靖国 人間としての本音 /トルコ /ネオナチ傭兵の失業

  • 2016.08.17 Wednesday
  • 08:29

 

靖国

 

 

私は1935年生まれ、日本敗戦の時は10歳でした。従って戦時中の軍国主義の時代の空気は深く吸っています。

 

当時の私達にとって靖国神社はまさに軍国主義の中心核でした。内心ではいやいやながら戦争にかり出された日本人は、戦場において不条理で無残な死を迎えたとき、「国のため、天皇のため」に殉死した「英霊」と見なされ神となって靖国神社に祀られる、ということにせめてもの救いを見出さざるを得なかったのです。

 

 

私の父山本幡男も靖国に祀られていることになっています。

 

 

 

父は1944年、つまり敗戦の一年前、私達が旧満州国の首都新京〔現在の長春)で暮らしていたとき赤紙が来て36歳で兵隊に取られました。「俺はこれから地獄に行くのだ」と母には言い残したそうです。そして敗戦後はシベリアに抑留され、9年目にハバロフスクの収容所で病死しました。本籍地の福岡県知事から届いた公報の死亡告知書では、戦病死と記されています。従って自動的に「英霊」となって靖国神社に祀られるのです。

 

 

 

父は兵隊にとられる前までは満鉄の調査部に勤めていました。そのため一般の日本人のように新聞ラジオの報道に騙されることなく、世界の情勢をはっきりと知っていました。こんな無謀な戦争をして日本はいずれ負けると、家庭内では常に軍国主義を呪っていました。

 

 

 

小学校(当時は国民学校と呼ばれていました)の先生から「君達は毎日神棚を拝まなければならない」と言われた私は、母にこっそりと「どうして家には神棚がないの?神棚を買って!」と頼んだら、父が聞きつけて「バカ者め!我が家には神棚なんて絶対置かせないぞ!」と怒鳴られました。(父に関しては、辺見じゅん著「収容所から来た遺書(文春文庫)」をご参照下さい。。http://amzn.to/1jOfTpw)

 

 

 

その様な父が靖国神社に東条英機たちと一緒に祀られるなんて全くのナンセンスです。母は父の名を靖国神社の「英霊」から外してくださいと当時の厚生省に頼んだのですが、「靖国に祀られる神々は一体となって一つの座布団の上に座っているので分祀することは出来ない」という珍妙な理屈で断られました。

 

 

 

戦後の靖国神社は国家管理を離れ、単なる一個の宗教法人として位置づけられているはずです。

 

現行憲法のもとにおける「政教分離」や「信教の自由」の原則からすれば、この神社はごく一部の信徒のためだけの、なんら特別の意味を持たない普通の神社であるべきはずなのですが、日本を再び戦争をする国家にさせようと企む人達にとっては「国のために命を捨てさせる」ための装置としてこの神社は象徴的な大きな意味をもつものなのでしょう。

 

 

 

旧満州で育った私は、日本人が中国人をどんなにひどく差別していたかを身にしみて知っています。いわゆる「大東亜戦争」はアジアの国々を欧米の支配から解放するための正義の戦争だと建前上はされていました。しかし「五族協和の新満州国」とうたっても、満州にいる日本人は中国人を同じ人間とは決して見ていませんでした。町を走る市内電車は普通の日本人用のと「満人」専用のとはっきり区別されていました。

 

 

 

私の父はそうした差別意識とは無関係の人間でした。あるとき父と電車の停留所にいました。どういうわけか普通の電車がなかなか来ません。やってきた満人専用車に「これに乗ろう」と言って父がわたしの手をぐっと引いたとき、私はびっくり仰天しました。日本人が中国人の電車に乗るなどという汚辱は当時の私には堪えられなかったのです。ぎゅうぎゅう詰めで悪臭に満ちた汚い車内で私は泣きたいのを必死にこらえていました。

:引用終了

 

 

 

☆靖国神社

 

軍人が祭神とされることから日本の首相の公式参拝に対して中国や韓国から反発をうけるなど「靖国神社問題」も存在する

 

〜省略〜

 

戊辰戦争・明治維新 7751柱 新政府軍側のみ。遊就館の靖国の神々の一覧表では「明治維新」のみ。(彰義隊や新撰組を含む)旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外となる。 

西南戦争 6971柱 政府軍側のみ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外。 

:引用終了

 

 

☆靖国神社は長州藩の神社

URL http://iwj.co.jp/wj/open/archives/96143

引用:

 

 

靖国神社設立の起源を調べてみると、やはり長州藩にいきつく。1865年、長州藩が奇兵隊の死者を祀るために建立した桜山招魂社が、靖国神社の起源である。その後、禁門の変、戊辰戦争などで戦死した長州軍の兵を合祀。明治維新後、明治天皇の上京にともない、天皇の錦の御旗が与えられることで、官幣の神社として靖国神社が設立された。

 

 

以上の経緯を踏まえると、靖国神社は、明治維新以降、実権を握った長州閥の意向が色濃く反映された神社だと言える。事実、会津藩家老を先祖に持つ右翼の大物・田中清玄は、靖国神社を「長州藩の守り神にすぎないもの」と切り捨てたという。

:引用終了

 

 

 

☆靖国神社問題を分かりやすく整理してみる

URL http://www.izumo-murasakino.jp/shinto-008.html

引用:

 靖国神社については、単なる慰霊、宗教の問題を大きく超えて、政治、外交の問題にまでなってきています。

 それでは、靖国神社の何が問題となっているのか、大きく3つにまとめてみます

 

(1)侵略戦争の象徴でもあり、これを認めると軍国主義の復活に繋がる

(2)政教分離に違反する

(3)外国(中国と韓国)が批判している

 

 

 

■「追悼」「顕彰」「慰霊」

 

 また、この靖国神社の問題を語る上で重要な言葉が3つあります。「追悼」「顕彰」「慰霊」ですが、これらの言葉の意味をまとめますと、以下のようになります。

 

 「追悼」:死者をしのんで、いたみ悲しむこと

 「顕彰」:功績などを世間に知らせ、表彰すること

 「慰霊」:死者の霊魂をなぐさめること

 

 

■A級戦犯について

 

 さて、中国からの抗議の中にもありますが、大きな問題になっているのはいわゆるA級戦犯についての議論です。A級、B級C級との差は罪の大きさではなく、A級は「平和に対する罪」という新しくこしらえた罪のことです。A級戦犯といえば東条英機、あとはよく知らない、というのが大半の人の認識だと思いますが、A級戦犯で興味深いことは

 

・国内的には犯罪者ではない

・毎年8月15日に行われる全国戦没者追悼式でA級戦犯の遺族にも招待状が出されている

(公式にはA級戦犯も対象かどうかは何も言っていない、というのが見解のようですが)

 

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1483.html

 

 

 

 

 

8.16  ロシアとトルコにドル廃止の可能性

 

ロシアとトルコは自国通貨建てに移行する可能性がある。ペテルブルクで行われたプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領の会談の結果明らかになった。

 

両大統領によると、ロシアとトルコの自国通貨建てはロシアとトルコ間の貿易量を大幅に増やす可能性があり、それは特に旅行セクターでの雇用の増加につながる。

 

 

高等経済学院の教師であり東洋学者のアンドレイ・チュプリギン氏は次のように述べている。
「自国通貨建てはすでに中国、韓国そして一連の南米諸国で実現されている。しかし、自国通貨建て移行は、米国が依然として世界で最も強い通貨である以上、極めて複雑で長いプロセスだ」

 

先に伝えられたところによると、トルコの メヴリュト・チャヴシュオール外相は今日11日、トルコはシリアでの対ダーイシュ(イスラム国、IS)共同作戦の可能性をロシアと審議する準備があると声明した。

 

 

 

 

米好戦派が傭兵として使ってきたイスラム武装勢力やネオナチを雇い止めにした場合に生じる惨禍  

 

 

 昨年9月30日にロシア軍がシリアで空爆を始めて以降、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアが中心になって利用してきたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は大きなダメージを受けた。それに対し、ネオコン/シオニストなどアメリカの好戦派、そしてサウジアラビアは巻き返そうと必死に戦闘集団を支援、世界を不安定化させている。ネオコンはロシアや中国を制圧するつもりで戦争を始めたのだろうが、逆に自らが窮地に陥っている。

 

 

地上げ

 

 

ところで、日本国内では株式相場だけでなく不動産の取引価格も暴騰した1980年代、「地上げ」を生業とする集団が現れた。

石油価格の暴騰を不景気の原因であるかのように説明する人もいるが、それは世界的な経済の行き詰まりが招いたひとつの結果にすぎない。

 

 

 

何らかの事情で巨大企業が不動産を必要になった場合、そこに住んでいる人びとを排除しなければならないが、住み慣れた場所を離れたくない人を説得するのは難しい。

 

 カネにしろ、暴力にしろ、建前上は法律を遵守する清く正しい企業が表立ってできることではない。そこで登場したのが地上げ屋。 つまり、買い主、地上げ屋、銀行がトライアングルを組んでいたのである。仕事柄、地上げには広域暴力団が関与していた。

 

 

このシステムが機能している間は警察も違法行為を放置、トライアングルの内部は平穏だったが、大手企業側で不動産を購入する必要がなくなった、あるいは購入できなくなったときに問題が発生する。死活問題だ。そうしたとき、大手不動産会社の幹部が襲撃されても不思議ではない。

 

 

 

アメリカの「テロリスト」

 

 似たようなことがアル・カイダ系武装集団などにも言える。このブログでは何度も書いてきたが、この集団の歴史はズビグネフ・ブレジンスキーから始まる。ジミー・カーター大統領の補佐官だったブレジンスキーはソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、「ベトナム戦争」を味わわせるという計画を立て、戦闘集団を編成したのだ。カーターが大統領に就任した翌年、まだ王制だったイランの情報機関SAVAKの協力を得てブレジンスキーはアフガニスタンの体制を揺さぶり始めている。

 

 

 ブレジンスキーのプランに従って編成された武装集団の戦闘員の中心はサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団。ワッハーブ派はサウジアラビアの国教であり、ムスリム同胞団もこの国と関係が深い。

 

 

1954年にムスリム同胞団はエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化された。その後、メンバーの多くが逃げ込んだ先がサウジアラビアだった。そこでワッハーブ派の強い影響を受けることになったわけだ。

 

 

1978年にクーデターで実権を握ったモハメド・タラキは翌年の3月にクレムリンへ出向き、ソ連軍の派遣を要請するのだが、断られている。軍事介入すると、アフガニスタンの泥沼から抜け出せなくと考えた、つまり「ベトナム化」を恐れたのである。この年の4月には大韓航空の902便がソ連の領空を侵犯、重要な軍事基地があるムルマンスク上空を飛行して強制着陸させられている。

 

 

 

1979年2月にはイランで王制が倒されてホメイニが帰国、3月にはアフガニスタンでイスラム勢力がヘラトで多くの政府高官や十数名のソ連人顧問を襲撃して殺害、その際にソ連人顧問の子どもや妻も殺している。このイスラム勢力はイランとつながっていたという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 

 

 そして4月、ズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への「同情」をNSC(国家安全保障会議)で訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始している。パキスタンの情報機関ISIのアドバイスに基づき、その指導者として麻薬業者のグルブディン・ヘクマチアルが選ばれた。ニューヨーク・タイムズの報道によると、1979年からの10年間でCIAは50億から60億ドルをイスラムの武装勢力へ注ぎ込んいる。

 

 

 

ジミー・カーター大統領がアフガニスタンでの秘密工作を承認したのは7月。9月にはタラキが暗殺されてハフィズラ・アミンが実権を握り、12月にソ連軍の機甲部隊が軍事侵攻したわけだ。

 

 革命後のイランはサウジアラビアとの関係が悪化、ブレジンスキーの発案で編成された武装集団の戦闘員はサウジアラビアが雇うようになる。その責任者だった人物が同国の総合情報庁長官を務めていたタルキ・アル・ファイサル。その下で戦闘員を集めていた人物がオサマ・ビン・ラディンで、1984年にはムスリム同胞団のアブドゥラ・アザムと一緒にMAK(マクタブ・アル・ヒダマト)を創設している。

 

 

 

また、サウジアラビアには戦闘員をアフガニスタンへ派遣しなければならない事情もあったと言われている。1979年当時、サウジアラビア王室の腐敗を批判するグループが国内に現れ、メッカにあるアル・ハラム・モスクが占拠されるという事件が起こっていたのだ。これを切っ掛けに「過激派」は戦闘員としてアフガニスタンへ送られたという。

 

 

 

2005年にロビン・クック元英外相はガーディアン紙に、アル・カイダはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだと書いているが、これは事実だと考えられている。なお、この記事が出た翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて急死した。享年59歳。

 

 

 

CIAはソ連軍と戦わせるため、戦闘員に爆弾製造や破壊工作の方法を教え、都市ゲリラ戦の訓練もしている。勿論、武器/兵器も提供したが、それだけでなく、麻薬取引の仕組みも作り上げた。

 

 

 

ベトナム戦争の際、CIAは東南アジアの山岳地帯、いわゆる「黄金の三角地帯」でケシを栽培、ヘロインの密輸で資金を稼いでいたが、その拠点をパキスタンとアフガニスタンにまたがる山岳地帯へ移動させたのだ。ここは現在でも非合法ヘロインの主要供給地だ。この麻薬ルート上にはコソボがある。アメリカはコソボ乗っ取りでも麻薬取引を資金調達に利用した。

 

 

 

1988年にソ連軍はアフガニスタンから撤退、91年にソ連が消滅する。その後、アメリカの支配層は旧ソ連圏を支配下におきはじめ、チェチェンを含むカフカスを奪おうと画策し始め、再びサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする武装集団が登場してくる。

 

 

 

後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌からブレジンスキーはインタビューを受け、ソ連を挑発するために実行した秘密工作について質問されている。戦争を引き起こしたことを後悔していないかと聞かれたのだが、彼は後悔していないとした上で、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。

 

 

 アフガニスタンへ傭兵として送り込まれた人びとの中にはサウジアラビアで持て余していた若者が含まれていた。その後、アメリカは各国の狂信的な考え方の持ち主を同じように侵略の手先としてリビア、シリア、ウクライナなどで使ってきた。

 

日本でも同じようなことが行われている。もし戦争が下火になり、軍事的な緊張が緩和され、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアなどによって育成された戦闘員が解雇されたなら、彼らはコントロール不能になる。ブレジンスキーの秘密工作は世界に惨禍をもたらす愚かなアイデアだった。

 

http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608160000/

 

 

 

 

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