神道と国家神道の違い  中国嫌悪はなぜ ? 

  • 2017.06.15 Thursday
  • 02:06

 

先日から「日本会議 戦前回帰への情念」 山崎雅弘 著 集英社新書 という本をもとに文を書いていますが今日も書きます。
 
今日はこの「日本会議」やそれに準ずるくらいに自民党に影響力を及ぼしている「神道政治連盟」が目指すところの「天皇中心主義」の背景にある「神道」という宗教について書きます。

 

 
この「神道」とは、本著によれば、「国家神道」とに分けられる、ということです。

 

そのことが書いてあるこれから引用する文は、我々が思っている、「神社にお参りをする」とか会社の社長室などに神棚があり、「毎朝それを拝む」といっただけの「神道」とはかなり違う「国家神道」について非常に上手くまとめていて参考になると思います。

 


(引用開始)
 
タイトル:信仰としての「神道」と宗教的政治システムとしての「国家神道」

 

 

「神道」は、日本における伝統文化としての「信仰」を意味し、わかりやすく言うなら「神様に手を合わせて拝む」行為全般を指します。拝む対象の神様は、伝統的あるいは名の知れた神様である場合もあれば、木や山などの自然である場合もあります。
 

 

 

一方、「国家神道」の方は、明治時代に国の制度として導入されたシステムです。

 

 

「神社神道」と「皇室神道」を中心に、天皇を国家体制の基礎と位置付け、社会構造のピラミッドの頂点に君臨する天皇とその先祖を、神的な存在として尊ぶというのが、「国家神道」の中核でした。

 

 

例えば、「神道」の場合は、本人が望まなければ、特定の神様を拝むことを誰にも強制されませんが、「国家神道」の教義については、少なくとも昭和に入ったころには、すべての日本国民が絶対的に従うことを、事実上強制されていました。

 

 

規則のような意味での「強制」ではなく、すべては「国民が自ら望んで、喜んでそれを受け入れた」形式とされましたが、「私は従いません」という選択肢は許されておらず、思想信条上の理由から敢えてそれを選んだ人は「非国民(日本国民ではない裏切り者)」や「不敬(天皇への敬意がない)」として、厳しい社会的制裁の対象となりました。

 

 

 

実際、「国家神道な」で重要役割を担った、伊勢神宮などの重要な神社で神職に携わる人間は、内務省外局の神祇院で公務員のように働き、政府の政治的意向に完全に合致するかたちで、さまざまな祭祀を行いました。

 

 

 

また、一般に「神道」は神様に願い事をしたり、神様の前で自分の欠点を反省するなどの「謙虚さ」を伴いますが、「国家神道」の場合は、神道のしきたり等を援用するかたちで国民に国家への献身や犠牲を強いたり、日本という国や日本人が他国よりも優れていると思い込んで優越感に浸るなどの「傲慢さ」が、思考や態度に現れることがありました。

 

 

このように、「神道」と「国家神道」は言葉は似ていますが、実質は大きく異なっており、構図としては「後者が前者を政治的に利用する」という関係にありました。
 
(引用終わり)

 

 
では、実際に戦前・戦中のその「国家神道」を強要された日本人の生活はどのようなものだったか。それについてその一端が分かる文が「ヒロシマの嘘」 福島菊次郎著 現代人文社 刊 という本に書いてありました。
 

 

 

この本の著者である福島氏は青年時代に、「国家神道」という政治システムによって「天皇中心主義」の教育を受けさせられ、戦争に行かされ、戦後、昭和天皇・裕仁の戦争責任とその戦争の悲惨さを今まで人生をかけて訴えてきた方です。

 

 

(引用開始)
 
章のタイトル:軍国主義教育・・・狂気の青年時代
 
項のタイトル:「天皇陛下バンザイ」
 

 

ヒロシマの嘘1僕と天皇裕仁の出会いは小学校に入学した1927年、七歳のときから始まった。
 
登下校するたびに校門の奥にある教育勅語を入れた「奉安殿」の前で最敬礼し、祝祭日には君が代を歌わされ、鼻たれ小僧はじっとしておれないので、意味不明の教育勅語の朗読の長さに閉口した。

 

1932年、満州事変が始まると、毎日深夜に下松駅を通過して満州に出征する兵隊さんを見送りに行き、日の丸小旗を振って夢中になって「天皇陛下バンザイ」を叫んだ。
 

 

小学校に入学した頃、日本は「世界五大強国」の一つだと教えられた。
 
満州事変が拡大すると、国際連盟からリットンという外国人が満州を視察に来て、日本に撤退勧告をしたという新聞記事を読んで、いらぬ世話をする奴らだと友だちと憤慨したが、日本は勧告を拒否して1933年、国際連盟を脱退した。

 

 

「国際連盟を脱退したから、これからは飛行機でも、軍艦でも、兵隊でも欲しいだけ持てるから日本はすぐ世界一等国になれる」と喜んだ。

 

門の前に整列すると先生が、「お前らも天皇陛下に背いたら死刑だぞ」といきなり大声で怒鳴ったのでみんな縮み上がり、その日から天皇陛下が恐ろしくなった。

 

 

 

国民に尊敬されている天皇が撃たれる事件が起きては困るので、警察は難波大介を狂人に仕立て事態を収拾しようとしたが、彼はあくまで殺意を主張し死刑を執行された。共産党の宮本顕治も光市出身で、岸伸介、佐藤栄作元両総理は隣町の出身なのも因縁めいて面白い。

 

 

小学校時代は、早く兵隊になって天皇陛下に忠義をして死ぬのが最高の名誉だと聞かされた。
 

 

国民は天皇陛下の赤子(せきし)で、天皇陛下からもらった命は天皇陛下にお返しすべきである」

 

「神州不滅だから日本は必ず戦争に勝ち、国難には神風が吹く」「支那事変は正義の戦いで、邪魔をする鬼畜米英は断固撃滅する」「日本兵は死を恐れないが支那兵は日本軍が突撃すると泣いて逃げる弱虫だ」など、先生の話に釣られて中国人を人種差別した。
 

 

 

「戦争に行ってどうせ死ぬなら、チャンコロ五十人くらい殺して名誉の戦死をして、靖国神社に祭られよう」と決めていた。

 

 
(引用終わり)

 

 
日本会議は安倍政権が教育基本法を変えるのに大きな影響力を及ぼした。

 

その日本会議は「教育勅語」を教育上、重要視している。今話題の森友学園の籠池泰典は日本会議大阪の運営委員だが、塚本幼稚園ではその「教育勅語」を園児に朗読させている事実はすでに公然となった。


 
福島氏が書いているように、当時は恐ろしいまでに「国民主権」は尊重されず、学校などで、「国民は天皇の為に戦争で中国人を殺せ」などと徹底的に教え込まれた。
 


そんな日本の社会を作りあげた政治システム、それが日本会議が復活させようとしている「国家神道」だということです。
 


また、日本会議は「憲法9条」を無くすもしくは改悪し、第一条の「天皇を象徴とする」から「元首とする」に変えた自民党憲法改正案を成立させようとしているわけです。もう、これは、「天皇を頂点とした戦争するための国づくり」と言わずして何というのでしょうか?
 


こういった日本会議に対しての私の見解に対して、「お前、考えすぎだよ」などと言うのであれば、私はその人に対して、「平和ボケ」と言わざるを得ない。

 

 

http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8845689.html

 

 

 

 

 

◎ 天皇が米軍基地建設と称して沖縄の遺構や文化を破壊し、中国と仲良くさせない理由は、生きている天皇など日本の伝統に無いばかりか、漢風諡号を辿れば天皇は琉球の海人だったことがバレるからです@ihayoichi @GeorgeBowWow       

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/787548879193411584

 

 

 


◎ 仰天、「日本は歴史認識を改めよ」とは、こういうことだった。 

 

江戸時代の日本列島を統治したのは中国  

 

その宮内庁の有職故実家は、「大嘗は中国(ワガクニ)従来の儀式ではなく、唐の制度を模したもの。ただ大嘗に則っていない山藍摺りにおいては、華人の古を見ることができる。」と書き遺してた

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/800970730670211072

 

 

 

 

◎ただね、日本列島が、漢民族の文化をきちんと継承していたのは江戸時代まで。

明治以降は、全て、摩り替えられちゃった。

 

雅楽も道学や回教由来の調子の楽譜は焚書され、転調されて、演奏のテンポも三倍遅くなった。着物も私のアイコンのようには着なくなった。罪人の座り方を正座として摩り替えた、、

 

 

 

日本会議  田布施システムの実働部隊

  • 2017.03.03 Friday
  • 07:19

 

 

明治維新から1945年の敗戦までの間、日本は【天皇制軍事独裁体制】を確立し明治天皇と昭和天皇は政治家、軍人、官僚、大手マスコミ、財閥、右翼、学者らを使って海外侵略と国民弾圧を主導したがそれは【でっちあげ天皇制=田布施システム】があって初めて可能だったのだ!

 

 

【日本会議】の前身の『日本を守る会』は戦前の満州・中国侵略を主導したファシスト将校らの思想的バックボーンとなった戦前の宗教右派の流れであり、もう一つの母体である『日本を守る国民会議』は右翼・暴力団と直接結びついていると言われている。

 

 

 

【でっちあげ天皇制=田布施システム】は敗戦と戦後GHQの民主化政策で一時的にその機能は停止されたが、【中国共産党国家誕生】【朝鮮戦争勃発】【米ソ冷戦激化】などの情勢変化によって

 

 

米国支配層は当初の【日本を世界に冠たる民主国家にする】方針から【反共の砦】【米国の植民地化】へと方針を転換し昭和天皇の戦争犯罪を免責し戦争犯罪人の軍人や政治家や官僚および国民弾圧の首謀者特高官僚たちを免責して復活させたのだ!

 

 

 

このようにして【でっちあげ天皇制=田布施システム】は1950年代はじめから完全復活し自民党の長期独裁政治を可能にし安倍自公ファシスト政権を誕生させたのだ!

 

 

 

【日本会議】こそは、【日本国憲法】を廃止して戦前の【大日本帝国憲法】を復活させ、日本を【平和国家】から【戦争国家】に変身させ、【特定秘密法】で反対する国民を犯罪人に仕立て上げ逮捕・拘留・拷問・起訴・重罪判決で刑務所送りにする、明治維新から現在まで続く【でっちあげ天皇制=田布施システム】の実働部隊であり安倍晋三ファシスト&サイコパス首相とその一味の支持勢力なのだ!

 

 

安倍晋三ファシスト&サイコパス首相とその一味を実力で打倒する戦いは、ようやくその正体を暴露した【日本会議】に集まる政治家、官僚、裁判官、経済人、宗教団体、大手マスコミ、評論家、御用学者、右翼・暴力団などを打倒する戦いでもあるのだ!

 

 

 

【関連情報1】

 

▼日本最大の右派組織 日本会議を検証

 

2014年7月31日 東京新聞【こちら特報部】

 

女性蔑視やじ、ツイッター上で差別的表現…。最近世間を騒がせた地方議員には、日本最大の右派 組織といわれる「日本会議」の地方議員 連盟メンバー が少なくない。その影響力は地方のみならず、政権中枢にも及ぶ。

 

 

安倍晋三首相は、同会議に賛同する国会議員懇談会の特別顧問だ。憲法改正 や集団的自衛権の 行使、伝統的家族観の尊重などの主張は、首相の政治信条と重なる。知っているようで知られていない日本会議を徹底検証した。(篠ケ瀬祐 司、林啓太、佐藤 圭)

 

 

 

今年六月の東京都議会で女性都議に「早く結婚したほうがいいんじゃないか」とやじを飛ばした鈴木章浩都議=自民党会派を離脱=は、日本会議の地方議連メンバーである。

 

 

 

「(日本会議とは)いろいろな分野でおおむね方向が一緒だ」鈴木氏は「こちら特報部」の取材に淡々と語った。鈴木氏は二0一二年八月、地方議連メンバーらとともに、政府が立ち入り禁止にしていた尖閣諸島(沖縄県石垣市)に上陸した。

 

 

タカ派的な行動でも物議を醸した人物なのだ。

 

女性軽視やじほどには話題にならなかったが、北海道でも、地方議連メンバーが一騒動起こした。道議会の自民党会派に所属する小野寺秀(まさる)道議がツイッター上で、集団的自衛権の行使容認に反対する男性が東京・新宿で焼身自殺を図ったことについて「愚行」と発言、これを批判したコメントへの反論で差別的表現を使った。自民党は今月三日、道議に口頭で注意した。

 

 

ネット上では、小野寺氏を「ネトウヨ(ネット右翼)議員」と揶揄する向きもあるが、小野寺氏は「日本が好きで、次の世代にどう良い国を残すかという思いでやってる。ネット右翼と言われるのは不本意だ」と話す。

 

 

 

そもそも日本会議とは何か。

 

 

結成は一九九七年五月。保守系宗教団体などでつくる「日本を守る会」と、保守系文化人や旧軍関係者などを中心とする「日本を守る国民会議」が統合した。現会長は元最高裁判所長官の三好達氏だ。

 

 

「誇りある国づくり」を目指す運動方針では、皇室 を尊び、同胞感をかん養する?新憲法制定?祖国への誇りと愛情を持った青少年の育成?安全を保証する防衛力を整備し世界平和に貢献ーなどを掲げる。

 

 

その規模は、右派の民間組織としては国内最大級 だ。同会議の広報によれば、会員数は三万五千人にのぼる。四十七都道府県本部のほか、二百二十八支部を擁する。

 

 

中央政界とのパイプも太い。日本会議 の発足と同時に立ち上げた「日本会議国会議員懇談会」(会長・平沼赳夫衆議院議員)は五月現在で二百八十九人が加盟する。

 

 

 

役員には政界の 主要メンバーが並ぶ。安部主将と麻生太郎副総理兼財務相は特別顧問、幹事長は衛藤 晟一(えとう せいいち)首相補佐官だ。会員向けの月刊誌「日本の息吹」0九年九月号で紹介された加盟議員と照らし合わせると、安部内閣の閣僚十九人のうち十三人が懇談 会メンバー。「日本会議内閣」との声も漏れる。

 

冒頭で紹介した地方議連は、会議設立 十周年の0七年にスタートした。加盟議員は千六百人に達する。

 

【関連情報2】

 

▼日本会議とは?(Wikipediaより)

 

日本会議 前身 日本を守る国民会議 日本を守る会

設立年 1997年5月30日

種類 任意団体

本部 日本の旗 日本 東京都目黒区

位置 保守主義

会長 三好達

 

関連組織 日本青年協議会

      神社本庁

      頑張れ日本!全国行動委員会

 

ウェブサイト www.nipponkaigi.org

 

 

公式ホームページでは「美しい日本の再建と誇りある国づくりのために、政策提言と国民運動を行っている民間団体」と自称している。

 

1997年5月30日に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」とが統合して組織された。「守る会」は、神道・仏教系の保守的な政治観を持つ宗教団体によって結成され、政治課題に対して様々な政治運動を行っていた。

 

一方、「国民会議」は、元号法制化を目的に、やはり最高裁判所長官を務めた石田和外らの呼びかけによって1978年に結成された「元号法制化実現国民会議」をもとに、これを改組してつくられ、やはり政治運動を行っていた。

 

 

初代会長はワコール社長の塚本幸一。塚本の死後は、日本商工会議所会頭の稲葉興作が第2代会長に就任。現在の会長は最高裁判所長官を務めた三好達。

 

 

 

神社本庁、解脱会、国柱会、霊友会、崇教真光、モラロジー研究所、倫理研究所、キリストの幕屋、仏所護念会、念法真教、新生佛教教団、オイスカ・インターナショナル、三五教、生長の家等、宗教団体、宗教系財団法人等が多数参加している。

 

特に神社本庁とは、「建国記念の日奉祝式典」や皇室関連の問題への取り組み等、人的交流も盛んである。

 

日本会議と連携する国会議員の組織に日本会議国会議員懇談会、地方議員の組織として日本会議地方議員連盟があり、「国会議員懇談会」には保守系国会議員が約250名、超党派で参加している(1997年5月29日発足。2013年現在の会長は平沼赳夫)。

 

 

組織は都道府県を9区域にまとめ、県毎に県本部を置き、さらにその下に支部が置かれている。各都道府県本部には、専従で勤務する活動家が配置されている。「日本の息吹」という機関誌を月刊で発行している。

 

大企業の役員が役員に数名就任しているが、総会で提出される決算報告書によれば、財界からの大きな財政的支援はなく、運営は主に会費を中心とした収入で賄われている[要出典]。

 

会費は年額1万円。女性については、会費が半額の5千円で男性と同じ権利と特典が得られる「女性会員」の割引制度がある。

 

 

http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/47971da1092e0c6c1461b2166329a081

 

 

 

 

 

日本会議と青年協議会が目指すもの

  • 2017.03.02 Thursday
  • 09:24

 

 

【1】日本会議と安倍政権の繋がりについて

 

 

 安倍政権の閣僚のうちおよそ8割が日本会議に所属することを実際に閣僚名簿を元に、連載1回で確認した。

 

 

さらに「集団的自衛権を合憲とする憲法学者」として与党が国会招致した憲法学者3名が、百地章氏をはじめとしてみな日本会議関連団体に所属していることを連載第9回で確認した。これらの事実から、安倍政権および自由民主党と日本会議との間に密接な関係があると断言しても問題ないだろう。

 

 

 

【2】日本会議の主張について

 

 こうして安倍政権に強いつながりを持つ日本会議が実際にどのような主張をかかげているかについては、連載第2回でその概略を振り返った。

 

 

 

【3】日本会議の運動手法について

 

 男女共同参画へのバックラッシュ・改憲・教科書採択など日本会議の運動目標は多岐にわたる。しかしその運動手法は、「活発な地方活動」で共通することを、連載第2回で指摘した。さらにその地方における活動の実態を、地方議員へのインタビューを通じて連載番外編第2回でお伝えした。

 

 

 

【4】日本会議と宗教団体について

 

日本会議の特色は、その構成団体に多数の宗教団体を抱えている点にあることを、連載3回で、実際に日本会議の役員名簿を振り返る形で確認した。

 

 

 

【5】日本会議の歴史について

 

 日本会議は1997年に発足した。しかしその歴史は前身団体である「日本を守る会」および「日本を守る国民会議」まで遡ることができる。

 

さらにこの両団体の事務局をつとめ、現在も日本会議の事務局を担う日本青年協議会の歴史は、70年安保闘争の頃に出現した民族派学生運動に発端していることを、連載第5回で振り返った。

 

 

 

 日本会議の源流を作り、現在も日本会議の事務局を担う日本青年協議会の思想的背景については、前回の連載第12回で、彼らの内部資料に基づいてお伝えした。

 

 

その内部資料として挙げたのが「神国への構想」という小冊子。

 

この小冊子には「憲法改正ではなく、反憲法的解釈改憲」を基本戦略として運動を展開していくべきであるという「反憲テーゼ」が謳われている。

 

 

 この奇矯な「反憲テーゼ」の根拠となっているのが、生長の家の創始者・谷口雅春が提唱していた、従来の国粋主義や右翼思想とは毛色の違う、「宗教的愛国主義」ともいうべき独特の政治観だ。

 

 

 

 宗教法人としての生長の家教団は、1983年に「生長の家政治連合」(生政連)の活動を停止して以降、政治活動から撤退し、その後は完全に社会運動との関わりを絶っている。

 

 

しかし、日本会議の事務局を担う日本青年協議会のように、現在も谷口雅春が唱導した「宗教的愛国主義」を奉じ、路線変更前の「生長の家」の主義主張を原理主義的に堅持し続けている人々が存在する。

 

 

 

安倍政権の特徴は、日本会議・日本青年協議会のみならず、この「生長の家原理主義者たち」が政権の内外に多数存在する点にあると、筆者は見ている。

 

 

そして筆者がこれまで調査した結果からは、2000年代以降顕在化したチャンネル桜や在特会に代表される「行動する保守」の台頭にも、この「生長の家原理主義者たち」が極めて深く関与している。

 

 

 

日本会議・日本青年協議会をはじめとする「生長の家原理主義者たち」の動きをエビデンスに基づきながら解説し、安倍政権の誕生までの経緯や、「行動する保守」の濫觴について解説していく。

 

 

「生長の家原理主義者たち」が安倍政権周辺に構築したネットワークの一端が垣間見れることとなるであろう。

 

 

https://hbol.jp/55073

 

 

 

 

 

日本会議の成り立ち

  • 2017.03.01 Wednesday
  • 08:23

 

 

宗教団体の集まりとしてスタートした「日本を守る会」

 

 

 元号法制定運動を推進した「日本を守る会」の発起人は鎌倉円覚寺貫主・朝比奈宗源。彼があるとき伊勢神宮に参拝し「世界の平和も大事だが今の日本のことをしっかりやらないといけない」と「天の啓示」を受けたのだという。

 

 このような宗教的な経験がきっかけであるため、「日本を守る会」はあくまでも宗教者と文化人の集まりとして政治家や経済人は入会させなかった 。

 

 実際、「日本を守る会」設立当時の役員名簿をみると、明治神宮、浅草寺、臨済宗、仏所護念会、生長の家等々と、宗教団体の名前ばかりである。 現在の日本会議の持つ「宗教団体の連合体」という側面が、「日本を守る会」から受け継がれてきたものだということがよくわかる。

 

 

一方で、今の日本会議の役員名簿からは消えている宗教団体がある。

 

 そう。「生長の家」だ。

 

現在の「生長の家」は「エコロジーリベラル」ともいうべき路線を採用しており、日本会議とは一切の人的交流はない。

 

 しかし、当時は違った。

 

 

 

「生長の家」の社会運動と民族派学生運動

 

 

「生長の家」の創始者・谷口雅春は、終戦直後から「明治憲法復活」「占領体制打破」をスローガンに積極的な言論活動を展開しており「愛国宗教家」との異名を持つほどであった。また、強烈な反共意識とおりから勃興する創価学会への警戒心に基づき、積極的な社会運動を60年安保の頃から展開してもいた。

 

 こういった谷口雅春と「生長の家」の保守運動は、当時盛んであった学生運動の分野にも及ぶ。

 

 「生長の家」信者の子弟からなる「生長の家学生会」が結成されたのは1966年。

 

 ちょうど、左翼側では「ブント」が再興されたり、三派全学連が羽田闘争を開始したりと、後年「70年安保」や「全共闘運動」などとよばれる左翼学生運動の下地が整いだしたころだ。

 

その後、左翼学生運動は拡大を続け、全共闘運動は全国各地に波及し、各地の大学でバリケードによる教室封鎖やセクトによる自治会占拠などが相次ぐようになる。右翼学生は各地の大学にいたものの、質・量ともに左翼学生運動に太刀打ちできない。

 

 

そんななか、社青同(日本社会主義青年同盟)が占拠し授業中断が続いていた長崎大学を「正常化」することに「生長の家学生会」に所属する学生達が成功する。

 

 

「長崎大学で、右翼学生が、左翼学生からキャンパスを解放した」というニュースは全国の大学で圧倒的劣勢に立つ右翼学生運動の希望の星となった。

 

長崎大学学園正常化を勝ち取った学生たちは、民族派学生のなかで一躍ヒーローとなり、彼らの運動手法は「九州学協方式」として全国の右翼学生達にとりいれられていく。そして長崎大学での成功と実績を元に「生長の家学生会」を中心とし「民族派の全学連」を結成すべく、「全国学協」が1969年に設立される。

 

 

 しかし、「全国学協」の結成は、いささか遅きに失した。

 

 ノンポリの学生をも惹きつけ全国各地に飛び火した全共闘運動を代表とする左翼学生運動は、すでに69年の安田講堂事件や日大闘争を境に下火になりつつあった。

 

 運動の主軸が「左翼学生運動への対抗」でしかない民族派学生運動としては、目標を失ってしまった格好だ。左翼学生運動という敵を失った彼らは御他聞に洩れず内ゲバに走るようになる。

 

 

 

 

村上正邦と「日本を守る会」

 

 「日本を守る会」が結成され元号法制定運動に取り組み出した1974年は、ちょうど、目標を失った民族派学生運動の迷走がピークを迎えたころに重なる。

 

 この頃「日本を守る会」の事務局を取り仕切っていたのが村上正邦だ。

 

 後年「参院の法王」とまでよばれるようになる彼だが、当時は「生長の家」の組織候補として自民党から1974年の参院選挙に初出馬するも落選した直後ということもあり、生長の家を代表して「日本を守る会」の事務局の中心メンバーとして活動していた。

 

 

「日本を守る会」のデビュー戦として村上正邦がプロデュースしたのが、「昭和天皇在位50年奉祝行列」だ。

 

この提灯行列は明治神宮の潤沢な資金や各種宗教団体の動員力をベースに成功裏に終わる。しかし村上正邦は、肝心の元号法制定運動の手応えを感じることができないままでいた。

 

 そこで、彼が目をつけたのが、「全国学協」のOB組織「日本青年協議会」だ。

 

 

前述のように、「全国学協」の前身は長崎大学で社青同のバリケードを解除し「学園正常化」を勝ち取った「生長の家」学生信者グループだ。その延長で結成された全国学協もOB 組織の日本青年協議会も、「生長の家」信者がその大半を占めている。生長の家の信者として「日本を守る会」の事務を取り仕切る村上正邦にとっては、同じ宗教の信者同士だ。

 

 

なによりも、日本青年協議会を率いる人々は、長崎大学正常化運動を勝ち抜いた闘士であり、民族派学生運動のヒーロー。長年学生運動の現場で左翼学生運動と対峙し、左翼の運動手法も組織の動かし方も熟知している。これほどの適任者はいないだろう。

 

 

 

 

日本青年協議会と椛島有三の登場

 

 かくて、1977年、日本青年協議会は、「日本を守る会」の事務局に入る。

 

 実質的に事務を取り仕切ったのは、日本青年協議会書記長 椛島有三(かばしまゆうぞう)。

 

 彼こそが、長崎大学学園正常化運動のリーダーだった人物であり、民族派学生として日本ではじめて左翼学生運動に対する勝利を収めヒーローとなった人物だ。

 

 

椛島は「日本を守る会」に元号法制化運動の進め方について次のような提案をする。

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 この法制化を実現するためには、どうしても国会や政府をゆり動かす大きな力が必要だ。それには全国津々浦々までこの元号法成果の必要を強く訴へていき、各地この元号問題を自分たちの問題として取り上げるグループを作りたひ。そして彼らを中心に県議会や町村議会などに法制化を求める議決をしてもらひ、この力をもって政府・国会に法制化実現をせまらう

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 その後、元号法制定運動は、「日本を守る会」に集まる各種宗教団体の動員力を利用して椛島の戦略どおりに全国的に展開され、わずか2年という短期間で元号法の制定を勝ち取ったのだ。

 

「国会や政府をゆり動かすために」「全国津々浦々各地に自分たちの問題として取り上げるグループを作り」「県議会や町村議会などに法制化を求める議決をしてもらう」

 

 

 

読者はもうお気づきであろう。

 

 1977年に椛島有三が元号法制定運動で提示したこの戦略の基本パターン。「日本会議の運動手法」そのものだ。

 

 日本会議は1977年の元号法運動の成功パターンをいまも繰り返しているのだ。

 

 

 

「椛島有三」という男

 

 長崎大学学園正常化闘争で民族派学生運動のヒーローとなり、長じて社会人になってからは元号法制定運動を短期間で成功に導いた椛島有三。

 

 彼は、この実績をベースに、保守陣営の中で頭角を顕すようになる。そして、2015年の現在も、我々の眼前にそびえる巨大組織・「日本会議」の事務総長として君臨している。

 

 次回も分析を進める。

 

 https://hbol.jp/33119

 

 

 

国家神道と戦争

  • 2017.02.06 Monday
  • 09:04

 

 

日本を戦争へ暴走させた原因は国家神道を抜きにしては考えられない。

 

 

天皇を現人神(あらひとがみ)として絶対化し、古事記・日本書紀を唯一の神典とした国家神道は、明治維新から昭和20年の敗戦に至るまで約80年間、国民全体を支配していた。

 

 

しかも他の宗教を超越した国教として、その教義に合致しない信仰を排除・禁圧し、国民の生活や意識のすべてにわたって深い影響を及ぼした。

 

 

 

それにしても、もともと神道とは何であったのか、参考文献をもとにさかのぼって考え直してみたい。

 

 

 

本来、古神道には文書として記録した教義はない。それは日本の風土に密着した生活習慣であったという。

 

 

つまり、豊かな自然ときれいな水に恵まれた島国である故に、山川草木に神が宿る自然崇拝が生まれ、ハライ、ミソギによって身心の穢れを浄めることが何より大切な伝統となった。

 

 

 

さらに1万年前までさかのぼる縄文時代の遺跡発掘やアイヌ文化によって推定されるところでは、火と水の神を中心として「独り占めしないオキテ」のもとに共同体を形成し、魂の生まれ替わりを信じて生活していた。

 

例えば青森県の三内丸山遺跡では、約2千年にわたって500人ほどの縄文人たちが同じ地域に生活していたことが推定されている。

 

 

 

やがて3世紀に入ると、強大な権力者の支配を示す古墳が造営されるようになり、海外から渡来した部族によって縄文人が追い払われ、8世紀には天皇の祖先を祀る天つ神を中心とする記紀神話がつくられる。

 

 

 

村上重良氏(宗教学者)によれば、神道は自然発生的な神社神道、仏教や儒教と混合した習合神道、天皇の祖先神を祀る皇室神道に分類される。

 

 

 

明治維新時の国際情勢は、欧米の帝国主義はアジアに触手を伸ばしていた。イギリスは中国とのアヘン戦争に勝って中国を侵略し、帝政ロシアは樺太から北海道を窺っていた。

 

 

ついにアメリカが浦賀に黒船を乗り入れて通商を強要するに至ったが、鎖国の夢を破られた幕府はまともに対応する能力を失って右往左往するだけであった。

 

 

 但し、欧米の制度や文明文化を輸入することはできても、その精神的なバックボーンとなっているキリスト教だけは取り入れるわけにはいかない。欧米諸国はキリスト教の伝道を使命として植民地拡大を正当化している。

 

 

そこでキリスト教の代わりに、国家神道を国教として徹底的に国民を教化し、帝国主義国家の体制を固めようとした。それは皇室神道の下に神社神道を再編成した政治的な作為による国教であった。

 

 

古くから権威を保っていた京都の吉田神道も廃止された。神仏分離を掲げて寺院を破壊する極端な行為も是認された。例えば奈良の興福寺五重塔は個人に250円で売られたが、壊す費用が高くつくので破壊を免れたという。

 

 

 

さらに明治政府は、イエス・キリストの代わりに天皇陛下を、聖書には古事記を当てはめて、一神教のごとく他の神々を異端として抑圧した。

 

 

 

天照大神を最高神とし、それ以外の信仰を禁圧した。思想や言論の自由も同様に抑圧し、国家神道に違反する者を投獄した。

 

 

小学校に天皇陛下の御真影(写真)や勅語を奉安殿に祀り、神として最敬礼すること、天皇のために命を捧げることが強制された。

 

 

伊勢神宮が聖地となり、皇室神道に儒教をプラスした教育勅語を教典として国粋主義の教育が行われた。

 

 

 

忠君愛国、滅私奉公、忠孝一致、一億一心、、神州不滅、武運長久等々、今ではすっかり忘れられた標語が全国民の耳目を覆いつくした。

 

 

事実、国内では極度の耐乏生活にもかかわらず泥棒その他の犯罪は殆どなかったが、その代わり戦地では戦死者が200万を超え、南方戦線の島々で戦死した兵士の6割ほどが、じつは餓死であったという悲惨な地獄絵図がくり広げられた。

 

 

 

国家神道は、まさに疑似キリスト教であった。これは個人の主観的な主張ではなく、小室直樹氏ほか専門の学者が指摘しているところでもある。

 

 

 

中世以来のキリスト教は、十字軍をはじめとして異教徒の処刑・殺害を見許していた。そのキリスト教を国教とする西欧諸国は、アジアをはじめ世界各地の植民地化に乗り出し、伝道者がその先兵となっていた。

 

 

 

アメリカの悲惨な奴隷制度は、すべて西欧のキリスト教国による人種差別の産物であった。「八紘一宇」(天皇の威光を世界の八方に拡げ一つの家にする)を旗印に掲げた超国家主義の軍部独裁による「聖戦」は、まさに欧米諸国の模倣であった。

 

 

 

しかも国内では、天皇の名の下に一切の自由を抑圧して無謀な戦争へ突入し、民衆を赤紙一枚で戦場へ駆り立てた。治安維持法、不敬罪、宗教団体法などの悪法が次々に制定施行された。国民の人権は全く認められず法律で禁圧された。

 

 

こうした社会を正当化する大日本帝国は、前述の通り疑似キリスト教というべき国家神道を根底にしていた。植民地獲得の戦争を聖戦と信じさせるために国家神道が果たした役割は大きい。

 

 

 

明治以来の大日本帝国は欧米の尻馬に乗って、欧米に遅れじと武力による植民地獲得と支配の野望を追求しようとした。

 

 

http://www.geocities.jp/shougen60/kokkasinto.html

 

 

 

 

☆ 今 この時代に戻そうとする 塚本幼稚園などは 恐ろしいですね。

 

引用させていただいた記事には、納得できないところ (例えば 今も天皇神格化は相変わらず続いていて、大日本帝国が人々の意識に入り込んでいると思うので)、ある部分はぬかしました。

 

 

人が戦争に行くという行為は、アヘンのように、刷り込まれた 宗教的な高揚感なくしてできないと思います。

 

そこに、天皇と言う存在を利用した。

 

 

おまけに、天皇財閥は戦争に行かず、あるいは、行ったとしても安全地帯で、ビジネスとして、大いに稼いだ。

 

 

キリスト教、欧米だけを悪魔化するのは、幼稚な日本なりすましのやり方です。

 

 

キリスト意識をはく奪した、悪魔教が、キリスト教と名乗っているだけです。

 

 

日本は、天皇教を、それとなく強要する勢力がいるのであれば、決して 多神教でもなんでもない。

 

ただの一神教、カルトです。

 

 

 

 

 

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