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    本物は美化キャンペーンはされない  カダフィ  通貨発行権

    • 2018.11.03 Saturday
    • 23:07

     

     

    ☆ イエズス会サイドの マスコミも 週刊誌でも かれらの 特定な権力への美化キャンペーンは 今では 喜劇ですね。

     

    本物には 本当の人間の心からの 賛同と感謝があります。

     

    そう、なりすまし工作員は 無用です。

     

     

     

     

    ポニョ:リビアのカダフィー大佐と言えば、国民からお父さんのように慕われていたんや。

     

     

     


    六十年前に、アフリカ諸国の中でも一番貧しかったリビアを納豆軍から侵略を受ける前には、アフリカ諸国の中で一番生活水準が高い国に作り上げたんや。

     

     

    ヨシオ:へえー。それは知らなかったな。

     

     

    ポニョ:ロシアやサウジアラビア、ブラジルより高かってんで。

    新婚夫婦には、国から五百万円の祝議が出るし、全ての家庭の電気代は無料や。

     

     

     

     

    ところで電気代もタダって、いくら使ってもタダなんか?

     

     

    ポニョ:その通り。それだけと違うで。

     

    カダフィーのお父さんは貧しくて家を買えなくて亡くなり、とても苦労をしたので、カダフィーは全ての国民に家を与える約束をしたんや。

     

    おいらこの話を最初に聞いた時、なんか感動して涙出てきたわ。

     

    それになんか腹が立って来た。今まで騙されてきた事に。

     

     


    ヨシオ:そうやな。こんな事、どの新聞も報じてないで。

     

     

    ポニョ:その国民との約束守るために、銀行ローンは利息0%と法律で決められてるんや。

    それだけやないで、驚くなかれ医療はタダなんや。

    教育も無料やで。

     

    だから、建国当時80%の文盲率が逆に、80%の識字率になったんや。

     

    医療も、もしその患者の病気をリビヤで治せない場合、国が責任持って外国の病院や医師を紹介してくれるんや。

     

     

    ヨシオ:それはすごい話やな。

     

     

    ポニョ:ガソリン代は一リッターたった14円。

    しかも、新車を買う時は、国が半額出してくれるねんで。

     

    もしおいらみたいに農業をやりたかったら、国が家付きの農地をくれるし、農機具、家畜、種なども無料で与えてくれるんや。

     


    ヨシオ:俺もう口ふさがらんわ。これやったら、生活水準が世界で一番になるはずや。

     

    でも、どうしてこんなに国民が優遇されとるのに納豆軍が侵略始めた時に、みんな反対しなかったんや。

     

     

    ポニョ:そら、ものすごく反対したぜよ。

     

    首都のトリポリだけでも170万人というから首都の95%の人口が侵略に反対して緑の広場に結集したぜよ。

     

    でもそんなことは、西側マスゴミに完全に無視された。

     

     

    お陰で、世界の世論はカダフィーを悪者にしたてあげたマスゴミの言うことを信じて、地球の一つの良心を黙殺したんや。

     

     

    三万人が犠牲になったんやで。アフリカの星が地に落ちた日や。

     

     

    ヨシオ:悲しい話やな。

     

    でも、やつらは何でカダフィーを目の敵にしたんや。

     

     

    ポニョ:それは、さっきも言うたキーワードや。

     

    ヨシオ:通貨発行権か。

     

     

    ポニョ:そうや。

     

    カダフィーはアフリカン ディナール別名、ゴールドディナールという金本位制のアフリカ統一通貨を他のアフリカ諸国と一緒になって発行しようとしていたんや。

     

     

    リビヤだけでも、144トンの金の延べ棒を持っていたんので、それをベースに通貨を発行しようとしていたんや。金と換えれるんや。

     

     

    ヨシオ:そんな事をされたら、アメリカのドルはおしまいや。

     

     

    ポニョ:だから、やつら慌ててカダフィーを消しにかかったんや。

     

    話は飛ぶけど、イラクのフセインも石油の決済代金をドルからユーロに換えようとした事も一因で、奴らに消されたんやで。

     

     

    ヨシオ:ひどい話やな。

     

     

    ポニョ:とにかくアフリカでは、奴らは三つの占領政策をずっととってきてる。

     

    一つは、部族間や国家間にわざと緊張を作り殺させ合う。

    もちろん、どちら側にも武器を提供する。

     

    二つ目は、教育を受けさせない。奴らの支配に気付かせない。文盲のままにさせる。愚民政策や。

     

    三つ目は、目覚めた者、気付いた者やそういう勢力を抹殺する。
    という政策や。

     

     

    これらは、ずっと昔から奴らがやって来た手法なんや。

     

    あの坂本龍馬もただの奴らの武器商人だったに過ぎないんや。

    坂本龍馬が通っていたグラバー邸の灯篭に、降りーメイソンの印が刻まれてるぜよ。

     

     

    カダフィーがやろうとしていたのは、通貨の件でロス茶位ルドに戦いを挑んだだけではないんや。


    アフリカ諸国の通信業を奴らから取り戻そうとしたんや。

     

     

    奴らは、毎年500億円もアフリカ諸国から利益を上げてたから。

     

     

    カダフィーは、ロシアと中国に頼んで400億円でアフリカを全てカバー出来る通信衛星を打ち上げる予定やったんや。


    カダフィーは、そのうちの300億円を拠出する予定だった。

     

    しかし、それもこれも全て奴らの軍隊、納豆軍に侵略されてオジャンになってしまった。

     

    もちろん、リビヤの中央銀行もロス茶位ルドに乗っ取られたんや。

     

    例の144トンの金の延べ棒もポッポ無い無いじゃ。

     

    カダフィーが殺された日は、アフリカが殺された日じゃ。

    アフリカ諸国民すべてが泣いたんやで。

     


    カダフィも、後世の歴史家によって巨大なロス茶位ルドに挑んだ現代の英雄と、正しく評価され直されるやろな。

     

     

    https://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/85001bc799905d5aadff5283c38470c2

     

     

    ガンディーの言葉

    • 2018.10.04 Thursday
    • 23:22

     

     

     

    ☆ あえて このようなメッセージを紹介するのは

     

    出口のない情況に苦しむだめではなく 

     

    果たして 日本と私は 同一なのかと 見つめることです。

     

    アメリカでも イギリスでも すべての 普通の国民と 権力とは 同じなのかと 見つめることです。

     

    日本の神の国伝説を教えているのは はたして 同じ同胞なのかと 知ることです。

     

    そのために 日本に向けられた 国内では隠されている声にも 耳を傾けることです。

     

    私たち 普通の人間を騙しているのは 外国なのか あるいは 国内にいるのかを 知ることです。

     

     

     

    ◎ 人間には、自分の聞きたい話だけを聞き、自分にとって都合の悪い話は全く無視するか、全く別の解釈を加える傾向があるのかもしれない。

     

    あるいは、自分の好むストーリーを語ってくれる語り部だけを集め、好みの証言集だけを聞き、満足する傾向もあるのかもしれない。

     

     

    「日本がアジアを開放し、感謝されている」という『歴史観』は、果たして正しいものだろうか。

     

     

    例えば、イギリスによるインド植民地支配が「搾取一方の悪」であり、逆に

     

    日本のアジア進出は歓迎されていたのだろうか。

     

     

     

    1942年にインドのマハトマ・ガンジーが「すべての日本の人々へ」として記した手紙を、以下に訳して紹介する。

    To Every Japanese : Selected Letters from Selected Works of Mahatma Gandhi

     

    ----------

     

     

    『まず初めに言っておきたいのです。

     

    あなた方に対する悪意は無いのですが、私はあなた方の中国への攻撃には、非常に嫌悪感を持っています。

     

    あなた方はその高尚な高さから、帝国の野望に堕ちてしまいました。

     

     

    あなた方はその野望に気付く事なく、アジアの手足切断の製作者となり、知らずしてか、「世界の連合」や「同胞化」を防ぎ、これら(「世界の連合」や「同胞化」)無しにはあり得ない「人道主義への望み」を絶ってしまっているのです。

     

     

    50年以上前、ロンドンにて勉強していた18歳の少年の時以来、私はサー・エドウィン・アーノルドの書籍を通して、あなた方の国の素晴らしい資質について学びました。

     

    南アフリカ滞在中、あなた方がロシア軍に対して勝利をしたと聞いた時には、興奮をしたものです。

     

    1915年、南アフリカからインドに帰国した後、我々のアシュラムのメンバーとしてしばし過ごした日本人仏僧たちと、私は親しくなりました。

     

     

    そのうちの一人は、セヴァグラムのアシュラムでの貴重なメンバーとなり、彼の義務への遂行、高潔な態度、毎日の礼拝への尽きる事の無い献身、親しみやすさ、どのような状況下でも変わらない落ち着き、内なる平安の肯定的な証拠である自然な微笑みなどによって、我々全員からの尊敬を得ていました。

     

    しかしながら、あなた方による大英帝国への宣戦布告をもって、彼は我々から引き離されてしまい、我々は彼という同労者の不在を悲しく感じています。

     

     

    我々を毎朝起こしてくれた彼の日ごとの祈り、彼の小さな銅鑼の思い出だけが残されています。

     

     

    この喜ばしい想い出を背景に、「挑発を受けずして行なった」と考えられる中国への攻撃と、またもし報道を信じるならば、あなた方が優れて古い土地にもたらした憐みの無い荒廃を、私は深く嘆き悲しんでいるのです。

     

     

     

    あなた方が世界の大国と対等な位置につこうとした野心は、貴いものだったかもしれません。しかしながら、あなた方の中国侵略と枢軸国との同盟は、到底是認できない野心の行き過ぎです。

     

     

    あなた方が受け入れ、自分のものとした古典的な文学を持つ偉大な古代の人々は、実はあなた方の隣国人であり、私はあなた方がそうした事に誇りに感じるだろうと期待していました。

     

    お互いの歴史、伝統や文化への理解は、今日あなた方を敵ではなく、友として結びつけるべきだったのです。

     

     

    もし私が自由人であったならば、もし私があなた方の国に行けるならば、弱っているにしても、自分の健康や、命さえ危険に陥れたとしても、あなた方の国に行き、あなた方が中国、世界、ひいては自分自身に対して行なっている悪行を止めるよう、お願いするでしょう。

     

     

    「impossible indian: gandhi and the temptation」の画像検索結果

     

     

     

    けれど私にはそのような自由はありません。

     

     

    また私たちは、日本主義や、ナチスズムと同様に嫌っている帝国主義に抵抗する特殊な立場にあります。

     

     

    私たちの抵抗は、英国の人々に損害を与える意味はありません。私たちは彼らを改心させようとしているのです。

     

     

    私たちのものは、英国支配への非暴力の抵抗です。

     

     

    我々の党は、外国の支配者との間に、真剣でありつつ、しかも親しさのある論争を展開しています。

     

    しかしながら、この運動に、外国勢力の支援は必要ないのです。

     

     

    日本によるインド攻撃を間近に控えたこの時期を、(インド独立によって)連合国側に恥をかかせる良い機会と考えているならば、あなた方は明らかに誤解をしているのです。

     

    もし我々が英国の困難を自分たちの好機だとしたかったのなら、我々は戦争が始まった3年前に、そうしていたでしょう。

     

     

    英国勢力撤退を要求する我々の運動は、誤解されるべきではありません。

     

     

    実際、報道されているようなインド独立に対するあなた方の懸念が真実であるならば、英国による独立承認は、あなた方にインド攻撃の口実を与える事は無い筈です。

     

     

    しかもあなた方の主張とあなた方の容赦ない中国への攻撃に、整合性はありません。

     

     

    あなた方が「インドから歓迎でもって迎え入れられる」などという悲しい幻想に惑わされ、過ちを犯さないようにお願いしたいのです。

     

     

    英国撤退運動の手段と方法は、「英国帝国主義」と呼ばれようが、「ドイツ・ナチズム」であろうが、或いはあなた方であろうが、インドを全ての軍国主義、帝国主義の野望から自由にすることによって、インドを整えることにあるのです。

     

     

    もしそうでなければ、非暴力が軍国主義精神とその野望への唯一の媒体とする信念に逆らって、我々は世界の軍国主義化への卑しい観衆となっていたでしょう。

     

     

    個人的に私は、インドの独立を宣言することなしに、連合国軍側は、ただの暴力を宗教的な高潔さで呼ぶ枢軸国軍側を打ちのめす事は出来ないのではないかと危惧しています。

     

     

    あなた方がするような、容赦なく、効能的な戦闘によらなければ、連合国側はあなたとあなたの同労者を打ち負かすことは出来ません。

     

    しかし、もし彼らがあなた方のやり方を真似るならば、彼らが世界を民主主義と個人の自由の為に救うという宣言は、無価値なものとなってしまいます。

     

     

     

    私は、彼らがあなた方の無慈悲を真似せず、却ってインドの自由を宣言し、スルタンによるインドの強制された協力を、自由を得たインドの自発的な協力に変える事によってのみ、彼らは力を得る事が出来ると考えているのです。

     

     

    英国と連合国側に対して、我々は彼らが主張し、彼らの益でもある「正義」の名によって、彼らに願いました。

     

     

    我々は、あなた方には、「人道」の名によってお願いをします。

     

    私は、あなた方が無慈悲な戦闘をする権利は誰にも無いと理解していない事実に驚いています。

     

     

    もし連合国によるのでなければ、誰かがあなた方のやり方を更に改良し、あなた方の武器によって必ずあなた方を打ち負かすでしょう。

     

    もしあなた方がこの戦いに勝ったとしても、誇りに思えるような偉業を子孫に残す事などは無いのです。

     

    どのようにうまく語られたとしても、残酷な仕打ちの物語に誇りなど感じられる筈は無いのです。

     

     

    もしあなた方が勝利したとしても、それはあなた方が正しかった事にはなりません。あなた方の破壊力が大きかったことを意味するだけです。

     

    勿論、公正と正義の行ないとして、その他征服されているアジア、アフリカの人々への同じような自由の約束として、まずインドを自由にしない限り、これは連合軍にも当てはまります。

     

     

    我々の英国への要請は、連合軍側の兵をインド内に保留させる、自由インドの意思と結合しています。

     

    我々の要請は決して連合軍の目的に危害を加えるものではない事を証明し、また英国が空にした国に入って来ても構わないと、あなた方に勘違いさせない事を目的としています。

     

     

    あなた方がそのような考えを好み、実行しようとするならば、我々の持ち得る全ての力を奮い立たせて、あなた方に抵抗するでしょう。

     

    私は、我々の政府が、あなた方とあなた方の同労者が正しい方向に向かい、また、あなた方が道徳的崩壊、また人間をただのロボットに軽減させる誤った道のりから退くよう影響を与える希望をもって、この要請をしています。

     

     

    あなた方が私の要請に応えてくれる希望は、英国が私の要請に応えてくれる希望よりも、遥かに少ないものです。

     

     

     

    私は、英国人が正義への認識を欠いていないと知っており、彼らも私を知っています。

     

    私はあなた方を判断するほど熟知してはいません。

     

    しかし私が読んだ全ては、あなた方は嘆願を聞かず、剣だけを聞くと語っています。

     

     

    あなた方に関して聞く話しが全て誤りであり、私があなた方の良心の琴線に触れられる事を、私はどれほど願っているでしょう。

     

     

    人間の性質がもたらす応答への絶える事のない信頼を、私はやはり持っているのです。

     

     

    この信頼の力に基づいて、私はインドでの運動を続けてきました。そしてその信頼に基づいて、私はあなた方に嘆願をしているのです。

     

    セヴァグラムにおいて、

     

     

    18-7-1942

     

    あなたの友であり、あなたの繁栄を祈る者、

    マハトマ・ガンジー』

     

    ----------

     

     

    以上に記されたガンジーの言葉を見る限り、当時の日本軍に対する彼の言葉は、英国に対する言葉よりも厳しい。

     

    少なくとも英国には公正や正義への意識が高いが、日本にはそれが無いと言っているのだ。

     

     

    こうした批判は、日本がアジアを欧米の支配から解放した輝かしい史観を信じ、「日本の素晴らしさを世界に訴えましょう」と外国人への説得力を試みる人々には、受け入れられない指摘かもしれない。

     

     

    しかしながら、ガンジーの厳しい批判を真実として受け入れた場合、今の日本は酷い国なのだろうか。

     

    もっとハッキリと言えば、今の日本人は、卑下されるべき人間なのだろうか。

     

    「無実」である必要を感じる為に、黒も白と言い含めることでもしない限り、決してそうではないだろう。

     

     

    それでは、国の為に戦った一人一人の兵士ら「先人」は、卑下されるべき人間なのだろうか。そうとも思わない。

     

    本人が、残酷で不必要な戦争犯罪を犯したのでもない限り、或いは、政策や戦略に決定権を持つ立場でない限り、彼らとて、誤った政策や無謀な戦略の非はない。

     

     

    国の為に戦った兵士に敬意が払われるのは、当然である。

     

    それでも、「国の為に戦った先人」への感謝と、国家としての政策、軍や部隊としての戦略の是非は別なのだ。

     

     

    自らの信じたい物語にとって不都合な情報を省いて良いならば、

     

    例えナチスであっても、その非道を正当化し、美化する歪曲史観が出来上がるだろう。

     

    そしてそうしたを喜んで主張する人々もいる。こうした人々は、歴史の事実を事実として学ぶ前に、そのキッカケとなる動機が問われるべきだ。

     

     

    「日本人としての誇りを取り戻す為」の歴史教育、また史実の追及には、そもそも「日本人としての誇りを取り戻す」という動機があり、

     

    その動機の為に、結局は「日本人としての誇り」にとって都合の悪い情報は排除するプロパガンダに成り下がってしまっている。

     

     

    そしてこうした「日本人としての誇りを取り戻す」という動機のある歴史観から来る主張は、当然の事ながら、日本人としての誇りに関係の無い人々に対する説得力は無く、

     

    現在の日本人をして、仲間内でしか通用しない教義を語るカルト信者のように見せるだろう。

     

    HKennedy 1年前

     

     

    http://hkennedy.hatenablog.com/entry/2017/02/13/165327

     

     

     

    カストロ  ケネディ  スターリン の歴史

    • 2017.03.18 Saturday
    • 07:41

     

    2016 11月25日にキューバのフィデル・カストロが死亡したという。


    言うまでもなく、カストロはキューバ革命の英雄。アメリカ支配層の傀儡だったフルヘンシオ・バチスタ政権を倒すため、1953年7月26日に実行されたモンカダ兵営襲撃から革命は始まり、59年1月1日にバチスタがキューバを逃げ出し、8日にカストロがハバナ入りして終わった。アメリカでは1953年1月から61年1月までドワイト・アイゼンハワーが大統領を務めている。

     

     

    この当時、アメリカ支配層の好戦派はソ連に対する先制攻撃を考えていた。この計画とキューバ情勢は深く結びついている。

     

     

    第2次世界大戦で殺されたソ連人は2000万人以上、工業地帯の3分の2を含むソ連全土の3分の1が破壊されている。


    しかもソ連軍で装備が十分な部隊は3分の1にすぎず、残りの3分の1は部分的な装備しか持たず、残りは軍隊の体をなしていなかった。

     


    これはアメリカ支配層の中でも好戦派として知られている。ポール・ニッツェの分析だ。本ブログでは何度か指摘したように、アメリカ軍はドイツ軍とまともに戦っていない。

     


    日本がポツダム宣言を受諾すると通告してから約1カ月後にはJCS(統合参謀本部)でソ連に対する先制攻撃を必要なら実行すると決められている。この決定はピンチャーという暗号名で呼ばれた。もっとも、この時点でアメリカが保有していた核兵器は2発にすぎないと言われているので、全面核戦争というわけではないだろう。

     

     

     

    1948年後半になると、心理戦の専門家で特殊部隊の産みの親とされている「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」 翌年に出されたJCSの研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。

     

     

    1952年11月にアメリカは水爆実験に成功している。

     


    この当時、原爆の輸送手段は爆撃機。その任務を負っていたのがSAC(戦略空軍総司令部)で、1948年から57年まで司令官を務めたのがカーティス・ルメイ中将だ。日本の諸都市で市民を焼夷弾で焼き殺し、広島や長崎に原爆を落とした責任者だ。

     

     

     

    1954年になるとSACは600から750機の核爆弾をソ連に投下、2時間で破壊し、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。

     


    この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。1957年の初頭になると、アメリカ軍はソ連への核攻撃を想定した「ドロップショット作戦」を作成、300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたという。1958年にアメリカが保有する核兵器の数は3000発に近づいた。

     


    1960年の大統領選挙で共和党の候補者だったリチャード・ニクソンはアイゼンハワー政権の副大統領。そこで、軍事的にアメリカが圧倒していることを知っていた。

     


    それに対して民主党のジョン・F・ケネディ上院議員は1958年8月にソ連がミサイルで優位に立っていると主張、「ミサイル・ギャップ」なる用語を使って危機感を煽り、有権者の心をつかんだ。

     

    こうした話をケネディに吹き込んだのは、元空軍省長官のスチュアート・サイミントン上院議員だとされている。

     

     

     

    もっとも、ケネディが好戦的だったと言うことは正しくない。例えば、1954年4月には議会でフランスがベトナムで行っている戦争を支持するアイゼンハワー大統領を批判、また57年7月には、アルジェリアの独立を潰すために戦争を始めたフランスの植民地主義に強く反対、60年の大統領選挙ではアイゼンハワーとジョン・フォスター・ダレス国務長官の好戦的な外交政策を批判している。

     


    結局、選挙でケネディが勝利した。その段階で彼はジョン・フォスター・ダレスの弟でCIA長官だったアレン・ダレスやFBIのJ・エドガー・フーバーを解任するべきだと考えていたようだ。ケネディの父親、ジョセフ・ケネディも大統領の意思を無視して勝手に動くダレス兄弟が危険だということを話していたと言われている。

     

    ]

    しかし、選挙結果が僅差での勝利だったことからケネディは両者を留任させ、国務長官にはCFR(外交問題評議会)やロックフェラー基金を通じてダレス兄弟と近い関係にあったディーン・ラスクを任命した。

     

    ケネディが大統領に就任した3カ月後、1961年4月に亡命キューバ人の部隊がキューバへの軍事侵攻を目論んで失敗する。その背後にはCIAがいた。

     

    ダレスCIA長官など好戦派はそうした作戦の失敗を想定、アメリカ軍の本格的な軍事介入を予定していた可能性が高いと考えられている。

     

     

    実際、チャールズ・キャベルCIA副長官は航空母艦からアメリカ軍の戦闘機を出撃させようと大統領に進言したが、却下されてしまう。その後、キャベル副長官はアレン・ダレス長官やリチャード・ビッセル計画局長とともに解任された。

     

     

    7月になると、ケネディ大統領に対してライマン・レムニッツァーJCS議長をはじめとする軍の幹部が1963年後半にソ連を核攻撃するという計画を大統領に説明した。

     

    大統領から1962年の後半ならどうなのかと聞かれたレムニッツァーは使用できる十分なミサイルが不足していると答えたという。

     

     

    レムニッツァーは大戦中の1944年からアレン・ダレスと面識がある。ふたりは秘密裏にナチスと接触し、降服に関してスイスで話し合っているのだ。その先にはナチスと手を組んでソ連と戦うという道筋ができていた。

     

     

    キューバに対するアメリカ軍の侵攻を正当化するため、レムニッツァーたちは偽旗作戦を考えている。

     


    例えば、キューバのグアンタナモにあるアメリカ海軍の基地をキューバ側のエージェントを装って攻撃、マイアミを含むフロリダの都市やワシントンでの「テロ工作」も展開、アメリカ人が操縦するミグ・タイプの航空機で民間機を威嚇、船舶を攻撃、アメリカ軍の無人機を破壊したり、民間機のハイジャックを試みたり、キューバ側を装ってその周辺国を攻撃したりする計画もあった。

     

     

    それだけでなく、民間旅客機がキューバ軍に撃墜されたように装う計画もあった。

     

    民間機のコピー機をフロリダ州にあるエグリン空軍基地で作り、本物は自動操縦できるように改造、空港から人を乗せたコピー機に離陸させ、途中で自動操縦の飛行機と入れ替え、それをキューバ近くで自爆させ、キューバ軍に撃墜されたように見せかけようとしていた。

     

     

    そのほか、4ないし5機のF101戦闘機をキューバに向かって発進させ、そのうち1機が撃墜されたように見せかける計画もあった。この偽旗作戦をレムニッツァーは1962年3月にロバート・マクナマラ国防長官に長官のオフィスで説明しているが、拒否されている。

     

     

    アメリカの好戦派、つまり疲弊したソ連を先制核攻撃で殲滅しようと考えていた勢力がキューバへの軍事侵攻に執着した理由は 中距離ミサイルによる反撃を恐れたからだと考えることができる。

     


    アメリカがソ連に対する先制核攻撃を考えていることはソ連政府も知っていたはず。長距離爆撃機やICBM(大陸間弾道ミサイル)で対抗できなければ中距離ミサイルを使うしかない。アメリカもソ連もそう考え、両国はキューバに注目したのではないだろうか。

     

    そして1962年8月、アメリカはソ連がキューバへミサイルを運び込んでいることに気づく。偵察機のU2がキューバで8カ所の対空ミサイルSA2の発射施設を発見、9月には3カ所の地対空ミサイル発射装置を確認したのだ。

     

    ハバナの埠頭に停泊していたソ連の貨物船オムスクが中距離ミサイルを下ろし始め、別の船ボルタワがSS4を運び込んでいることも判明した。

     

     

    こうした事態を受け、10月9日にケネディ大統領はJCSのメンバーと会談、ルメイを中心とするグループは運び込まれたミサイルを空爆で破壊すべきだと主張した。空爆してもソ連は手も足も出せないはずだというのだが、ケネディは同意していない。

     

     

     

    ケネディ大統領は10月22日、キューバにミサイルが存在する事実をテレビで公表、海上封鎖を宣言した。

    戦略空軍はDEFCON3(通常より高度な防衛準備態勢)へ引き上げ、24日には一段階上のDEFCON2にする一方、ソ連を空爆する準備をしている。

     

     

    27日にはU2がキューバ上空で撃墜され、ニューヨークにいたソ連の外交官たちは機密文書の処分を始めたという。27日にはシベリア上空でU2がソ連のミグ戦闘機に要撃されている。この出来事を受け、マクナマラ国防長官はU2の飛行停止を命令したが、その後も別のU2が同じことを繰り返した。(2001)

     

     

    それだけでなく、アメリカ海軍の空母「ランドルフ」はカリブ海で対潜爆雷を投下するが、その近くにはキューバへ向かう輸送船を警護していたソ連の潜水艦がいた。


    その副長は参謀へ連絡しようとするが失敗する。アメリカとソ連の戦争が始まったと判断して核魚雷の発射準備に同意するようふたりの将校に求めるが、政治将校が拒否して実行はされなかった。

     

    この日、カーティス・ルメイ空軍参謀長などJCSの強硬派は大統領に対し、即日ソ連を攻撃するべきだと詰め寄っていたという。

     

     

    結局、10月28日にソ連のニキータ・フルシチョフ首相はミサイルの撤去を約束、海上封鎖は解除されて核戦争は避けられたのだが、ベトナム戦争の実態を内部告発したダニエル・エルズバーグによると、キューバ危機が外交的に解決された後、国防総省の内部ではクーデター的な雰囲気が広がっていたという。

     

     

     

    当時、マクナマラ長官はキューバへ軍事侵攻した場合のアメリカ側の戦死者数を4500名になると推測していたが、30年後、アメリカ人だけで10万人が死んだだろうと訂正している。

     

    その翌年、1963年6月10日にケネディ大統領はアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行った。

     


    アメリカが軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定することから演説は始まり、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」だと語りかけたのだ。

     

     

    ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのはその年の11月22日。 当時のダラス市長はCIA副長官だったチャールズ・キャベルの弟、アール・キャベルだ。

     

     


    ソ連に対する攻撃をアメリカの好戦派だけが考えていたわけではない。

     

    第2次世界大戦の終盤、1945年4月12日にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、5月7日にドイツが降伏するが、その直後にウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、5月22日にアンシンカブル作戦が提出されている。

     

    7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからだ。

     

     

     

    もし、カストロたちの革命が成功せずキューバをアメリカが支配していたなら、ソ連に対する先制核攻撃が実行された可能性はかなり高くなるだろう。


    そうした戦争が始まったなら、沖縄をはじめ、日本は核兵器の発射基地になり、報復の対象になったはずだ。

     

     

    https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201611270000/

     

     

     


    ◎ ハザール系ディープステートの傀儡でありながら、反旗を翻して暗殺されたスターリン。唐突にクーデターを起こしてディープステートを駆逐し、ロシアをロシア人の手に戻した愛国ジューコフ元帥。

     


    英メーソンのゴルビーによるソ連解体。。これはイギリスが仕組んだもの。

     

     

    エリツィン政権でロシアは英米オリガルヒに食い荒らされ、ボロボロになりますが、ユダヤ・オリガルヒに牛耳られてアル中になっていたエリツィンは、退陣前に、プーチンを後継者に指名。これは反旗を翻した スターリンのように、ロシアを守りたいという一抹の望みを託したのだと思います。

     

     

     

     

    カストロ  ソ連  ケネディ / ルメイに勲章

    • 2016.11.28 Monday
    • 09:45

     

    11月25日にキューバのフィデル・カストロが死亡したという。


    言うまでもなく、カストロはキューバ革命の英雄。

    アメリカ支配層の傀儡だったフルヘンシオ・バチスタ政権を倒すため、1953年7月26日に実行されたモンカダ兵営襲撃から革命は始まり、59年1月1日にバチスタがキューバを逃げ出し、8日にカストロがハバナ入りして終わった。

    アメリカでは1953年1月から61年1月までドワイト・アイゼンハワーが大統領を務めている。

     

    この当時、アメリカ支配層の好戦派はソ連に対する先制攻撃を考えていた。この計画とキューバ情勢は深く結びついている。

     
    第2次世界大戦で殺されたソ連人は2000万人以上、工業地帯の3分の2を含むソ連全土の3分の1が破壊されている。

    しかもソ連軍で装備が十分な部隊は3分の1にすぎず、残りの3分の1は部分的な装備しか持たず、残りは軍隊の体をなしていなかった。

    これはアメリカ支配層の中でも好戦派として知られている。ポール・ニッツェの分析だ。本ブログでは何度か指摘したように、アメリカ軍はドイツ軍とまともに戦っていない。

     

    日本がポツダム宣言を受諾すると通告してから約1カ月後にはJCS(統合参謀本部)でソ連に対する先制攻撃を必要なら実行すると決められている。

    この決定はピンチャーという暗号名で呼ばれた。もっとも、この時点でアメリカが保有していた核兵器は2発にすぎないと言われているので、全面核戦争というわけではないだろう。



     1948年後半になると、心理戦の専門家で特殊部隊の産みの親とされている「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、

    ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)、翌年に出されたJCSの研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)を落とすという内容が盛り込まれていた。


    1952年11月にアメリカは水爆実験に成功している。

     

    この当時、原爆の輸送手段は爆撃機。その任務を負っていたのがSAC(戦略空軍総司令部)で、1948年から57年まで司令官を務めたのがカーティス・ルメイ中将だ。日本の諸都市で市民を焼夷弾で焼き殺し、広島や長崎に原爆を落とした責任者だ。

     

    1954年になるとSACは600から750機の核爆弾をソ連に投下、2時間で破壊し、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。

    この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。1957年の初頭になると、アメリカ軍はソ連への核攻撃を想定した「ドロップショット作戦」を作成、300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたという。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

    1958年にアメリカが保有する核兵器の数は3000発に近づいた。

     

    1960年の大統領選挙で共和党の候補者だったリチャード・ニクソンはアイゼンハワー政権の副大統領。

    そこで、軍事的にアメリカが圧倒していることを知っていた。


    それに対して民主党のジョン・F・ケネディ上院議員は1958年8月にソ連がミサイルで優位に立っていると主張、「ミサイル・ギャップ」なる用語を使って危機感を煽り、有権者の心をつかんだ。こうした話をケネディに吹き込んだのは、元空軍省長官のスチュアート・サイミントン上院議員だとされている。



     もっとも、ケネディが好戦的だったと言うことは正しくない。

    例えば、1954年4月には議会でフランスがベトナムで行っている戦争を支持するアイゼンハワー大統領を批判、また57年7月には、アルジェリアの独立を潰すために戦争を始めたフランスの植民地主義に強く反対、

    60年の大統領選挙ではアイゼンハワーとジョン・フォスター・ダレス国務長官の好戦的な外交政策を批判している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

     

    結局、選挙でケネディが勝利した。その段階で彼はジョン・フォスター・ダレスの弟でCIA長官だったアレン・ダレスやFBIのJ・エドガー・フーバーを解任するべきだと考えていたようだ。

    ケネディの父親、ジョセフ・ケネディも大統領の意思を無視して勝手に動くダレス兄弟が危険だということを話していたと言われている。

     

    しかし、選挙結果が僅差での勝利だったことからケネディは両者を留任させ、国務長官にはCFR(外交問題評議会)やロックフェラー基金を通じてダレス兄弟と近い関係にあったディーン・ラスクを任命した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

     

    ケネディが大統領に就任した3カ月後、1961年4月に亡命キューバ人の部隊がキューバへの軍事侵攻を目論んで失敗する。

    その背後にはCIAがいた。ダレスCIA長官など好戦派はそうした作戦の失敗を想定、アメリカ軍の本格的な軍事介入を予定していた可能性が高いと考えられている。

    実際、チャールズ・キャベルCIA副長官は航空母艦からアメリカ軍の戦闘機を出撃させようと大統領に進言したが、却下されてしまう。その後、キャベル副長官はアレン・ダレス長官やリチャード・ビッセル計画局長とともに解任された。(L. Fletcher Prouty, "JFK," Citadel Press, 1996)



     7月になると、ケネディ大統領に対してライマン・レムニッツァーJCS議長をはじめとする軍の幹部が1963年後半にソ連を核攻撃するという計画を大統領に説明した。

    大統領から1962年の後半ならどうなのかと聞かれたレムニッツァーは使用できる十分なミサイルが不足していると答えたという。

     

    レムニッツァーは大戦中の1944年からアレン・ダレスと面識がある。ふたりは秘密裏にナチスと接触し、降服に関してスイスで話し合っているのだ。その先にはナチスと手を組んでソ連と戦うという道筋ができていた。

     
    キューバに対するアメリカ軍の侵攻を正当化するため、レムニッツァーたちは偽旗作戦を考えている。

    例えば、キューバのグアンタナモにあるアメリカ海軍の基地をキューバ側のエージェントを装って攻撃、マイアミを含むフロリダの都市やワシントンでの「テロ工作」も展開、アメリカ人が操縦するミグ・タイプの航空機で民間機を威嚇、船舶を攻撃、アメリカ軍の無人機を破壊したり、民間機のハイジャックを試みたり、キューバ側を装ってその周辺国を攻撃したりする計画もあった。



    それだけでなく、民間旅客機がキューバ軍に撃墜されたように装う計画もあった。

    民間機のコピー機をフロリダ州にあるエグリン空軍基地で作り、本物は自動操縦できるように改造、空港から人を乗せたコピー機に離陸させ、途中で自動操縦の飛行機と入れ替え、それをキューバ近くで自爆させ、キューバ軍に撃墜されたように見せかけようとしていた。


    そのほか、4ないし5機のF101戦闘機をキューバに向かって発進させ、そのうち1機が撃墜されたように見せかける計画もあった。(Memorandum for the Secretary of Defense, 13 March 1962)

    この偽旗作戦をレムニッツァーは1962年3月にロバート・マクナマラ国防長官に長官のオフィスで説明しているが、拒否されている。(Thierry Meyssan, “9/11 The big lie”, Carnot Publishing, 2002)

     

    アメリカの好戦派、つまり疲弊したソ連を先制核攻撃で殲滅しようと考えていた勢力がキューバへの軍事侵攻に執着した理由は中距離ミサイルいよる反撃を恐れたからだと考えることができる。



     アメリカがソ連に対する先制核攻撃を考えていることはソ連政府も知っていたはず。長距離爆撃機やICBM(大陸間弾道ミサイル)で対抗できなければ中距離ミサイルを使うしかない。アメリカもソ連もそう考え、両国はキューバに注目したのではないだろうか。

     

    そして1962年8月、アメリカはソ連がキューバへミサイルを運び込んでいることに気づく。偵察機のU2がキューバで8カ所の対空ミサイルSA2の発射施設を発見、9月には3カ所の地対空ミサイル発射装置を確認したのだ。(Jeffrey T. Richelson, "The Wizards of Langley," Westview Press, 2001)


    ハバナの埠頭に停泊していたソ連の貨物船オムスクが中距離ミサイルを下ろし始め、別の船ボルタワがSS4を運び込んでいることも判明した。(Martin Walker, "The Cold War," Fourth Estate, 1993)

     

    こうした事態を受け、10月9日にケネディ大統領はJCSのメンバーと会談、ルメイを中心とするグループは運び込まれたミサイルを空爆で破壊すべきだと主張した。空爆してもソ連は手も足も出せないはずだというのだが、ケネディは同意していない。



     ケネディ大統領は10月22日、キューバにミサイルが存在する事実をテレビで公表、海上封鎖を宣言した。


    戦略空軍はDEFCON3(通常より高度な防衛準備態勢)へ引き上げ、24日には一段階上のDEFCON2にする一方、ソ連を空爆する準備をしている。


    27日にはU2がキューバ上空で撃墜され、ニューヨークにいたソ連の外交官たちは機密文書の処分を始めたという。

    27日にはシベリア上空でU2がソ連のミグ戦闘機に要撃されている。この出来事を受け、マクナマラ国防長官はU2の飛行停止を命令したが、その後も別のU2が同じことを繰り返した。(Richard J. Aldrich, "The Hidden Hand," John Murray, 2001)

     

    それだけでなく、アメリカ海軍の空母「ランドルフ」はカリブ海で対潜爆雷を投下するが、その近くにはキューバへ向かう輸送船を警護していたソ連の潜水艦がいた。


    その副長は参謀へ連絡しようとするが失敗する。アメリカとソ連の戦争が始まったと判断して核魚雷の発射準備に同意するようふたりの将校に求めるが、政治将校が拒否して実行はされなかった。

    この日、カーティス・ルメイ空軍参謀長などJCSの強硬派は大統領に対し、即日ソ連を攻撃するべきだと詰め寄っていたという。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

     

    結局、10月28日にソ連のニキータ・フルシチョフ首相はミサイルの撤去を約束、海上封鎖は解除されて核戦争は避けられたのだが、ベトナム戦争の実態を内部告発したダニエル・エルズバーグによると、キューバ危機が外交的に解決された後、国防総省の内部ではクーデター的な雰囲気が広がっていたという。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015)

     

    当時、マクナマラ長官はキューバへ軍事侵攻した場合のアメリカ側の戦死者数を4500名になると推測していたが、30年後、アメリカ人だけで10万人が死んだだろうと訂正している。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

     

    その翌年、1963年6月10日にケネディ大統領はアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行った。

    アメリカが軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定することから演説は始まり、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)だと語りかけたのだ。

    ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのはその年の11月22日。当時のダラス市長はCIA副長官だったチャールズ・キャベルの弟、アール・キャベルだ。

     

    ソ連に対する攻撃をアメリカの好戦派だけが考えていたわけではない。


    第2次世界大戦の終盤、1945年4月12日にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、5月7日にドイツが降伏するが、その直後にウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、5月22日にアンシンカブル作戦が提出されている。


    7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからだ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)




     もし、カストロたちの革命が成功せずキューバをアメリカが支配していたなら、ソ連に対する先制核攻撃が実行された可能性はかなり高くなるだろう。そうした戦争が始まったなら、沖縄をはじめ、日本は核兵器の発射基地になり、報復の対象になったはずだ。


    http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201611270000/



    ☆ ソ連は ハザールユダヤ ・・・ けれど 英米マフィアから徹底的に標的にされている。 もちろん ロシアとロシア人が標的でしょうが、ハザールソ連 そのものも 英米と敵対しているようにも感じて、どうも、田布施マフィアと ソ連マフィアとの違いが よく分かりません。

    もし 田布施マフィアであったなら、英米に同調し、自分たちが生き延び、日本と日本人を殺戮する計画を進めただろう と感じるからです。


     

     

    無差別大量虐殺だった東京大空襲を指揮した
    カーチス・ルメイ少将に勲章を授与したのは天皇である!?

     

          

     

     

            

     

     

           

     

     

     

    日本国民を一番殺戮した張本人に、勲章を与えようと推奨したのが小泉純一郎元総理の父、当時防衛庁長官だった小泉純也である。

    しかし、天皇が承認しサインしなければ、相手が何者であれ、勲章を受章することは、絶対に有り得ない。
    内閣総理大臣と最高裁判所長官も天皇の任命無くして就任することは叶わないのである。
     

     

    つまり、何事においても天皇が認めなければ、法的にも無効なのであり、そして・・・

    無差別大量虐殺だった東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ少将に勲章を授与したのは天皇であることに間違いは無い。


    天皇を象徴天皇というのは、戦後におけるあくまでも戦争責任を避け、対外的な体裁を取り繕って、唯一、天皇体制を護るのが目的であって、日本国家における本当の序列は、実質的に、今でも天皇が第一位であり、影のフィクサーであることに疑いの余地はない。


    多くの日本人が、洗脳とプロパガンダによって大いなる錯覚と勘違いをしているだけである。


    真に覚醒したい人は見るべし。


    福沢諭吉が、女性を海外に売り飛ばすことを推奨し、
    天皇はその話に飛びついた!!!
    http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-686.html

    http://ameblo.jp/64152966/entry-12059401471.html

     

     

    ☆ 天皇を殺し 差し替えて クーデターは成功したのですから、頂点は天皇です。 そうではなくて、「軍」 「官僚」と話をすりかえるのは ナンセンスです。

     

    ルメイは 原爆の時の 重要な 責任者でもあります。

     

    ある時から 日本は変わりましたね。 まずは、名目上でも責任者が、切腹して、部下を守ったという歴史は、あの時から、部下に責任を転嫁して、真犯人は責任をとらない、そんな文化が、あの時から根づいてきました。

     

    つまり、すりかわったのです。

     

     

     

     

    カダフィ

    • 2016.02.06 Saturday
    • 08:18



    (画像はどちらも 残酷。 見たくなかったらスルーしてくださいね)



    2.5   カッザーフィー大佐の生涯の最後の数分間を収めた映像がネットに出回る
    https://fanblogs.jp/sec/blog/article/edit/input?id=3983870

      2011年に追い落とされ、群衆に引き裂かれたリビア指導者カッザーフィー大佐の生涯の最後の数分間を収めた新たな映像がネットに登場した。
     



    ○ シオニストによる「カダフィ」殺害 By Brother Nathanael Kapner 10月21日 Real Zionist News

    http://satehate.exblog.jp/17005328



    ◆シオニストに支援された反乱による残虐なカダフィ殺害は、ユダヤ系国際的銀行に抵抗した政治的リーダーに何が起きるのかということを示す例である。

    カダフィは5つの分野でロスチャイルド系世界的銀行カルテルの参加要請を拒否した。

    ●共通通貨を持つアフリカ連合 ここも
    ●リビア中央銀行
    ●150トンの金塊
    ●石油産業
    ●青い金としての水資源




    2011年7月、カダフィの後継者と見なされていた息子であるサイフ・アル・イスラムは、リビアの黒いダイヤとしての石油だけがシオニスト系欧米が求めているものではなく、リビアの青い金としての水も彼らが求めたものだ、と述べた。リビアの地下にはヌビアン・スタンドストーン帯水層が500マイルに渡って存在している。




    国際的ユダヤ系銀行カルテルに対するカダフィの主要な脅威は金を裏付けとするリビア・ディナールのアフリカ共通通貨計画であった。これはアフリカの主要通貨であるドル、ポンド、フランというすべての不換通貨にとって代わることになったであろう。



    ユダヤ系銀行利益は、アメリカ・ドルがユダヤが運営する連邦準備銀行で;イギリス・ポンドがユダヤが運営するイングランド銀行;そして、フランス・フランがユダヤが運営するフランス銀行によって支えられている状況なので、明らかに行き詰まっている。



    リビアに対する三つの最大の侵略者たち、シオニストが買収した指導者たちである、オバマ、キャメロン、サルコジのアメリカ、イギリス、フランスがリビア元首のムアマール・カダフィの残虐な殺害を称賛したことは、驚くことだろうか? 驚きではありえない。

    ☆ 全文は、本体ブログをご覧ください。






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