靖国神社の徳川宮司が退任意向

  • 2018.01.25 Thursday
  • 00:37

 

 

1.24  靖国神社の徳川宮司が退任意向   明治維新巡る歴史認識で波紋

 

 

靖国神社の徳川康久宮司(69)が退任する意向を関係者に伝えていたことが23日、分かった。

 

定年前の退任は異例。徳川氏は「一身上の都合」と周囲に説明している。

 

 

徳川幕府15代将軍慶喜を曽祖父に持つ徳川氏が16年の共同通信のインタビューで示した明治維新に関する歴史認識について、同神社元総務部長が

 

 

「会津藩士や西郷隆盛ら『賊軍』の合祀の動きを誘発した」と徳川氏を批判、波紋が広がっていた。

 

 

明治維新のため幕府と戦って亡くなった人々の顕彰という創立の理念に絡んで発言した徳川氏が早期に退任すれば、来年創立150年を迎える靖国神社の合祀の在り方を巡る論議が活発化しそうだ。

 

 

 


☆ ミスリードのためではありません あらかじめ言っておきます。
全ては ま逆の説も あるからです。

 

 

 

◎  靖国は 田布施村の守護神

 

靖国神社は、「靖国で会おう」と誓った太平洋戦争で亡くなった日本兵の心の拠り所としてのシンボルとして考えられています。

 

また、A級戦犯が合祀されていることから、日本の首相参拝が行われる度に、中国、韓国、北朝鮮の3カ国は激しく反発しています。

 

 

しかし、事実は真逆であり、靖国神社は、田布施村出身の朝鮮民族による日本民族弾圧のシンボルであり、かれらの謀略で殺された孝明天皇や、日露、日清戦争、そして、太平洋戦争で戦死していった

 

日本の若者の怨霊を封じ込める、招魂の儀式の場です。

 

 

靖国神社は、1869年6月29日、建てられた東京招魂社が始まりで、1879年に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。

 

 

 

明治天皇は、当時の山口県田布施村出身の大室寅之祐。 (注: 箕作圭吾の説もあり 管理人)

 

 

1866年、孝明天皇と明治天皇となるはずだった睦仁親王が、同じく田布施村出身の長州藩士によって殺害。1869年の東京遷都で、大室寅之祐が新明治天皇として正式に御所ですりかわって即位しました。

 

 

招魂とは、彷徨える御霊を招き、この世での未練を断ち切らせ、あるいは自分の肉体が既にこの世には無いことを教え、死者の国(常世の国あるいは黄泉の国)へ行かせる儀式です。

 

 

*鎮魂とは、「(み)たましずめ」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める儀式であり、魂を外から揺すって魂に活力を与える魂振(たまふり)を含めて鎮魂という。

 

 

招魂の儀式は、江戸幕府が管理していた陰陽道ではない。この儀式は朝鮮人の儀式である。

 

孝明天皇と睦仁親王を殺害して明治天皇にすりかわった大室寅之祐と、(注: 箕作圭吾の説もあり 管理人)それに関わった三条実美、伊藤博文 西郷隆盛らは、李王家の家臣を祖とする両班派閥で、謀略で殺した孝明天皇と睦仁親王の招魂が必要だと考えました。

 

彼らは、大村益次郎に命じて東京招魂社を建立します。

 

 

 

その後、田布施村出身の長州藩士を中心とする明治政府に反旗を翻した西南の役で戦死者を招魂し、1879年に靖国神社に改名します。

 

 

靖国神社は、1853年のペリー来航以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」という詭弁を弄して、彼らの怨念を封印する招魂の場となったのです。

 

 

 

つまり、靖国神社は、田布施村出身の政府要人の神社であり、それは彼らに利用され殺された日本人の怨霊を招き封印する場です。。

 

 

戦後、日本民族として首相となった田中角栄は、米国のフリーメーソンの謀略で失墜されます。

 

 

靖国参拝を政治に持ち込んだのは山本五十六を米国に密告した中曽根康弘。

 

以降、鹿児島の田布施村の系譜をもつ小泉純一郎や、山口県田布施村の系譜の安倍晋太郎は靖国参拝を政治に持ち込んでいます。

 

 

田布施村系譜のフリーメーソンの守護神社である靖国は、邪馬台国フリーメーソンを守護する伊勢神宮とともに日本民族を支配するシンボルとなっています。

 

 

http://www.link-21.com/history/src/013.html

 

 

 

☆ 上記の記事での

 

西郷隆盛  昭和天皇 などについての記述は 納得できませんでしたので それらは 元記事でお読みください。

 

維新は 根本的に 英国 ロス茶のNWOに組み込まれた 天皇すり替えということを抜きにしては たんに 国内の争いとしか見えません。

 

 

 

 

靖国を守ったのは 「バチカン」


戦争 侵略の象徴として 破棄すべきという世界の声は大きく GHQはバチカンの相談した 結果 残された。


www12.plala.or.jp/rekisi/batikanyasukuni.html

 

 

 

◎ 靖国神社の歴史は以外に新しく、明治期に建てられました

 

その成り立ちと当初の目的を探ると、元々から明治政府の 「富国強兵政策」のもとで、

 

戦意高揚のために建てられたものであると見るのが、妥当なのではないかと思います。


www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=284837

 

 

 

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