天皇の沖縄メッセージ 

  • 2018.05.20 Sunday
  • 23:59

 

 

☆ あくまでも  ,任后

 

このメッセージに対する 思い や 評価は 通常通り

 

分かれるからです。

 

戦争は 軍部の暴走で ヒロヒトは 戦争に反対だった という 素晴らしい説は いつでも沸き起こる国なので

 

あくまでも ,任后

 

 

 

〇 天皇メッセージ

 

 

米国国立公文書館から収集した“天皇メッセージ”を公開しました。(平成20年3月25日)

 

 

同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモです。【資料コード:0000017550】

 

 

内容は概ね以下の通りです。

 

(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。

 

(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。

 

(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。

 

 

メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、

 

共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。

 

 

1979年にこの文書が発見されると、

 

象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。

 

 

天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、

 

長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、

 

その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。

 

 

http://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5392

 

 

 

 

☆ 非人 の 非情さ 身勝手さを 見ます。

 

琉球を 強奪した という その歴史です。

 

 

 

沖縄の天皇メッセージを隠して被害者を装う国体  米軍を必要とする明治日本

  • 2018.05.06 Sunday
  • 23:45

 

 

☆ ヒロヒトが 沖縄での米軍を望んだメッセージは アメリカでの一定期間を過ぎてから 機密が解除されて 知らされることになった。

 

そうでなければ 永遠に ずっと アメリカの 戦勝国としての暴挙だと この国は 言っていっただろう。

 

 

今でも 天皇メッセージを取材しようとすると 公安がやってきて 阻止するということが ツィートさんから知らされる。

 

最強である 事実を知らせないというこの力は 日本にある。

 

 

 

〇 日米会談で、トランプ氏が安倍総理に 在韓米軍撤退の考えを伝えていたことを読売新聞がバラす!

 

総理はトランプ氏の軍事削減に反対!

 

 

https://yuruneto.com/trump-abe-zaikan/

 

 

 

 

▲ 安倍がトランプに、在韓米軍の撤退は「東アジアの軍事バランスを崩すことへの懸念を示し、反対する意向を伝えた」と。

 

本物の日本の首相だったら沖縄米軍の撤退も一緒に要望すべきだった。

 

安倍が米軍の撤退に反対する真の理由は、安保利権と米軍による日本支配の継続のためだ。

 

https://twitter.com/hyodo_masatoshi/status/992725820329226240?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=https%3A%2F%2Fyuruneto.com%2Ftrump-abe-zaikan%2F

 

 

 

▲ 在日米軍を望んでいるのは 日本 !

 

 

 

☆ 天皇が わざわざ 沖縄訪問 慰霊 というセレモニー。

 

本当に政治をしていたことが 最近 ガラス張りに 良く見える。

 

 

安保と 米軍残留 と 朝鮮国連軍の 残留は エリザベス 天皇 というディープステートの存在に関わるでしょう。

 

 

アベ一人を悪者にしてもよいので ということは まるで 東京裁判劇のようですが ・・・

 

 

変わっているのだ実は ・・・

 

トランプ氏の 暴挙にも見える政策は 実際は ディープステートを撲滅するための 分かりずらいやり方なのだと 思います。

 

 

  

 

 

 

目取真俊氏が語る 沖縄と天皇制

  • 2018.04.27 Friday
  • 00:07

 

 

 先の明仁天皇・美智子皇后の沖縄訪問(3月27日〜30日)は、「本土」メディアはもちろん沖縄県紙(琉球新報、沖縄タイムス)も、

 

「乗松聡子の眼」(4月4日付琉球新報)などごく一部を除き、「賛美」一色でしたが、

 

25日付の琉球新報に的を射た論評が載りました。

 

目取真俊氏(作家)のコラム「季刊 目取真俊」(第13回)です。要点を抜粋します(丸カッコ、太字は私)。

 

 

 <裕仁天皇が死去し、沖縄戦の体験者も少なくなっていくなかで、「慰霊の旅」や「沖縄への思い」を前面に出した明仁天皇の度重なる来沖が、県民の反発を鎮静化する効果をあげたのは事実だ。

 

しかし、それによって昭和天皇の戦争責任問題が深められたわけでもなければ、天皇制が持つ問題が解決されたわけでもない

 

 

 <サイパン島やペリリュー島まで足を運んだ明仁天皇も、韓国を訪れることはできていない。

 

近代日本のアジア侵略と植民地支配、戦争による加害の問題の中心にある天皇制に対し、被害を受けた側はその深さを忘れることはない

 

 

<沖縄にとっても忘れてすまされるものではない。

 

1879年に武力による威嚇のもと琉球国が滅ぼされ、日本国に併合された(いわゆる「琉球処分」)。

 

それは日本の帝国主義的なアジア侵略の先駆けであったが、そういう被害の側面と同時に沖縄は、日本への同化が進むとともに

アジア侵略の一翼を担った加害の側面を持つ。

 

被害と加害の二重性を持つ独自の位置から、沖縄と天皇制、アジア諸国との関係を問い直す作業が常に必要だ>

 

 

 

 <明仁天皇が来沖した3月27日は、「琉球処分」が行われた日だった。

 

また、与那国島に訪問した28日は、陸上自衛隊沿岸監視隊が発足して2年の記念日だった。

 

同日は慶良間諸島の渡嘉敷島で強制集団死(いわゆる「集団自決」)が起こった日でもあり、このような日程の組み方はただの偶然ではあり得ない

 

 

 

 <明仁・美智子夫妻が初めて先島地域を訪れたのは2004年の1月。

 

その3カ月後、辺野古では海底ボーリング調査の工事が始まり、陸上と海上で激しい抗議行動が取り組まれた。

 

この頃から自衛隊の南西方面重視や島嶼防衛の強化が言われ出す。

 

(2004年12月の「新防衛計画大綱」閣議決定、05年1月の防衛庁「南西諸島有事」方針、同8月の「大江・岩波沖縄戦裁判」にふれて)

 

明仁・美智子夫妻が最初に先島地域を訪れてからの14年間とは、辺野古新基地建設が強行されると同時に、先島地域への自衛隊配備が着々と実現されていった時期でもあった。

 

沖縄戦の犠牲者に対する慰霊の裏で、中国に対抗するために沖縄のさらなる軍事要塞化が進められていたのだ

 

 

 <それは沖縄が今でも、日本=ヤマトゥの利益のために戦争の前面に立たされ、いざとなれば切り捨てられる「捨て石」の位置に置かれていることを意味する>

 

 

 天皇・皇后の度重なる沖縄訪問・アジア地域への「慰霊の旅」の背景、政治的意図、歴史的意味への見事な照射です。

 

 

 そして、目取真氏がこの論考を締めくくっている次の一文に、胸を衝かれました。

 

 <天皇が何度も来たから自分たちも一人前の「日本人」として扱われていると考えるなら愚かなことだ>

 

 

 

  沖縄県民に向けての一文ですが、この意味をかみしめなければならないのは、ヤマトゥである私たち「本土」の人間ではないでしょうか。

 

なぜなら、この言葉の背景には、明治以降の日本による沖縄差別・植民地支配、天皇制による「同化政策」の歴史があるからです。

 

 

 

 目取真氏は別の所でこう語っています。

 

 <沖縄はもともと、天皇制、天皇家とは無縁な島だったはずです。

 

…それが「琉球処分」により日本の植民地として領土の中に組み込まれ…日本への同化が進められます。…

 

国家神道の下に統合されていきます。…

 

同化教育=皇民化教育を推し進め、沖縄人を天皇のために命を捧げる臣民へと変えていったのです。

 

 

 しかし、そうやって懸命に日本人になろうとしても、沖縄人はしょせん「二等国民」として差別されていました。

 

その差別から脱するために、より立派な日本人になろうと努め、戦場に駆り出された学徒兵は命を投げ出します。父もそのひとりだったのです>

 

 

 <日本に「併合」されて以降の沖縄人は差別への恐怖心を植えつけられます。

 

そして差別から逃れようとあがき、みずから「琉球的なるもの」を否定して、立派な日本人になろうと努力し続けたのです。

 

 

 一見、沖縄人がみずから進んで行ったかのように見えるヤマトゥへの同化の裏には、そのような差別と脅迫=強制の構図があったことを見なければなりません。

 

差別がもたらす暴力とそれへの恐怖心に支えられて同化教育=皇民化教育は進められていったのです>(目取真俊氏『沖縄「戦後」ゼロ年』生活人新書2011年)

 

 

 

  私たちはこの指摘を胸に刻まねばなりません。

 

  そして今、「象徴天皇制」の下で繰り返された天皇・皇后の「沖縄訪問」は、天皇自らが行っている今日の「同化政策」と言えるのではないでしょうか。

 

 

 さらに、天皇による「同化政策」は、沖縄だけでなく、「本土」の日本人に対しても行われているのではないでしょうか。

 

天皇の「公的行為」による「国家への同化」として(「春の園遊会」)

 

 

https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/a34ee888bd0a80562564949ed9da0361

 

 

 

 

 

アキヒトの沖縄   明治からの血

  • 2018.04.05 Thursday
  • 00:05

 

 

「米軍基地」については質問なし

 

 

 今回訪沖した天皇・皇后に対し、翁長雄志知事は27日那覇市内のホテルで「沖縄の伝統文化や米軍基地の現状、経済動向などを説明」(28日付沖縄タイムス)しました。

 

翁長氏がどんな説明をしたのか注目されますが、内容は明らかにされていません。

 

 

 ただ明らかなのは、天皇・皇后から「なぜ観光が伸びているのか」「農業ではどの分野が伸びたのか」などの質問はあったけれど、

 

「米軍基地の現状では、両陛下から質問はなかった」(翁長氏の27日の記者会見、28日付沖縄タイムス)ということです。

 

 

 普天間基地周辺の保育園や小学校への米軍機部品落下、民有地への米軍ヘリ墜落、そして辺野古での新基地建設をめぐる攻防が大きな問題になっているにもかかわらず、天皇・皇后は米軍基地(基地被害)については何も質問しなかったというのです、「観光」や「農業」には関心を示したけれど。

 

 

 これでは「これ以上の基地負担を拒否するという県民の訴えを(天皇・皇后は―引用者)来県中に受け止めてほしい」(28日付琉球新報社説)という沖縄の声もむなしく響くだけです。

 

 

 誤解のないよう付け加えますが、天皇が米軍基地についてなんらかの発言を行うべきだと言っているのではありません。

 

憲法上、天皇が政治的発言を行うべきでないことは明白です。天皇にそうした発言を求めるのは誤りです。

 

 

 しかし、明仁天皇はこれまで、憲法を無視してたびたび政治的発言を行っています。その典型は、憲法に明記されている「摂政」を否定して自ら「退位(譲位)」の意向を示した「ビデオメッセージ」(2016年8月8日)です。

 

 

 政治的発言を繰り返している明仁天皇が、沖縄に来て知事から「米軍基地の現状」について説明を受けながら、アメリカや日本政府への配慮からか、何も質問しなかった。それで「沖縄に寄り添っている」と言えるのか、ということです。

 

 

 

一言も「謝罪」なし。責任は「国民全体」に転嫁

 

 

  初めての訪沖で「ひめゆりの塔」で火炎びんを投げられた明仁皇太子は、その夜、「談話」を発表しました(1972年7月17日)。

 

 

それが「沖縄に寄り添う」ものとして称賛されていますが、はたしてそうでしょうか。「談話」の内容はこうです。

 

 

 「沖縄は、さきの大戦で、わが国では唯一の、住民を巻き込む悲惨な犠牲を払い今日にいたったことは忘れることのできない大きな不幸であり…

 

人々が長い年月をかけてこれを記憶し、1人1人、深い内省の中にあって…ともどもに力を合わせて努力していきたいと思います」

 

 恒例の「誕生日にあたっての会見」でも、明仁氏はしばしば沖縄について言及しています。

 

 

 「沖縄の歴史を深く認識することが、復帰に努力した沖縄の人々に対する本土の人々の務めであると思います」(1996年12月、63歳の誕生日)

 

 

 「先の大戦でも大きな犠牲を払い…念願してきた復帰を実現した沖縄の歴史を、人々に記憶され続けていくことを願っています」(2002年12月、69歳の誕生日)

 

 

 「沖縄は、いろいろな問題で苦労が多いことを察しています。…日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労している面を考えていくことが大事ではないかと思います」(2012年12月、79歳の誕生日)

 

 

 以上の「談話」や「会見」には共通した特徴があります。

 

 それは、沖縄戦の「犠牲」や米軍基地などによる今日の沖縄の「苦労」を第三者的にとらえていることです。

 

 そこには、「国体(天皇制)護持」のために沖縄を「捨て石」にし、戦後も「天皇メッセージ」で沖縄をアメリカに売り渡した張本人である父・裕仁天皇(昭和天皇)の戦争・戦後責任についての自覚は皆無です

 

その裕仁天皇の長男であり、裕仁天皇から「皇位」を継承して天皇となっていることへの自責の念はまったく感じられません

 

 

 火炎びんを投げられた時、同行していた屋良朝苗知事(当時)に、「『気にしないでください』と声を掛けた」(26日付沖縄タイムス)といいますが、

 

自分を「被害者」としか考えていないこの言葉にもそれが表れているのではないでしょうか。

 

 

明仁氏は皇太子、天皇時代を通じて、沖縄(住民)に対して、一度も一言も「謝罪」したことはありません。

 

それが沖縄に対する姿勢を端的に示しています。

 

 

自分が「謝罪」しない代わりに、「人々」「1人1人」「日本全体の人」「皆」などと、沖縄に対する責任を「日本国民」全体に転嫁しています。

これは現代版「一億総ざんげ」論と言えるのではないでしょうか。

 

 

 本家本元の「一億総ざんげ」論は、敗戦直後に裕仁天皇が任命した「皇族内閣」・東久邇稔彦内閣が主張したものでした。

 

天皇の戦争責任追及を避け「国体(天皇制)」を守るためでした。明仁天皇の言葉・姿勢はそれと無関係ではないでしょう。

 

 

 天皇の戦争責任を棚上げして「国民全体」に責任を転嫁する考えは、明仁氏が皇太子時代から習得してきたものです。それを教えたのは父・裕仁天皇でした。

 

 

 裕仁天皇は敗戦の年(1945年)の9月9日付で、日光に疎開していた明仁皇太子に手紙を出しています。

 

そこで敗戦の原因についてこう書いています。

 

「我が国人が あまりに皇国を信じ過ぎて 英米をあなどったことである」。

 

自らの責任については一切口をつぐみ、国民と軍人に責任を転嫁したのです。(ハーバート・ビックス『昭和天皇 下』講談社学術文庫より)

 

 

 「皇太子は敗戦の要因を、国家の指導者や政治制度よりも、むしろ日本の国民に帰していた。

 

『日本人が大正から昭和の初めにかけて国の為よりも私事を思って自分勝手をしたために今度のような国家総力戦に勝ことが出来なかったのです』(45年の明仁皇太子の「日記」―引用者)。

 

そして、いまやとるべき唯一の道は天皇(昭和天皇―引用者)の言葉に従うことであった 」(ハーバート・ビックス氏、同)

 

 

 そして戦後、明仁皇太子が教育係の小泉信三を通じて福沢諭吉の「帝室論」に強い影響を受けたことは先に見た通りです(3月1日のブログ参照)。

 

 

 結局、明仁天皇の「戦争」観、「皇室」観は、父・裕仁天皇と、教育係・小泉信三、そして福沢諭吉の「帝室論」によって形成されたと言っても過言ではないでしょう。

 

 その要点は、天皇(制)の戦争・戦後責任は棚上げし、「国民全体」に責任転嫁し、自らは「国民」の上に立って「民心融和」を図り、もって「国体」=天皇制を護持することです。

 

 皇太子時代からの明仁天皇の「公的活動」はその”思想と使命感”に貫かれていると言えるでしょう。「沖縄訪問」もけっしてその例外ではありません。

 

https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/6818c2d47b41f309ef721019de7cd6ed

 

 

 

☆ ここまで 洗脳するには 国全体にはりめぐらされている 工作員が 必要です。

 

それは 警察 宗教 司法 教育 そして 今なら ネトサポ ネトウヨです。

 

 

田布施朝鮮族の 伊藤博文が 明治の天皇すり替えについて 一切 口を開いてはならないという命令を 「不可侵」という文言を 自身が作った憲法に入れたのですね。

 

 

同じ血 が ずっと続いていて その頂点に 据えられた天皇。

 

まるで 悪いドラマを見ているようです。

 

 

沖縄は 天皇の命令です。 

 

そうでなければ とっくに 米軍は いないでしょう。

 

 

 

 

 

天皇は沖縄に寄りそうという 幼児並みのプロパガンダに生きる偽国家

  • 2018.03.30 Friday
  • 00:02

 

 

 明仁天皇、美智子皇后の沖縄訪問に対し、「本土」メディアも沖縄県紙も「沖縄に寄り添う平和天皇」という賛美一色です。

 

天皇・皇后の「沖縄に寄り添う」は本当でしょうか。

 

 

 

 皇太子時代を含め11回の天皇・皇后の沖縄訪問を振り返ります。

 

    県民の「訪問要請」は8〜11年棚上げ

 

 明仁天皇(当時皇太子)が沖縄県民から最初に直接「沖縄訪問」を要請されたのは、少なくとも54年前の1964年です。

 

 

 当時ハワイ大の留学生だった高山朝光氏(後の知事公室長)は、皇太子夫妻がハワイを訪れた際、交流会で、

 

「何としても早い時期に沖縄訪問を」(27日付沖縄タイムス)と「直訴」。

 

高山氏は「天皇のため、国を守るために犠牲になった人々のみ霊に直接花を手向け、慰霊してほしかった」(同)と述懐しています。

 

 

 しかし、明仁皇太子が沖縄を訪れたのはそれから11年後の1975年7月が最初でした。県民の直接の訪問要請は11年間棚上げされたのです。「復帰(1972年)」から数えても3年たっています。

 

 

 「対馬丸記念館」も同様です。

 

 

 同記念館理事長の高良政勝氏は、

 

「06年計2回、宮内庁に記念館への訪問を要請」(26日付沖縄タイムス)しました。

 

2012年の天皇訪沖(4回目)の際は那覇のホテルで、「(ここから)車で5分ほどです。ぜひいらしてください」(同)と直接要請。

 

 しかし、天皇・皇后が「対馬丸記念館」を訪れたのは2014年6月。宮内庁への2回の要請から8年、那覇での「直訴」からも2年たっています。

 

 「沖縄に寄り添っている」と絶賛するには、あまりにも鈍い県民要請への反応ではないでしょうか。

 

 

 

    天皇・皇后が行かなかった所こそ

 

 今回の与那国島を含め、天皇・皇后はこれまでに5つの離島を訪れています(石垣島、宮古島、伊江島、久米島)。

 

いずれも米軍、自衛隊にとって軍事的に重要な島です。それだけではありません。

 

 

 宮古島には戦時、強制的に皇軍(日本帝国軍)の「慰安婦」とされた「朝鮮人慰安婦」の碑・「アリランの碑」があります。与那国島にも「朝鮮人慰安婦」埋葬地があります。

 

 

   

 

 

 久米島は皇軍(鹿山隊)によって「スパイ」の濡れ衣を着せられた住民(朝鮮人家族を含む)が虐殺された島です。

 

 

鳥島地区には虐殺事件の追悼碑・「痛恨之碑」があります。

 

碑の正式名称は、「天皇の軍隊に虐殺された久米島住民久米島在朝鮮人 痛恨之碑」です。

 

 

     

 

 天皇・皇后は宮古島、久米島を訪れながら、これらの追悼碑には目もくれませんでした。

 

 

 

 「対馬丸記念館」(那覇市)訪問(2014年6月27日)は「平和を願う天皇」の代表例のように言われていますが、そうでしょうか。

 

 

 そもそも対馬丸の撃沈で780余人の学童が犠牲(1944年6月22日)になったのは、

 

「軍の作戦上住民は邪魔。食糧確保も困難になる」(第32軍・長参謀長)という皇軍の戦略で強制的に「疎開」させられたからです。

 

天皇にその認識(罪の意識)はあったでしょうか。

 

 

 

 「記念館」のすぐ横には、沖縄戦の民間船舶の犠牲者(沖縄関係者約3400人)の追悼の碑・「海鳴りの像」があります。

 

 

     

 

 

天皇が「対馬丸記念館」を訪れると聞いた戦時遭難船舶遺族会は、「ぜひ海鳴りの像へも」と文書で宮内庁に要請しました。

 

しかし天皇・皇后は行きませんでした。

 

対馬丸の碑「小桜の塔」には行きながら、目と鼻の先の「海鳴りの像」は素通りしたのです。沖縄戦で遭難した船舶26隻のうち対馬丸を除く25隻を追悼しているのが「海鳴りの像」であるにもかかわらず。

 

 

 

 「対馬丸記念館」と「海鳴りの像」の違いは何でしょうか。

 

対馬丸が国の命令による疎開の犠牲であり、記念館の運営には国家予算が投じられているのに対し、「海鳴りの像」の民間船舶には何の補償も予算措置ないことです。

 

 

 沖縄には約600といわれる「ガマ・壕」があります。

 

住民の逃げ場所でありながら、皇軍(日本軍)に追い出されたり、「集団強制死(集団自決)」を余儀なくされた場所です。

 

不衛生のためマラリアの犠牲になった住民も多数ありました。

 

 

 読谷村には「恨之碑」があります。

日本によって朝鮮から強制連行され奴隷的に軍務に従事させられた「朝鮮人軍夫」を悼む碑です。

 

 天皇・皇后はこうした場所には見向きもしませんでした。

 

 

 結局、天皇・皇后の「沖縄訪問」は、「海洋博」(開会式1972年、閉会式76年)、「海邦国体」(87年)、「植樹祭」(93年)、「海づくり大会」(2012年)などの国家的イベントであり、「慰霊」で足を運んだのは「国立」の「墓苑」です。

 

 これは「沖縄の靖国化」といえるのではないでしょうか。

 

 

 天皇・皇后が素通りした所、見向きもしなかった所こそ、沖縄戦、「天皇の軍隊」の実態・本質を示す場所ではないでしょうか。

 

 

本当に「沖縄に寄り添う」というなら、こういう所にこそ行くべきではないでしょうか。

 

 

 次回(明後日)は、天皇自身の発言から「沖縄訪問」の意味を検証します。

 

 

https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/cf42add913e92feb11b549ff05ffce0f

 

 

 

☆ この国を徹底支配している 霊波動は この 偽天皇家の 魂です。

 

それが どういうものか ・・・ 今の 政府をみれば 端的にわかります。

 

けれど 彼らのサイド 朝鮮ヤクザとでもいうべきか は 決して負けることはありません。

 

良心もなく 魂もないのであれば ある意味 これほど 強いことはありません。

 

 

今の政権が倒れないのであれば

 

日本という国は 宇宙の笑いものですが 

 

それでも 天皇礼賛という 善悪を捨てきったプロパガンダが通用する国が破滅するこののほうが大切で

 

一般庶民が

 

そこから脱却することのほうが 何倍も 何倍も 価値のあることと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の沖縄訪問をアベとの対峙とする 天皇・同和・朝鮮ヤクザNWOの国

  • 2018.03.29 Thursday
  • 00:31

 

 

 

天皇の沖縄・与那国訪問と 日本版海兵隊創設

 

 

 

 天皇・皇后が沖縄・与那国島を訪れる「3月27日」(与那国は28日)とはどういう日でしょうか。

 

 

 佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問は、天皇の訪沖日程決定後に決まったことですが、それ以前から分かっていた重要なことがあります。

 

1つは、73年前に米軍が慶良間諸島に上陸して沖縄戦が始まった(1945年3月26日)翌日だということ。

 

そしてもう1つは、この日が自衛隊(とくに陸自)にとって新・自衛隊誕生ともいえる大きな転換点だということです。

 

 

安倍政権・防衛省は27日、全国5つの陸自方面隊(北部、東北、東部、中部、西部)を一元的に指揮・監督する「陸上総隊」を新たに設置します。

 

同時に、「陸上総隊」の直轄部隊として、水力両用作戦の専門部隊である「水陸機動団」を発足させます。

 

 

いわゆる”日本版海兵隊”です。

 

 

陸自はすでに10年来、米海兵隊との合同訓練で、米軍から水陸両用作戦の指導を受けてきましたが、それを組織的にも制度的にも本格化させようとするものです。

 

 

この陸自新組織について纐纈厚山口大名誉教授は、「最も軍隊らしい軍隊にする。たたかえる軍隊に脱皮していく大きな一里塚だ。”新軍部“の成立ともいえる非常に大きな問題だ」(23日付「しんぶん赤旗」)と指摘します。

 

 

自衛隊の新たな”門出“ともいえるこの日、”日本版海兵隊“が活動することになる与那国島を天皇が訪れるのです。

 

自衛隊にとってこれほどの“祝砲”はないでしょう。

 

 

 

天皇が沖縄行きを希望していることは昨年末から報じられていましたが、宮内庁が日程を正式に発表したのは今月5日。

安倍政権はこの日がどういう日か当然知ったうえで天皇の日程を最終決定したはずです。

 

 

 自衛隊にとって「天皇」は特別な存在です。

 

 

 例えば、現在自衛隊や防衛大学校の観閲式で使われている行進曲は、戦時中の「学徒出陣」などで流された大日本帝国陸軍(皇軍)の公式行進曲(別名『抜刀隊』)そのものです(辺見庸氏『完全版1★9★3★7<上>』角川文庫より)。

 

 

  言うまでもなく、天皇が統帥権を持っていた大日本帝国憲法と違い、現憲法においては天皇と自衛隊には何の特別な関係もありません。自衛隊の最高指揮官は首相です。しかしー。

 

 「自衛隊のなかには、内閣総理大臣のために死ぬというのでは隊員の士気があがらないので、ふたたび天皇を忠誠の対象としようとする動きがあり、天皇と自衛隊との結びつきは、特に一九六〇年代以降、深まっている」(横田耕一氏『憲法と天皇制』岩波新書)

 

 

 「3・11」でも「天皇と自衛隊との結びつき」は深まりました

 

(2016年3月14日、15日のブログ参照 https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20160314、https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20160315)。

 

 

さらに、自民党の改憲草案(2012年4月27日決定)は、前文の冒頭で

 

「日本国は…国民統合の象徴である天皇を戴く国家」であると明記し、

 

「第1章 天皇 第1条」で

 

「天皇は、日本国の元首」と規定しようとしています。

 

「天皇元首化」は「憲法への自衛隊明記」と一体です。

 

「ふたたび天皇を(自衛隊=軍隊の)忠誠の対象」にしようとする動きの典型です。

 

 

 「島嶼防衛」とは島が戦場になることです。

 

逃げ場がない島が戦場になれば、だれよりも島民が多大な犠牲を被ることは、悲惨な沖縄戦で実証されています。

 

その歴史になにひとつ学ぶことなく、安倍政権はふたたび沖縄で、それを繰り返そうとしているのです。

 

与那国島、宮古島、石垣島などへの自衛隊配備強化に対し住民から不安・恐怖・批判が高まっているのは当然でしょう。

 

 

 そうした住民の不安に対し、防衛省は住民説明会で、

 

「本来任務に支障のない範囲において、可能な限り避難住民の運送を支援する」と述べています(瀬戸隆博・恩納村史編さん室嘱託員、22日付琉球新報「沖縄戦にみる島嶼防衛」)。

 

あくまでも軍隊としての「本来任務」を優先し、住民の安全は二の次、「可能な限り」にすぎないと公言しているのです。

 

 

 「島嶼防衛」を口実にした自衛隊強化は、「戦争法」(安保法制)による”戦争をする国“の実践計画であり、絶対に許すことはできません。

 

 

 天皇・皇后は、まさにその重大局面で「沖縄・与那国島」へ行くのです。自衛隊配備強化に反対する島民・世論を抑え、慰撫する役割を果たすことは明白です。

 

 

 今回の「沖縄・与那国島訪問」は、天皇の「公的活動」なるものが「国家」「国家権力」にとってどういう意味をもつものかをあらためて突きつけています。

 

 

https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/b8a6f1b5b5420355de392a4d84d843a5

 

 

 

☆ 象徴とは

 

たんに 死なないための 方便であり

 

明治からの 偽物たちは 政治 軍事 利権の中心であり続けることを 願っていたことは

 

同和ではない人々からは 発信されている。

 

天皇家に 求められているのは

 

気づかせないだけの 「演技力」。

 

 

演技者も それを追求できない国民も 幼稚すぎて 害でしかない。

 

けれど 英国を見ても 偽物って 本当に強いですね。

 

 

 

翁長知事は 天皇の忠臣か?

  • 2018.03.21 Wednesday
  • 00:41

 

☆ 翁長知事が 白ではないという論調は 植草氏も 早くから指摘していました が 翁長知事を応援するしかないような空気でした。

 

結局は ヒロヒトの天皇メッセージの圧力が 勝つ そんな国のようです。

 

アベの上には 天皇がいる、圧力と 威嚇と デスノート。

 

 

 

◎ 翁長雄志沖縄県知事の4回目の訪米(3月11日〜16日)は見るべき成果もなく(というより逆効果ー後日書きます)終わりましたが、1つ重要なことが明らかになりました。

 

「辺野古代替案」をめぐる翁長氏の背信(県民裏切り)です。

 

 

 辺野古岩礁破砕をめぐる那覇地裁判決(13日)が出る重要な時期にもかかわらず(だからこそ?)沖縄を留守にし、あえて訪米した目的は何だったか。

 

 

 「これまで3回の訪米では、米政府や連邦議会関係者との面談に力を入れてきた。

 

だが今回、県は『反対の次を示す時期を迎えた』(県幹部)と方針を変更」(13日付沖縄タイムス)したといいます

 

 

 

 「反対の次」とは何か。「代替案」を公然化させることです。翁長氏自身、出発前はこうでした。

 

 

 「知事は那覇空港で記者団に『沖縄の負担軽減につながる現実的な代替案を探求することが重要だ』と述べ、ワシントンで開くシンポジウムでの研究者らの提言に期待を表明した。

 

知事は…『シンポジウムでいい形で代替案がでてくれればいいと思う』と期待を寄せた」(12日付沖縄タイムス)

 

 

  ところが、帰国すると一転、

 

「翁長雄志知事は…代替案を県独自で策定する考えについて『代替案には妥協が必要になる。沖縄県民が妥協する要素はない』と否定した」(17日付沖縄タイムス)のです。

 

 「訪米前に『代替案を模索する』と言及したことには、

 

『頭の中でぐるぐる巡るものもあるが…沖縄側から発言して良くなることはない。

 

権力として弱い立場の沖縄が代替案を出すのは簡単ではない』と語った」。

 

 

  手のひらを返すようにとはこのことですが、わずか5日でなぜ一転したのか。

 

期待していたシンポジウムで「厳しいものを感じた」(翁長氏、17日付沖縄タイムス)からです。

 

 

    

 

 

 しかし、帰国後の翁長氏の「代替案策定を否定」(17日付沖縄タイムス)の意味は正確にとらえる必要があります。

 

翁長氏は記者団にこう語っているのです。

 

 

 「代替案が出るということは譲歩であり、県民がまだそれを理解するような状況ではない。代替案を出すからには妥協が大事だが、県民が妥協する要素は今のところない」(17日付琉球新報)

 

 

 翁長氏が「代替案に慎重姿勢」(17日付琉球新報)を見せたのは、あくまでも「県民」が「まだ」「今のところ」、「譲歩」「妥協」する状況にないからというにすぎません。

 

5日間で「県民」が変わるわけはありません。

 

出発前に「現実的代替案に期待」(12日付沖縄タイムス)した自らの言明は何だったのか。

 

 

 

 重要なのは、翁長氏の「代替案」模索・提示は今にはじまった話ではないということです。

 

 

翁長氏はこれまで県民の目の届かない水面下で、安倍政権に「代替案」を示し、「妥協・譲歩」の交渉を行おうとし続けてきたのです。今回、翁長氏はそれを自ら認めました。

 

 

 「翁長雄志知事は米軍普天間飛行場の移設先について、過去に日本政府に辺野古移設以外の『代替案』の再考を求めたものの政府側が『辺野古が唯一』と取り合わなかったことを明かした。

 

…県が政府に再考を求めた『代替案』は、過去に識者らが提案したものなどで、中には『県内移設』を伴うものもある」(15日付琉球新報)

 

 

 「翁長雄志知事は…これまでの政府との水面下の交渉で、専門家やシンクタンクが唱える代替案を提示したことを明かした上で『一顧だにされなかった』と説明」(17日付沖縄タイムス)

 

 

 「代替案提示に消極姿勢の背景には、4年前の就任以降、水面下で政府に代替案を示してきたが、一顧だにされなかった経験がある」(18日付沖縄タイムス)

 

 

 驚いたことに、水面下での「代替案」提示、「妥協・譲歩」交渉は「4年前の就任以降」から行われていたというのです。

 

 

 県議会で、翁長氏の意を受けた謝花喜一郎知事公室長は、

 

「県が代替案を検討している事実はない」と再三答弁してきましたが、それは議会と県民をだます虚偽答弁でした。

 

 翁長氏は「代替案」をあきらめたわけではありません。

 

 

 「県は…模索を続けている。知事は『官房長官や副長官、防衛大臣と1、2時間しっかり議論させていただく場をつくっていただかないと、(県が)代替案を出すことはできても、(日米)両政府がそれをどう議論してくれるのか、そこがポイントになると思う』と述べた」(15日付琉球新報)

 

 

 「代替案」をぜひ議論してほしいという安倍政権への懇願です。

 

 

 翁長氏は新基地に反対する県民の声・要望を無視して一貫して「承認撤回」を棚上げし続けていますが、その理由は、「代替案」による安倍政権との水面下交渉のためだったわけです。

 

 

 「代替案」という「妥協・譲歩」が、新基地を絶対に許さない県民の意思に逆行することは明白です。それは「まだ」とか「今のところ」という話ではありません。

 

 

 そもそも「代替案」は、「オール沖縄」の原点である「建白書」(2013年1月28日)にも反しています。

 

 ここには、この4年間の「辺野古新基地」をめぐる沖縄の構図が凝縮されているのではないでしょうか。

 

 

 アメリカに追随し、民意を無視して辺野古埋立・新基地建設を強行しようとする安倍政権。

 

それを現場で体を張って阻止してきた県民・市民、支援する全国の世論。

 

それに対し、翁長氏は安倍政権と正面からたたかうことなく、現場に足を運ぶこともなく、一貫して水面下で「県内移設」を含む「妥協・譲歩」工作を続けてきたのです。 

 

 翁長氏の背信・裏切りの罪はきわめて重いと言わねばなりません。

 

 

https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/80a5a470ba83d1186379882dc32fa205

 

 

 

☆ 沖縄基地を本当に望んでいるのは トランプではなく 天皇です。

 

天皇って 本当にいいですね 

 

泥をかぶるのは いつも 忠実な政治や そうでない政治家は 殺害を命令すればいい。

 

 

沖縄から米軍が撤退する ・・・ それは 日本人にとっての朗報であり 明治からの乗っ取りにとっては あってはならないことなのでしょう。

 

 

 

 

 

沖縄の核兵器  日米の公然の合意

  • 2018.03.08 Thursday
  • 00:30

 

☆ 米国が 機密解除をしたということは、核が 実際は 日本が開発したのだ ということを いつでも公表できるという メッセージとも 私には思えます。

 

なにかあったら 米ではなく 黒幕の日本を告発できる。

 

かつて 沖縄には 核があった けれど 今は ない? とは 思えないのですが ・・・

 

 

核を持ち込まないという非核3原則の 大嘘を せせら笑うような動きが 世界の 「政治家」の連携があるといいのですが。

 

 

 

 

◎ 米政府がかつて沖縄に核兵器を配備していた事実を明らかに

 沖縄はアジア最大の「核爆薬庫」だった

 

出典
ja.wikipedia.org


沖縄はアジア最大の「核爆薬庫」だった

 

 

かつて沖縄には1000発をゆうに超える核弾頭が持ち込まれていたとされます。

 

これは韓国や台湾に搬入されていた米軍核戦力を遥かに上回るものであり、

沖縄が米軍の核ミサイル基地として極めて重要視されていたことを示しています。

 

 

 

更に、恐るべきことにこの沖縄から核ミサイルが発射される寸前まで事態が進行したこともあるとされています。

 

1962年10月28日のキューバ危機に際し、読谷の核ミサイル発射基地は非常警戒態勢下に置かれ、実際にミサイル発射命令が下ったといいます。

 

しかしながら、当直士官が命令を拒否した為、時間的な齟齬が生じたことで、ギリギリのところで発射取り消し命令が間に合ったそうでうす。

 


米政府は、沖縄に1972年の日本本土復帰まで核兵器を配備していた事実を機密扱いすることを取りやめた。

 

 

国防総省はサイト上で、

 

「1972年5月15日の沖縄の日本復帰前に、米国の核兵器が沖縄に配備されていた事実」の機密指定を解くと表明した

 

 

出典
時事通信ニュース:沖縄に核配備、機密扱いせず=写真も公開−米政府

 

 


ジョージ・ワシントン大学の国家安全保障公文書館が19日、国防総省による機密指定解除の動きを指摘し、併せて沖縄に配備された核兵器の写真を紹介した

 


時事通信ニュース:沖縄に核配備、機密扱いせず=写真も公開−米政府

 

かつて沖縄に配備されていた「核兵器」の写真が公開される

 

 

    

 

 

https://twitter.com/reireiusagi/status/700836146989797380

 

 

 

沖縄戦における米軍占領以来、旧沖縄県を中心とする南西諸島(琉球諸島、奄美(あまみ)諸島を含む)地域は日本本土から行政分離された

 


沖縄復帰運動(おきなわふっきうんどう)とは - 

 

1952年(昭和27)4月28日発効の対日講和条約第3条によって、同地域は無期限にアメリカ合衆国の施政権下に置かれることが確定した

 


沖縄復帰運動(おきなわふっきうんどう)とは - 

 

1950年代初頭から復帰運動が起こり、運動が先行した奄美諸島は1953年12月に返還されたが、軍事基地が集中している沖縄諸島は取り残された。

 


沖縄復帰運動(おきなわふっきうんどう)とは - 


1972年5月15日。第2次世界大戦から27年後、沖縄は本土復帰を果たしました。


冷戦下ではその沖縄に「核兵器」が持ち込まれていたのである

 

読谷に配備されていた核ミサイルが発射寸前の状態に置かれたことも

 キューバ危機に際してはミサイル発射命令が下されたこともあったという


www.businessnewsline.com

 


キューバ危機に際してはミサイル発射命令が下されたこともあったという

 

この時は当直士官の命令拒否などが重なり、発射取り消し命令が間に合ったため、第三次世界大戦の火ぶたが切って落とされることは無かった。

 

沖縄に「核兵器」が配備されていることは公然の秘密であった

 

 

https://matome.naver.jp/odai/2145593084380338101

 

 

☆ 明治からの 「エタ」、日本乗っ取りたちは 「被害者」ぶることが 一つの 身の処し方ですね。

 

沖縄に基地を望んだのは ヒロヒトである

核兵器特許をもつのも エタ族であるなら

 

なにも 米の被害者ぶることはありません。

 

けれど 米はいつでも そのことを 公表できるということだと思います。

 

そうさせないためには 天皇種族は ATMになる。

 

 

 

 

 

 

沖縄基地と廃藩置県  天皇の意思  日米密約  再掲

  • 2018.02.05 Monday
  • 00:57

 

 

42年前の5月15日、沖縄は日本へ「返還」され、米軍基地付きで142年前に始まった「琉球処分」の状態へ戻った。

 

1871年7月に倒幕政権は廃藩置県を実施、独立性のあった「藩」を潰し、中央政府が派遣する知事が支配する「県」にしているのだが、

 

その廃藩置県が行われた翌年の9月に政府は琉球藩を設置、79年4月に沖縄県を作って琉球王国を併合した。

 

 

当初から琉球を日本へ組み込むつもりだったなら、廃藩置県の前に琉球藩を作っていたはず。しなかったということは、琉球を「外国」だと認識していたのだろう。

 

 

その認識を変えさせた出来事が1871年10月に起こる。

 

宮古島の漁民が難破して台湾へ漂着、何人かが殺されたのである。

 

この事件を利用して大陸を侵略しようと考えた人間が政府内にいたようで、政府は清(中国)に対して被害者に対する賠償や謝罪を要求するのだが、そのためには琉球を日本だということにする必要があった

 

 

 

その後、1874年に日本は台湾へ派兵、75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦を派遣して挑発、

 

「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。

 

さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 

 

 

1894年に朝鮮半島で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると日本政府は軍を派遣、朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争へ発展する。

 

この戦争は日本が勝利、1895年に下関で講和条約が締結された。その後の展開は省略するが、日本の沖縄支配は続く。

 

 

 

こうした経緯があるため、日本の一部支配層は沖縄を日本だとは考えていない。

 

酒席でそうしたことを口にする人もいた。

 

昭和天皇も同じように考えていたようで、

 

日本が降伏文書に調印した1945年9月、アメリカによる沖縄の軍事占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与(リース)というフィクション」のもとでおこなわれることを求めるという内容のメッセージを天皇は出している。(豊下楢彦著『安保条約の成立』岩波新書、1996年)

 

 

 

1947年5月になると、天皇はダグラス・マッカーサーに対し、新憲法の第9条への不安を口にしている。

 

会談内容の一部を通訳の奥村勝蔵は記者へ「オフレコ」で伝えているのだが、隠された後半部分でマッカーサーは次にように言っている。

 

 

「日本としては如何なる軍備を持ってもそれでは安全保障を図ることは出来ないのである。日本を守る最も良い武器は心理的なものであって、それは即ち平和に対する世界の輿論である」(豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫、2008年)

 

 

1950年4月に大蔵大臣だった池田勇人は秘書官の宮沢喜一をともなって訪米した。

 

そのときに携えて行った「吉田茂首相の極秘メッセージ」には、アメリカ軍を駐留させるために「日本側からそれをオファするような持ち出し方を研究」してもかまわないという内容が含まれていたというのだが、吉田首相は国会などで基地の貸与に否定的な発言をしている。(豊下楢彦著『安保条約の成立』岩波新書、1996年)

 

 

例えば1950年7月19日の参議院外務委員会では、「軍事基地は貸したくないと考えております」と発言、

 

「単独講和の餌に軍事基地を提供したいというようなことは、事実毛頭ございません」ともしている。

 

吉田が国会で嘘を言ったのか、池田が運んだメッセージが吉田の意向に反するものだったのかということだろう。

 

内容は吉田でなく、天皇の意向に合致する。

 

 

この間、6月22日に来日中のジョン・フォスター・ダレスたちはコンプトン・パケナム東京支局長の自宅で開かれた夕食会に出ている。

 

日本側から出席したのは、大蔵省の渡辺武(元子爵)、宮内省の松平康昌(元侯爵)、国家地方警察企画課長の海原治(自衛隊の創設に関与)、外務省の沢田廉三(岩崎弥太郎の義理の孫)だ。パケナムはイギリスの名門貴族出身で、日本の宮中とも太いパイプを持っている。

 

 

天皇の影を感じさせるメンバーだが、

 

この夕食会から4日後、天皇は帰国直前のダレスに対し、「多くの見識ある日本人」に会うことを勧め、「そのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべき」だとする口頭のメッセージを伝えたという。

(前掲書)政府以外にルートを作ろうとしているように聞こえる。

 

 

1951年1月末、ジョン・フォスター・ダレスはダグラス・マッカーサーや吉田茂と会うのだが、その3日前にアメリカの使節団は会議を開き、

 

そこで「日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得」することを確認しているが、

 

これは天皇がすでに事実上、認めていた。

 

 

 

沖縄の問題はアメリカの世界戦略と昭和天皇の意思を抜きに語ることはできない。

 

基地が沖縄に集中しているのは「日本人の責任」と言えるかもしれないが、それは問題の一部。天皇の問題を避けるのは保身だと言われても仕方がないだろう。

 

 

 

この年の4月、マッカーサーはジョー・マーティン下院議員に出した手紙の中でホワイトハウスの朝鮮戦争政策を批判、これが露見して解任される。

 

 

その頃、中国ではCIAの軍事顧問団が率いる約2000名の国民党軍が中国領内に軍事侵攻しているが、反撃されて失敗に終わった。

 

その翌年にも国民党軍は中国へ攻め込み、やはり追い出されている。

 

つまり、マッカーサーを解任したとき、ホワイトハウスはすでに中国侵攻計画を始動させていた。

 

 

ところで、「沖縄返還」の際、日本とアメリカとの間に「密約」があったことが明らかになっている。日本政府の「公式見解」などは意味がない。

 

 

密約はふたつある。ひとつは毎日新聞の記者だった西山太吉がつかんだ密約で、返還にともなう復元費用400万ドルはアメリカが自発的に払うことになっていたが、実際には日本が肩代わりするというもの。

 

後に、この報道を裏付ける文書がアメリカの公文書館で発見され、返還交渉を外務省アメリカ局長として担当した吉野文六も密約の存在を認めている。

 

 

もうひとつの密約は核にかんするもの。

 

佐藤栄作首相の密使を務めた若泉敬によると、

 

「重大な緊急事態が生じた際には、米国政府は、日本国政府と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする」というアメリカ側の事情に対し、

 

日本政府は「かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたす」ということになっていたという。(若泉敬著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋、1994年)

 

 

西山は密約に関する情報を外務省の女性事務官から入手していた。

 

マスコミは密約の内容よりも西山と女性事務官との関係に報道の焦点をあて、「ひそかに情を通じ」て情報を手に入れたとして西山を激しく攻撃する。

 

 

1974年1月の一審判決で西山は無罪、事務官は有罪になるのだが、2月から事務官夫妻は週刊誌やテレビへ登場し、「反西山」の立場から人びとの心情へ訴え始めた。このキャンペーンにマスコミも協力する。

 

こうしたキャンペーンが毎日新聞の経営にダメージを与え、倒産の一因になったと見る人もいる。

 

 

この女性事務官は核兵器に関する密約を知らず、復元費用の件だけを西山に教えたのだろうか?

 

ちなみに、これは一般論だが、自衛隊の情報将校だった某は工作用のエージェントを抱えていたという情報がある。

 

ターゲットの性格に合わせ、カネなり趣味なり女性なりを利用し、日本が進む方向をコントロールするために工作を仕掛けていたのだという。

 

 

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201405230000/

 

 

 

 

沖縄基地の実態

  • 2018.02.05 Monday
  • 00:54

 

 

名護市辺野古にある米軍・海兵隊基地キャンプ・シュワブに、『新基地』建設が進められています

 

 

翁長沖縄県知事は、『新基地』建設に反対しているが、日本政府は、この『新基地』という表現についても、既にある辺野古の海側を拡張して移すのだから『新基地』建設ではないと反論する。

 


『新基地』建設なのか

 

翁長知事が、『新基地』と呼ぶ理由は、


普天間基地の代替滑走路だけでなく、弾薬庫もあり、大型港湾施設や弾薬搭載エリアが建造されることを国民に知ってもらいたいから。

 

 

政府が『新基地』と言われたくない理由は、
大型港湾施設や弾薬搭載地域が建造されることを国民に知られたくないから。

 

 

出典
隆之介

 

『新基地』であることは、年間維持費を見てもわかる。普天間飛行場の年間の維持費は280万ドルに対して、辺野古『新基地』は年間2億ドルかかるという。何倍になるでしょう。

 

新たな機能がいくつも加わるからですよ。その多くを日本の税金で賄っていくことになるんですよ。「属国」でしょ。

 

 

現状の普天間基地(普天間飛行場)にはない新たな機能がたくさん加わる事を、見ていこう。


辺野古『新基地』の機能概要

 

辺野古『新基地』は、軍用飛行場と軍港の機能を合わせもった複合機能基地である。


しかも耐用年数は200年

滑走路 (飛行場)

V字型の2つの滑走路を設置することになっている。

 

 

政府は、「空中給油機はすでに岩国基地へ移転し、緊急時の外来機受け入れは本土で行う。」と説明して、

 

「滑走路は普天間の 2700mから 1200mに大幅に短縮される。」
「短い滑走路だからオスプレイやヘリの部隊運用だけにとどまる。」とする

 


しかし、この「滑走路長 1200m」にはカラクリがある。

 

 

出典


【誤解だらけの沖縄基地】(5)辺野古の飛行場は「新基地」なのか? 沖縄タイムス+プラス

 

政府の巧妙なカラクリに騙されてはいけない


オーバーランを 300mずつ確保しつつ、アメリカ軍の要望である 1800mを維持するために、

オーバーランも、滑走路とまったく同一の荷重支持能力を有する高規格舗装とした。

 

これで離陸時に、オーバーランを滑走路として使用することができる。

 

出典
沖縄防衛局 調達部

 


実際の滑走路長は、 1800mなのである。

 

これなら、オスプレイだけでなく、C-130輸送機も離着陸できる。

 

さらには、「オスプレイやヘリの部隊運用だけ」としているが、

 

戦闘機が離着陸できる飛行場の「米軍基準」をクリアした滑走路になる。

 

米軍内規で戦闘機の着陸要件となっている、「アレスティング・ギア」(着陸拘束装置)も設置される。

 

 

 

(オスプレイにはまったく不要な施設だが)


ケビン・メア在沖米国総領事は、米側に戦闘機の運用計画がないことを強調した上で


「万が一、(戦闘機が)緊急着陸することがある場合に備えて安全を確保するために必要」と説明する。

 

出典
2006年10月21日 沖縄タイムス

 

 

戦闘機が万が一の緊急着陸するのは、消防、救助設備なども整った嘉手納や那覇に行けばいいはずです。
苦しい言い訳でしかありません。

 

というのも米軍内規では、「アレスティング・ギア」の設置がない飛行場では、戦闘機の運用はできないことになっている。

 

「アレスティング・ギア」の設置された辺野古「新基地」は、戦闘機の運用も可能となるわけだ。

 

滑走路の長さも、開発中の短距離離陸(STOVL)F-35ステルス戦闘機には、十分である。

 

辺野古の新基地で、米海兵隊がステルス戦闘機F35の運用を想定していることが分かった。

 


「米海兵隊2025戦略展望」の中で、キャンプ・シュワブと隣接するキャンプ・ハンセンにまたがる通称「中部訓練場」の特別空域を再設計するとしており、米国防総省筋は「域内でのF35の運用性を高めるため」と説明した。

 

出典
2014.7.19 沖縄タイムス

 

 

F-35なら、訓練を含めた通常配備が可能な施設規模だということです。


有事の際には、さらにF/A-18戦闘機なども進出してくるでしょう。1800mあれば離着陸できます(ただしF/A-18の訓練に利用するには短い)。

 

ほかにも『隠しアイテム』がまだある可能性が高い。(滑走路に限らず)
というのも

 


岩国基地の新滑走路も、誘導路にまでアレスティング・ギアがあることが判明しており(当然、舗装強度も滑走路と同じになっているはず)、誘導路も滑走路に使えるということが明らかになった。

 


「誘導路」という名前で、2本目の「滑走路」が追加されていたのです。

 

 

繰り返すが、日本政府は、「オスプレイやヘリの部隊運用だけにとどまる。」と説明して「新基地」建設を強行しようとしている。

 


しかし、「滑走路」を見ただけでも、それがウソだとわかる

 

 


軍港

 

近年、うるま市の米海軍ホワイトビーチ港に原子力潜水艦が寄港する回数が急増しているが、辺野古の新基地には、「軍港」も造られる。

 

政府は「ヘリ修理のための輸送の際に、(滑走路が短くて)大型輸送機が使えないので、代わりに輸送船が接岸できる岸壁を造る」と説明している

 


「係船機能付き護岸」であって、「軍港ではない」と説明する

 

しかし、大型港湾施設すなわち「軍港」であることは明白。


「護岸」の長さは、環境影響評価書(アセス)の段階では約200メートルだったが、埋め立て申請の段階になって突然、272メートルに延長されました。

 

 

この延長された長さは、オスプレイやF35が搭載できるワスプ級強襲揚陸艦の接岸基準272メートルとほぼ一致する。

 

輸送船どころか、大型の強襲揚陸艦が接岸できる長さに変更されるのである。

 

 

さらにウィキリークスの暴露で、高速輸送船(HSV)が配備されることも判明している。

 

 

高速輸送船は、戦地に戦車やヘリなどを運ぶための大型船

またエアクッション型揚陸艇(LCAC)用の斜路の存在も新たに図示された。

 

出典
辺野古に軍港機能 アセスに記載せず - 琉球新報

「軍港」以外の何物でもないが、

 


政府は「防波堤もなく、港の形態ではない」というが、強襲揚陸艦や原子力潜水艦が寄港する「軍港」である米海軍ホワイトビーチ港(沖縄県うるま市)にも防波堤はない。

 

出典
辺野古 新型の軍港に 「既に機能保持」 - 琉球新報

 

 

避難港や母港にするわけでなく、4万トンの強襲揚陸艦が一時寄港するのに防波堤は必要ない。


大浦湾は、さんご礁の沖縄では珍しく深度があり、空母や原子力潜水艦も入ってこられる。

 

この大浦湾3D画像をみたら、なぜアメリカが辺野古『新基地』を欲しがるのかが、瞬時にして理解できるでしょう。

 

 

https://www.wwf.or.jp/activities/marine/lib/0904ooura.pdf
 

赤いところが海上滑走路と港湾施設の埋め立て予定

沖縄の海の大部分は、さんご礁で、左半分に見るような浅瀬が広がる。
ところが、大浦湾(右側部分)は、見ての通り、岸のそばで深く落ち込んでいる。

 


沖縄の海ではとても珍しいことなのです。


すでに1966年の段階で、米軍は、沖縄では珍しく深度のある大浦湾に目をつけており、マニング社に調査報告書を作成させている

アメリカ軍にとって「陸上案」などはとんでもない話で、最初からこの形態を狙っていたのである。

 

沖合に出してさんご礁の浅い海だけを埋め立てる「沖合案」が出た時も、アメリカ軍は猛烈に反対


沖合に出してさんご礁の浅い海だけを埋め立てる「沖合案」が出た時も、アメリカ軍は猛烈に反対した。それでは軍港ができないからである。

 

 


弾薬搭載エリア(と弾薬庫)

 

普天間基地には、弾薬庫も弾薬搭載エリアも、ありません。よって、弾薬に関する作業はできません。


現在は、攻撃ヘリなどにミサイルや銃弾を積み込むためには、空軍嘉手納基地まで移動して積み込みます


キャンプ・シュワブに隣接して辺野古弾薬庫があります。

弾薬搭載区域もアセス申請のときよりも規模が拡大しています

 

出典
辺野古に軍港機能 アセスに記載せず - 琉球新報

 

 

辺野古弾薬庫には復帰前は核兵器がありました。さらに、化学兵器を扱う部隊が駐留しており、化学兵器が貯蔵されていると言われています

 


すこし前までは、ガス漏れ検知用に、ヤギが飼われていました。基地の外からも見えました。
いまは器械に代わったのだと思います

 

 

さらに、辺野古住民の中に、シュワブには核シェルターがあるという人が複数います


「沖縄返還」における『本土並み』の意味 そして密約

https://matome.naver.jp/odai/2150148895881513801

 

 

「沖縄返還」において佐藤榮作首相も『核抜き本土並み』と言った。『核抜き本土並み』というスローガンにある『本土並み』の意味は、「米軍基地の『本土並み』化」の要求で...

 

沖縄には今も「核兵器」が貯蔵されている


辺野古『新基地』の運用

辺野古には「弾薬庫」もあります。


新設される「軍港」からすぐに弾薬庫に移せるようになるので、今のように離れた港からの陸上輸送が不要となり、秘密裡の運び込みも容易となるから、

 

化学兵器や戦術核兵器の運用に向いている(秘密に、安全に搬入できる)。

 

 

とくに化学兵器は、昔から辺野古弾薬庫の得意分野。

 

 

今は撤去されたということになっていますが、今も化学兵器の運用部隊は駐留している

 

 


辺野古『新基地』は、米軍の1960年代以来の悲願

米軍の海兵隊が沖縄である必要はほんとうにあるの?

https://matome.naver.jp/odai/2144316717277206801

 

 

「軍港」と一体となった飛行場が欲しかった米軍は、すでに1966年、海上滑走路を予定し、設計図面を起こしていた。

 


海上滑走路は、米軍の1960年代以来の悲願であり、米軍の希望に沿ったものである。

この点、海上滑走路は、沖縄の地元企業の利益誘導で決められたと言う者(元防衛事務次官)もあるが、誤り(デマ)である。

 

 

 

県内業者が請負える工事は、整地してアスファルトを敷くことくらい。カネになる仕事は全部、県外企業が持っていく。

 

菅官房長官の息子が大成建設に入社していたことが判明した

http://matome.naver.jp/odai/2145448392638955301

 

 

米軍は、クリアゾーンにある普天間2小の子どもたちの上に墜落することはあっても 核兵器の上には絶対に墜落させない。

 

さらに、米軍は戦闘機の利用まで頭にあるから、低いとはいえ山が連なる地形は不都合が多い。こんなことくらいは、辺野古に行ったことがある人なら容易に想像がつく。

 

 

なお、普天間撤去を決めたのは橋本内閣だが、経世会の橋本内閣が考えていたのは、キャンプ・ハンセンにヘリパッドを造るというものであった(経世会の橋本は非業の最期)。


しかし、小泉内閣が、アメリカの希望どうりに「立派な滑走路」を約束した。これもシナリオ通りのこと。

 


【沖縄の真実】これが正しい 普天間基地の歴史 〜「世界一危険な基地」になったのは・・

https://matome.naver.jp/odai/2145713863905515101

 

 

https://matome.naver.jp/odai/2145690847743342401

 

 

天皇美化キャンペーン  沖縄訪問  

  • 2018.01.16 Tuesday
  • 04:53

 

 

☆ アリの一言さんの記事です。

 

 

「天皇アキヒトの沖縄訪問」の底流にあるもの

 

 

天皇・皇后が3月に沖縄を訪れます。

 

琉球新報は、「沖縄に心を寄せ続けてきた両陛下が強く再訪を希望した」(13日付)と報じました。

 

「本土」だけでなく沖縄でも、天皇明仁・皇后美智子を美化する論調が一般的です。

 

しかし、天皇の過去10回(皇太子時代5回)におよぶ沖縄訪問は、はたして「沖縄に心を寄せ続けてきた」ものでしょうか。

 

 

 

  最も注目すべきは(したがって最も政治的な意味を持つのは)、皇太子時代の第1回訪問(1975年7月17〜19日)です。

この時、皇太子明仁はなぜ、なんのために沖縄に行ったのでしょうか。

 

 

敗戦後、天皇裕仁(昭和天皇)は天皇制維持のため全国を行脚(行幸)しました。しかし、唯一行っていない、いや、行かれなかった県がありました。沖縄です。

 

 

政府・宮内庁は裕仁天皇の訪沖のきっかけづくりとして、全国植樹祭(1972年)、国民体育大会(1973年)の沖縄開催を相次いで決定しました。いずれも天皇が出席するのが恒例とされていたからです。

 

しかし、裕仁天皇はどちらにも行くことができませんでした。沖縄県民が出席を拒んだからです。

 

  「沖縄県からの出席要請はなかった。『何もまだ言ってこないのか』。昭和天皇は宮内庁長官宇佐美毅に何度も尋ねたという。

 

両行事の開催は天皇の沖縄訪問を円滑にするための意味もあったが、県民は拒否反応を示したのである」(高橋紘・元共同通信記者『平成の天皇と皇室』文春新書)

 

 

  当時、裕仁天皇の訪沖に反対した「沖縄の労働組合代表」はこう述べていました。

 

 

「先の大戦で、沖縄住民は天皇の名のもとに多大の犠牲をしいられ、その戦争責任があいまいなまま天皇のご来訪(ママ)を受け入れるには、あまりに住民感情が複雑であるということと、

 

天皇を政治的に利用して沖縄住民の望まぬ復帰形態(核基地付き・自衛隊配備―引用者)があたかも住民祝賀のうちに迎えられたような擬装がなされることを警戒しなければならない」(72年1月26日付朝日新聞。藤原彰氏ら『天皇の昭和史』新日本新書より)

 

 

 

皇太子・明仁の訪沖は、こうして沖縄県民に拒否された父・天皇裕仁の名代に他なりませんでした。


皇太子なら沖縄の抵抗は少ないだろうというのが政府・宮内庁の狙いでした。

 

しかし、沖縄県民に歓迎されなかったのは、皇太子・明仁も同じでした。

 

 

 

「糸満市に差し掛かると、(皇太子)夫妻の車目がけて病院の屋上から、木材やクレゾール液の入った牛乳瓶が、投げられた」(前掲、高橋氏)

 

 

そして、ひめゆりの塔(糸満市)に着いた時、火炎瓶を投げつけられる事件が起こったのです。

 

 

この事件は天皇・天皇制に対する沖縄の怒りを改めて示しましたが、同時に奇しくも、皇太子明仁の訪沖の狙いを浮き彫りにすることにもなりました。

 

 

当日、明仁皇太子は事件に対する「談話」を発表しました。きわめて異例です。「談話」はこう述べています。

 

 

 「過去に多くの苦難を経験しながらも、常に平和を願望し続けてきた沖縄が、さきの大戦で、わが国では唯一の、住民を巻き込む戦場と化し、幾多の悲惨な犠牲を払い今日にいたったことは忘れることのできない大きな不幸であり…

 

悲しみと痛恨の思いにひたされます。私たちは沖縄の苦難の歴史を思い…ともども力を合わせて努力していきたいと思います。(以下略)」(1975年7月18日付朝日新聞より)

 

 

のちに明仁皇太子は、記者会見でこうも述べています。

 

 

「本土と沖縄は、戦争に対する受けとめ方が違う。

 

やはり、太平洋戦争の激戦地であり、民間人を含めて多数の犠牲者が出ました。

 

…火炎びん事件や熱烈に歓迎してくれる人達…それをあるがままのものとして受けとめるべきだと思う」(75年8月26日の記者会見。斉藤利彦氏『明仁天皇と平和主義』朝日新書より)

 

 

「談話」と「会見」には共通の特徴があります。

 

それは、沖縄戦をはじめとする沖縄の「多くの苦難」「悲惨な犠牲」をまるでひとごとのようにとらえ、「私たち」として国民を同じレベルに引き込んでいることです。「一億総ざんげ」のように。

 

 

そこでは、戦前戦中、皇民化政策を推進し、沖縄戦で「捨て石」にした天皇制帝国日本、敗戦後も「天皇メッセージ」(1947年9月20日)で沖縄をアメリカに売り渡した天皇裕仁の責任は完全に封印されています。

 

 

 

そのため「談話」や「会見」には、「痛恨の思い」はあっても、沖縄住民に対する一片の「謝罪」の言葉もありません。

 

これはこの時だけでなく、過去10回の訪沖、さらにはほかの会見などで明仁天皇が「沖縄」に言及する場合の例外のない特徴です。

 

押し付けられた天皇制。その天皇の名の下で戦った沖縄戦。

 

天皇の軍隊はスパイ容疑などで住民を虐殺し、敗色が濃くなると、県民に自決を迫った。

 

敗戦、そして二十年に及ぶ異民族による支配。

 

沖縄県民の感情からすれば、明らかに天皇は加害者であった」(前掲、高橋氏)。

 

そして「その沖縄と皇室との和解に努めたのが、平成の天皇である」(同)。

 

 

1975年以来の明仁皇太子・天皇の「沖縄訪問」は、その「和解」のためだったと言えるでしょう。

 

 

しかし、「和解」とは、被害者の側から言うべきものであり、加害者の側が押し付けるものでないことは言うまでもありません。

 

 

そもそも、加害責任を認めない、したがって謝罪も賠償もない「和解」などあり得ません。

 

 

それは戦時性奴隷(「慰安婦」)についての「日韓合意」(2015年12月)と同じです。

 

 

そのあり得ないことを押し通し、沖縄に対する天皇・天皇制の加害責任、ひいては朝鮮、台湾はじめ東アジアへの侵略・植民地支配の加害責任をうやむやにしようとする意図が、天皇・皇后の相次ぐ沖縄訪問の底流に流れていることを見過ごすことはできません。

 

 

http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/1ac9c495e338d2fa57b0656979f9a5af

 

 

 

☆ 私は数年前 地方に移住しました。 ペットOKマンション (実際は アパートですが)にたどり着きました。

 

偶然のように そこの住民の一人と話しをして 一気に、偽天皇のこと、原爆が日本がなした地上起爆であることで話こんだのですが、当たり前のように 分かっている人がいて びっくりしました。

 

 

彼女は 東京から 311のあった後に やはり 地方にやってきた。

 

もう これは おかしいと思ったそうです。

 

また 東京では 太郎さんと一緒に ある活動をしていたそうですが、一番の困難は 「火病」の妨害だそうです。

 

 

また 今日 彼女と話しをして 結論として どうしても 移住ということになります。

 

2年ほど前から 海外移住は増えているらしいです。

 

私も 一応 天皇の犯罪にきりきりするのを ひとまず置いて 自分の方向を探すほうがいいよといわれました。

 

 

ここまで 心と魂の堕ちた国は出ようと 心は決まったのですが、まず お金が必要、そして なんらかの 収入源が必要です。

 

 

なので できる というあては全くないのですが 心は そのように進んでいます。

 

 

 

 

 

 

基地と原発 (再掲)    偽天皇は有料で米に守られる

  • 2017.09.19 Tuesday
  • 02:15

 

 

「矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』

 

   【本書(矢部の前掲書)は,日本の知識人・識者にあっては,その双肩・頭上に亡霊のようにのしかかっている「天皇・天皇制」の現状を,真正面から批判し〔とりあげて議論し〕た本である】。

 

 

  【天皇という存在は,制度的な特性面から批判すべきであり,天皇個人に対する直接の批判でなくてよい】

 

 

日本帝国憲法よりも上位にあった「戦前の天皇」の位置には,敗戦後は「天皇+米軍」という新しい国家権力がすっぽり収まったこと,「天皇なき天皇制」が完成したのである。

 

 

こうした事実上の行政独裁体制は,短期間で大きな国家目標(明治期の富国強兵や昭和期の高度経済成長など)を達成することができたが,その反面,環境の変化に応じて過去の利権構造を清算し,方向転換をすることができない。

 

 

外部要因によって瓦解するまでひたすら同じ方向に進みつづけていく。それが日本人全員に大きな苦しみをもたらした第2次世界大戦や,地震大国における原発再稼働という狂気の政策を生む原因となっている。

 

 

要するに,この問題の核心に実在した人物の1人が,実は昭和天皇であった。

 

 

 

 今日のニュースのなかでも,この人物=裕仁にじかに触れる記事は出てこない。

 

彼は「菊のタブー」に当然護られる天皇であったのであり,「日本政治の禁忌」を多く身にまとう〈高貴なる人間〉なのであったから……。

 

 

問題の焦点は,「天皇〔裕仁〕」がアメリカに送った「メッセージ」2点,なかでもとくに,天皇関連の記載に注意したい。

 

 戦前・戦中も戦後(とくに占領下の時代)も天皇裕仁は,内政・外交に対して裏舞台から能動的に自分の利害を最優先した「憲法違反」の「逸脱行為」を重ねていた。過去の歴史に彼みずからが刻んできた行跡は,いまではもう十分に白日のもとにさられている。

 

 

 沖縄県はなかんずく,昭和天皇がアメリカに差し出した《生け贄》であった。なんのためのか? 皇室がつぶれないようにするため,その崩壊を予防するために,であった。

 

 

 矢部の本からつぎの箇所を引用して終わりにしたい。

 

「日本人にとってみたくない現実」は,米軍による日本全土への永久駐留であり,民主主義国家アメリカの『基地帝国化』だからです」(270頁,210頁)。沖縄県はその現実的な矛盾点が集約されているアメリカの,実質,いまだに占領地なのである。

 

 

 

 

 

◎  あなたは、中国人やロシア人を使って生物化学兵器の人体実験をした731部隊の東大・京大・慶応大他の科学者達やその統帥者であった天皇やその一族が、実験データを米国に渡しただけで、無料で命を守ってもらえていると思いますか?

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/908637863259992065

 

 

 

 

 

◎ 核の傘が実在するかの如く騙るマスコミ、政治家、学者は皆、日米の軍事詐欺を支えている詐欺師。

 

実在しない核の傘と米軍基地に金を払っているのは、原爆の殺傷実験をし中国で生物化学兵器の殺傷実験をした天皇一族と日本人科学者を守ってもらう代金だ。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/908634128261644288

 

 

 

☆ 空を渡れる核の脅威は 存在しない すなわち 飛行機に搭載して落とすことは 現在でもありえない。

 

原爆は 日本の詐欺だった。 詐欺の代金は 有料。

 

 

琉球vs明治以降の偽もの◆  [圧綵菠  海女vs偽物

  • 2017.09.18 Monday
  • 02:43

 

◎ 「明治丸」と天皇制国家をめぐる歴史

 

明治天皇の「東北巡幸」から3年後の1879年3月27日、

 

明治政府は軍隊400人、警官160人とともに松田道之を琉球に派遣し、琉球王尚泰を暴力的に東京に連行しました。

 

 

     

 

 

 

       

 

 

 

      

 

 

明治政府の最初の海外侵略、いわゆる「琉球処分」です。

 

 

このとき、松田と軍隊・警察を琉球へ運び、尚泰王を東京へ連れ去った船が「明治丸」だったのです。

 

 

日本の「祝日」はほとんどが天皇制・神道とかかわっています。そのことを知っていても知らなくても、意識してもしなくても、それが天皇制を浸透させる明治以降の国家権力の戦略であることは銘記される必要があるでしょう。

 

 

http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/fcdfdbaff4dbdccae7606cfe6ce713f8

 

 

 

 

 

◎ 海人も大和人も天皇が米国に沖縄の永続的占領を懇願した私利私欲とは何か、

 

明治以降薩摩藩が封印した歴史を学術的に遡らなければなりません。   

 

なぜなら江戸時代までは日本が、現代では中国が尊重する人類史において本物の天皇は琉球人だったからです

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/787537219556814849

 

 

 

 

◎ そもそも、日本の天皇は、死んでから故人の偉業に従って贈られる漢風諡号だと、明治政府が編纂した『古事類苑』に、大宝令や義解の抜粋として記載されています。   

 

天皇の尊号は中国の伝統だということです

 

ならばその伝統とは何か?が重要。@ihayoichi @GeorgeBowWow

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/787540454485012480

 

 

 

 

 

◎ 天皇が米軍基地建設と称して沖縄の遺構や文化を破壊し、中国と仲良くさせない理由は、

生きている天皇など日本の伝統に無いばかりか、漢風諡号を辿れば天皇は琉球の海人だったことがバレるからです

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/787548879193411584

 

 

 

 

 

◎ 『日本書紀』は、純粋な正統的漢文で記されているので、漢民族が著したと考えるのが自然。

 

江戸幕府の有職故実家荷田在満は漢文で、今の日本のことを「中國」と書いたので、わかりやすく「ワガクニ」という読み仮名をふったようです。

漢文の「中國」の読みには「くにうち」や「なかつくに」がある。    

 

https://twitter.com/i/web/status/851009590711824386

 

 

 

 

◎ 日本を中国と呼んだ『日本書紀』は中国古来の文語体の文章の「漢文」。

 

従って中国の意味は『詩経』『孟子』『荘子』に記された中国の意味に由来する

 

http://ctext.org/book-of-poetry/greater-odes-of-the-kingdom/zh?searchu=%E4%B8%AD%E5%9C%8B …

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/850954405914460160

 

 

 

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