フランスという国  善と悪が交互になる その仕組み

  • 2018.09.27 Thursday
  • 23:15

 

 

☆ 悪魔の親分 (英王室とか ロス茶)が ある国を完全支配して 人間を奴隷にしようとするなら 政治やの首を 親分の子分にすればよい。

 

これで 首を 変えるための 様々な 攻防戦が展開する。

 

一番やっかいなのは

 

ロイヤルが トップにいる国 (象徴という嘘の名称)。

 

それは 完璧な カルト 錦の御旗になる。

 

ロイヤルの国というものが どれほど やっかいなことかということですね。

 

 

 

〇 ロシア軍機を撃墜した フランスという国

 

 

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の父親、ベンシオンはポーランドからパレスチナへ移民した人物で、

大学時代にジャボチンスキーの「修正主義シオニスト世界連合」へ参加、1940年にはアメリカへ渡り、ジャボチンスキーの秘書になった。



その直後にジャボチンスキーは死亡するのだが、死んだ後もベンシオンはアメリカで活動を続け、

パレスチナへ戻るのはイスラエルの「建国」が宣言された翌年、1949年のことだ。

1950年代からはアメリカの大学で教鞭を執っている。


アメリカでエマニュエル・マクロンに近いのはヒラリー・クリントン、ベンヤミン・ネタニヤフに近いのはドナルド・トランプだ。


マクロンは昨年(2017年)5月の大統領選挙で勝利、大統領になったのだが、

そのときのライバルがマリーヌ・ル・ペン。


フランスの裁判所はル・ペンのダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)批判に絡み、彼女に精神鑑定を受けさせるように命じた。

ル・ペンにつけられた「極右」というタグに影響され、
「左翼」や「リベラル」を自称している人の相当部分は反射的に彼女を敵視する。


彼女からなら言論の自由を奪ってもかまわないという発想なのだろうが、その矛先は全ての人びとに向けられることになる。


アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権が2003年にイラクを先制攻撃した際、フランスはアメリカ政府の命令に従わず、戦争に反対した。
そのときのフランス大統領はド・ゴール派のジャック・シラク。

 

 

その後、シラクはスキャンダルに巻き込まれ、2011年12月に有罪判決を受けている。
 



シャルル・ド・ゴールは1959年から69年にかけてフランス大統領を務めた人物。アメリカ支配層とは一線を画していた。

フランスはイタリアと同じようにコミュニストの影響力が強かった国で、それはCIAの積極的な秘密工作につながる。


1947年にフランスで社会党政権が誕生すると、その内部大臣だったエドアル・ドプは、右翼の秘密部隊が創設されたと語っている。


その黒幕はアメリカとイギリスの支配層だったと見られている。


その年の夏、アメリカのCIAとイギリスのMI6は秘密部隊を使い

「青計画」と名付けられたクーデターを実行、シャルル・ド・ゴールを暗殺しようとする


発見された文書によると、まず政治的な緊張を高めるために左翼を装って「テロ」を実行し、クーデターを実行しやすい環境を作り出すことになっていた。フランスの情報機関SDECEも関与していたと見られている。


1961年にはOAS(秘密軍事機構)なる秘密組織が作られた

ド・ゴールに反発する軍人らによって構成される組織だが、その黒幕もCIAの破壊工作部門。

OASはこの年の4月にマドリッドで開いた会議でクーデターを計画する。


まず、アルジェリアの主要都市、アルジェ、オラン、そしてコンスタンチンの支配を宣言し、その後でパリを制圧するという計画。

その中心にはモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍がいた。
 

 


それに対し、アメリカ大統領に就任して間もないジョン・F・ケネディはジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、

必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。


クーデター軍がパリへ侵攻してきたならアメリカ軍を投入するということを意味しているわけで、

クーデター計画の黒幕とも言うべきCIAは驚愕する。

その後、ド・ゴール大統領はSDECE長官を解任、SDECEの暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。


クーデターに失敗したOASだが、その一部は1962年8月にパリでド・ゴール大統領の暗殺を試み、失敗している。

暗殺計画に加わったメンバーは9月にパリで逮捕され、全員に死刑判決が言い渡された。

 


ただ、実際に処刑されたのはジャン=マリー・バスチャン=チリー大佐だけ。

 

ド・ゴールを救ったケネディ大統領は1963年11月に暗殺された。



ド・ゴール暗殺未遂から4年後の1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、

翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出したが、

ド・ゴールが大統領を退くとフランスの情報機関は再びCIAの下部機関と化してしまう。


フランスがNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言したのは1995年のこと。

完全復帰は2009年、ニコラ・サルコジが大統領だったときだ。
(了)


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809240001/

 


 

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