

 

 

 

でも即位の儀パレードでの幻舟さんの行動後、支援するとしていた人たちがほとんど怖がって宿泊もさせてくれなくなり、

 

彼女が京都の支援者に居留守をつかわれたのに絶望し、大阪をめざし、京都から深夜山越えを決行したなどという話を聞くと、これ以上の人はいないとさえ感じる。

 

 

でも幼い頃から、しがない旅役者の子でどこに行っても河原乞食と徹底差別、迫害、いじめを受けた。

 

彼女は器量もいいので子供の頃から一座に欠かせない存在だった。

 

他の子供は離れて預けられていたようだ。

 

 

 

「冬の花火」の中から

 

「学齢に達したので、学校に行かせるため父は私をファンのお家に預けました。小学校に入学しました。宝塚市にある小浜小学校という所です。

 

 

小学校に行き始めても家の人は誰も私に近寄らず,『あの子、旅役者の子やで』と聞えよがしに言って、汚いものでも見るように私を見るのです。

 

 

置いていただいたいえから遠い道のりでしたが,お友達のいないのは、−いつも私一人。

 

 

『やあい、旅役者の子!河原乞食!』

と学校の行き返りにはいつもからかわれました。

 

 

皆、新しくきれいなランドセルを背負っているというのに私は学用品を風呂敷に包んで小脇にかかえ、ゴムゾウリ、−みすぼらし私の姿はいじめっ子には格好の対象でした。

 

 

『こら、お前、捨て子やろ!』

 

『まねし漫才、役者の子!』

 

 

はやし立てられて、石を投げられ、細い農道を泣きながら、何度、逃げ回ったことか、・・・・・。今思い返しても悔しさと悲しみで胸が痛みます」

 

 

 

「冬の花火」は確かに過激だが、涙なしで読めない内容でもある。

 

 

でも彼女の本を読んで感じるのは家族愛、というか特に父親の愛に恵まれていたこと、本質的に親に誇りをもてていたこと・・・・・

 

 

母親はたいへん美人でそれは幻舟さんの自慢でもあったとのこと,-そのお母さんに似ていらっしゃるのか、幻舟さんも、とても美人である

 

 

「私は芸のことし考えない父親が、なぜか、大好きでした。」

 

 

「父と母が旅芸人として暮らす中で、私にたいへんいいことを教えてくれたと思えるものがあります 『人間は生まれて死ぬまでたった一人だ。一人で寂しいからこそ、ふれ合った人との人間関係を大切にしなければならない。

みんな寂しいのだから人を傷つけてはいけない』という人生哲学です。

 

この人生哲学は今、一人で生きている私にどれほど役立っているか」

 

 

心に残るいい文章である。

 

幻舟さんの本を読ませていただいて、なぜ彼女が差別への闘いに挑むのか、よく分かる心打たれる文章が多い

 

 

 

「どこかの興行地でのこと、芝居小屋の前で私が石けりで遊んでいたら、私の前を同年齢くらいの女の子を連れた母親が通りかかった。女の子が駄々をこねていた。そうしたらその母親は

 

『そんなことばかり言ってたらこの芝居小屋に売るで』

 

 

その言葉を聞いた時、私は発作的に芝居小屋に逃げ込んで大声で泣いた。

 

『売られたんとちゃうわい! お父ちゃんは役者なんや、うちも生まれた時から役者なんや!売られたんとちゃうわ!』

 

 

あの悲しさと、恥ずかしさは昨日のように鮮明である。

 

 

 

確かに私の服装は貧しかった。でもちゃんと洗濯をしていた。汚れてはいなかった。

 

学校にもほとんど行けなかったから勉強は出来なかった。

 

でもどこにでもいる子供と変わらない。当たり前です、私は人間の子ですから。

 

人間扱いをされなかったけれど、私は人間の子です。本人が言うのですから間違いはありません。

 

 

 

私は学校に行けなくて本当によかったと、つくづく思える人間になれた。

 

学校に行かなかったからこそ差別を偏見を教える薄汚い教育を受けずに済んだ。

 

 

旅回りの子だから、人の情について、優しさについて骨の髄まで知ることができた。

小学校中退も旅役者であることも誇りにさえ思っている。

 

 

それと幼い頃、出演している劇場での話。

 

役者専用のトイレもなかった。

 

そこで芝居の合間、幻舟さんと母親がトイレに行った、

 

誰か入っている。母と娘はトイレの前で待っていた、・・

 

フとトイレの前をみるとキューピ―の人形が置いてあった。幻舟さんはその人形をじっと見つめていた。

 

娘がそれを欲しがっていると思った母親はそれを鷲づかみにして楽屋に逃げ込んでいった。

 

 

それまで貧しさで娘におもちゃ一つ買ってやれなかった母だった。

 

娘のために盗みをしたのである。

 

そしてその人形を幻舟さんに持たせてくれた。・・・・でも彼女の記憶ではその後、父親が母親の頭を叩いてその人形を他の女の子に渡している光景であった。

 

母親と同じくらいのきれいな着物を着飾った女の人がじっと母親を見つめていた。

 

 

 

「母はきっと、私のためにそのキューピーを盗もうとしたのでしょう。

 

かわいい娘におもちゃ一つ買い与えられなかった母は辛かったと思います。

 

 

当時の母の思いがどんなであったか、私は胸が張り裂ける思いでその辛さが伝わってくるのです。

 

 

 

花柳幻舟さんの文章は、ー端的に言って愛というものの神髄が描かれていると感じます。

 

 

ただ惜しまれることは、−社会の幻舟さんへの歪んだ偏見が彼女の崇高な精神の叫びを読み取ろうとしないことです。

 

 

 

私は頭の中が混乱し、16歳の秋頃でしたか、もう生きることに疲れてたのでしょうか、阪急の十三駅のホームで飛び込み自殺を試みました。でも駅員さんに助けられて、・・・。

 

 

自殺を失敗して数日後でしょうか、淀川の土手に立って、河川工事をしているオッチャンたちを見るでもなく、ボーっと見ていました。何時間も見ていました。オッチャン達は昼休みでしょうか、三々五々座り込んで弁当を食べ始めました。

 

 

するとオッチャンが『おーい、姉ちゃん何してんねん』

 

 

『姉ちゃん、朝からずーとおったやろ、何してるんか皆で心配してたんや。

気にかかって仕事にならんがな、お腹へってるやろ、ねえちゃん、どこの子や』

 

 

私はそのおっちゃんの言葉にだんだん切なくなってベソをかき、すわり込んで大声で泣き始めました。

 

 

『腹へってるやろ、これ食べてみい』、・・私は本当に久しぶりに人の心の暖かさにふれる思いでした。

 

 

私はおっちゃん達の口利きで護岸工事の労働者として翌日から雇ってもらいました、・・・・」

 

 

 

でも幻舟さんは「学歴さえあれば」と書かれているが私が痛感したことは、

学歴などあまり意味はない、・・・・家庭の方が遙かに重要だ、・・

 

 

 

小学校中退の彼女が高卒と偽って建設省にバイト、美人のなのですぐプロポーズされて結婚、でもそこで知った家庭での女性への束縛。

 

結婚しても女性への不当な差別的扱いに耐えられない、・・・・・。

 

 

「考えた末、私は夫から自立するために、子供の頃からやっている踊りの世界に入りました。

 

これこそが夫を頼らず生きていける道、一人で生活できる道だと考えたからです」

 

 

 

芸能の世界なら、学歴、血筋など全く関係ないだろうと思って入ったのですが、実は全然反対で、家元制度という日本しかない制度にぶつかったのです」

 

 

「もともと家元は技芸、武芸を実践する人として存在していたのです。

 

そして権力者の庇護のもとで生存をはかっていったのです。

 

現在のように金を取って人に教えることで家元としての権威を持ちつ家元制度となったのは士農工商の身分制度が確立された江戸時代からです」

 

 

「現在存在の家元は実力でなく家元制度の守られた、世襲制の中で胡坐をかいている木偶であり、

何の才能も実力もない人間が家元なのです」

 

 

 

「私は家元制度を学ぶうちに天皇制にぶつかりました」

 

 

「会ったこともない人を敬い、その人に従う天皇制の思想の下につくられたのが家元制度です」

 

 

 

私見だが誰も天皇を意識しなかった江戸時代にできたのが家元制度なら、世襲という共通点だけで、しいて天皇制と家元制度は関係あるとは言えないのではないか。心に巣食うものではないのか?

 

 

 

「家元制度の不合理を発見したとき、それ自身で家元制度は解決できる、と思いました」

 

「でも家元制度の根底には天皇制があり、絶対に改革は不可能だと知りました」

 

「私は一人で生きて行こうと決意し、舞踊の世界を選び、因襲の家元制度を知り、自立のために家元制度を改革しようと思ったとき、私にとっての本当の敵、天皇の『血』というイデオロギーにぶつかったのです」

 

 

 

「私にとって天皇制の悪は半生を懸けて許すことが出来ないものとなっていきました。

 

なぜなら天皇制の血のイデオロギーこそが差別を育て、差別を温存させるものだからです」

 

 

「わが半生を顧みて差別され続けてきた私には天皇制の血のイデオロギーこそが悪の元凶と知った今、決して許せるものではありません」

 

 

 

国立劇場で幻舟さんが見た花柳寿輔の舞踊は宗家家元のかけらもない、ひどいもので「これで家元なんて」と怒りをふつふつと湧いてこられたそうだ。

 

 

でも下手でも芸術の最高位の褒章を受けられる日本である。

 

 

 

私は天皇制、−と皆、−幻舟さんも含め、思っているのはごく最近の人為的な国家的フィクションであると考える。

 

 

長い歴史で民衆が天皇で頭が一杯だった、・・・ことは明治になってからの話である。・・・

 

 

 

✱美濃部達吉博士の言われた,・・天皇機関説、・・・である。

 

天皇は機関である。割り切って考えるべきである。

 

 

でも当時馬鹿な軍人が「天皇を機関車と同一視した」などとクレームをつけたのですから、・・・・。

 

 

 

はっきり言って幻舟さんの差別、偏見への闘いは「天皇制」などで矮小化されるべきでないと感じます。

 

 

 

、・・・・・されど幻舟さんほど熾烈に生きた人は知らない。驚きである。

 

 

この世の底で踏みにじられて生きてきた者でしか分からない魂である。

 

 

 

 

 

 

 

https://madonna-elegance.at.webry.info/201405/article_21.html

 

 

500年前の犯罪に謝罪を求める

  • 2019.03.27 Wednesday
  • 21:56

 

 

☆ 最近

 

「聖なる闘いとは」 決して 「謝罪をしない」という 種族との 戦いのような気がしてきました。

 

つまり 人間ではないものとの 戦いの歴史のような気がしてきました。

 

ウクライナでも 住民を 火で焼き殺す

 

ニツポンの 生体実験 そして 虐殺は

明治からの 「サンカ」が主導し

今 皇族として 笑いながら 生きています。

 

人食い つまり 悪魔崇拝をしている 多くの権力 そして ロイヤルは

 

悔いる という 魂は 全くない もの です。

 

人間は あるいは それ以上の魂は

 

赦さないでしょう。

 

 

私が ネトウヨ つまり 日本にいる 在日の一部の人々が 嫌でたまらないのは

 

そのような 人間の敵の 配下にいるからです。

 

 

 

 

 

 


3.26  メキシコ大統領、

スペイン国王とローマ法王に謝罪を要求 500年前の侵略の際の犯罪に対して

 

 

メキシコのロペスオブラドール大統領は、

 

スペイン国王フェリペ6世とローマ法王フランシスコ宛てに、

 

500年前のスペイン人による侵略の際や植民地時代の犯罪に対する謝罪を求める書簡を送った。

 

 

ロペスオブラドール大統領が、古代マヤのコマルカルコの遺跡で撮影した動画の中で明らかにした。

 

 

大統領は

 

「虐殺や抑圧があった。剣と十字架による侵略が行われた。

彼らは(先住民たちの)神殿の上に教会を築いた」と述べた。ガーディアン紙が報じた。

 

https://twitter.com/lopezobrador_/status/1110274329319743488

 

 


​ロペスオブラドール大統領は、

 

「今でいうところの人権侵害」に対する先住民への謝罪を求めた。

 

エル・パイス紙によると、

 

スペイン政府はロペスオブラドール大統領の書簡に関して「深い遺憾」を表明し、

 

500年前のスペイン人のメキシコ領土への到着を現代の基準で判断することはできない、と指摘した。

 

 

なお、ローマ法王がメキシコ大統領の要求にどのように反応したのかは今のところわかっていない。

 

 

 

 

 

 

 

マドリードで行われたカタルーニャ独立を支持する集会の参加者たち

 

 

 

 

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