米朝会談のシニカルな視点  原爆のイラスト  毎日・朝日

  • 2018.03.11 Sunday
  • 23:55

 

 

米朝会談 とは、

 

「日本占領中に原爆を特許化し核不拡散条約で核保有を認めさせた米国」と

 

特許使用料を払わず無断で核開発した北朝鮮」の間で行われる会談のこと。

 

 

慌てて米大統領に会いに行く、原爆特所有者(天皇)の使用人 #安倍 。

米軍基地の撤退が早いか、天皇が逃げ出すのが早いか

 

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/972162792747778048

 

 

 

 

 

◎ 2010年8月6日NHK『封印された原爆報告書』

blob:http://www.dailymotion.com/d441cfb1-fcbe-46df-b126-4ab8ed718021

 

で放送された原爆報告書の1枚に、

広島原爆を図解したイラストがある

 

線が見えづらいので白でなぞってみたら、なんとびっくり

 

ロケットエンジンの噴射のように、大地を蹴って爆風が地を這い、上昇する様子が描かれていた

 

https://pbs.twimg.com/media/DX6f-5kVAAA6rr8.jpg

 

 

   

 

 

   

 

 

 

 

 

 

◎ 毎日新聞は2016年5月19日、原爆投下の嘘をスクープしていた

 

掲載された米国のパネルによれば広島原爆の照準点は、これまで米国やパイロットが公式発表してきた相生橋ではなく、元安川 

 

米国の投下なら、B29搭載のレーダーが何処で炸裂したのか表示したはず。

 

この照準点は日本が起爆したポイントだ

 

 

   

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/972330664346337280

 

 

 

 

◎ 添付した画像の出典


毎日新聞:原爆写真 「効果」説明の24枚 米から広島に寄贈へ

 

https://mainichi.jp/articles/20160519/k00/00e/040/253000c

 

 

【ワシントン会川晴之】

 

第二次大戦中、米軍で原爆開発のマンハッタン計画を主導した故レズリー・グローブス将軍が、

 

トルーマン政権幹部に原爆の「効果」を説明した写真パネル集が近く広島原爆資料館に寄贈される見通しになった。

 

 

所蔵するワシントン市内のシンクタンク、スティムソン・センターが18日、寄贈する意向を明らかにした。

 

パネル集は1945年7月に世界で初めて実施されたニューメキシコ州での核実験のほか、原爆投下前後の広島、長崎の航空写真から成る。

 

米軍が原爆の破壊力をどのように受け止めていたかを示す貴重な資料となりそうだ。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/972331151707615232

 

 

 

 

 

◎ 朝日新聞が原爆保有を報道

 

1944年7月9日『決勝の新兵器』:

 

ウラニウムに中性子を当てればよいわけだが、宇宙線には中性子が含まれているので、早期爆発の危険がある。

 

そこで中性子を通さないカドミウムの箱に詰め、いざという時に覆をとり、連鎖反応を防ぐために別々に作ったウラニウムを一緒にして...

 

https://pbs.twimg.com/media/DXxm6XmVwAE_emv.jpg


https://twitter.com/honest_kuroki/status/971765059230642176

 

 

 

 

プーチンが「米の投下」と言う

  • 2018.03.09 Friday
  • 01:08

 

3.7  プーチン大統領 米国が原爆投下を繰り返さない保証はどこにある?


プーチン大統領はドキュメンタリー映画『世界秩序2018』の中で、ロシア人記者からの核のボタンの使用に関する質問について、

 

ロシアに対してこうした問いを投げかけるのは正しくなく、ロシアは一度も核兵器を使用したことがないと付け加えた。

 

「核のボタンだが、これについて質問すること自体、あまり正確なものではないと思う。それでもなお言えば、これはまず、

 

我々の始めたものではない。

 

 

原子力爆弾、核爆弾というものが最初に現れたのはロシアではなく、米国だ。これが第1点。

 

第2に我々は原爆を使用したことは一度もないが、米国は日本に対してこれを使っているという点だ。」

 

プーチン大統領は、日本の多くの教科書がこの事実について口をつぐんでいると指摘している。

 

(日本の教科書には)連合国が使用したと書かれているが、連合国とは何か? ソ連は米国の連合国であったが、このこと(原爆投下)については我々には一切知らされていなかった。またその(原爆投下)必要性も多くの専門家が指摘するように全くなかったのだ。


プーチン大統領は、「米国はこれを行った。それが繰り返されないという保証はどこにあるのか?」と強調している。

 

 

 

☆  今では ナチスサイドと アンチナチスとに 国民が分かれていると思います。

プーチンの出現は ネトウヨを 結果的に退けることに、そして ディープステートのマスコミの力をなくしていく、さらに、イルミの勢力を一掃していく道筋を 敷いているのだと思います。

なぜ 日本という (乗っ取られた国)が 領土を返せと叫びながら 原爆への叫びを 国家の圧力で 封じ込められるのか・・・


プーチンのメッセージは 奴隷である 「日本人」の 「本音」に響きます。

これだけでも 田布施族にとっては おもしろくない。 イエズス会の田布施国家にとっては、米より アンチ中露の方向が 自分たちの生きる方向だった。


「原爆」への 人間的な怒りなどは 奴隷にもってほしくはない。

プーチンの短いメッセージは 爆弾のようだ。


こうしているうちに 実は 米ではなく 田布施日本が 投下ではなく 起爆させた そして 特許がある というところまで いくのか。

そこで始めて 乗っ取り犯が消滅する。


プーチン大統領が 知らないのか あるいは 今は 米投下という 一般に通用するメッセージで訴えたのか それは分かりません。

私は いくつかの 証拠から 「起爆」だと思っています。 犯人は 天皇家。

けれど それを堂々と言えるには まだ 時間がかかりそうです。

 

 

◎ この記事は、冒頭の「核のボタンだが、これについて質問すること自体、あまり正確なものではないと思う。」というプーチンの話しの大前提が、次に続く話の不正確さを前置きしていると見るのがふさわしいと思います。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/971412854808092672

 




◎ (」゚ロ゚)」エーー!

ロシア政府系通信社スプートニクは、

「日本が1945年8月12日、今の北朝鮮の咸興という港町沖合で、広島の原爆と同程度の核弾頭のサンプルを爆破させ、キノコ雲を上げたこと」を、2013年6月13日に報道していた。

https://twitter.com/honest_kuroki/status/850519271721414656

https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_06_13/115687091/

 

1945年8月、ソ連軍の参戦によって、日本軍が米国に核兵器を使用する可能性が排除された。

1945年8月9日、米国・英国との協定に基づき、ソ連が対日戦争に参加した。

11日、太平洋艦隊およびソ連陸軍が清津港・元山港占領作戦を開始した。

両港の間には咸興(ハムフン)という港町があった。

日本軍はそこで密かに核開発を進めていた。

ソ連軍に研究施設を占拠されることを危惧した将校らは12日、巨大な金属のコンテナーで核弾頭のサンプルを運び出し、

小型の船艇に載せて漕ぎ出し、
沖に出ると間もなく点火、もろとも爆破した。


巨大な爆発であった。

直径1kmの火球が天空に燃えたあと、巨大なきのこ雲が騰がった。

米機B-29が投下した広島原爆と同程度の威力の爆弾であった。


「祖国」作戦の一環で米軍に対して使用される予定であった。しかし、投下され、炸裂することはなかった。

いわばソ連が米国を日本の核攻撃から救ったのである。

 

 


◎ 米の核削減を日本が反対していた 日本側から核弾頭の最新鋭化も促す

現外務次官ら大使館関係の「文書発言」_赤旗より共産党は、

終戦直後の幣原首相が原子爆弾を世界警察の要に位置付け核の傘の下の戦争放棄を実現して今日に至る理由「天皇の原爆特許」に言及しなさい️

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-03-04/2018030401_01_1.html



米の核削減 日本が反対 核弾頭の最新鋭化も促す

現外務次官ら大使館関係者 09年オバマ政権時
「文書発言」に明記 本紙入手
 
オバマ前米政権が新たな「核態勢見直し」(NPR)策定に向けて米議会に設置した諮問機関「米国の戦略態勢に関する議会委員会」が2009年2月に在米日本大使館関係者から意見聴取を行った際、

日本側が日本との「事前協議」なしに米国が核兵器を削減することに強い懸念を示し、質量ともに核戦力の維持・増強を求めていたことが明らかになりました。


 本紙が入手した日本側の文書発言(09年2月25日付)と、同委員会スタッフが作成した意見聴取の概要メモ(同27日付)に明記されていました。

日本政府関係者が米国の核削減に反対していたとの報道や米議会での証言が相次いでいましたが、関連文書が明らかになったのは初めて。


日本政府がオバマ政権の掲げていた「核兵器のない世界」への最悪の妨害者だったことを裏付けるもので、昨年、国連で圧倒的多数の賛成で採択された核兵器禁止条約を拒み、「核抑止」にしがみつく姿勢を如実に表しています。

 意見聴取は米戦略態勢委員会の定例会合(09年2月24〜25日)に合わせて実施。メモには、米側からペリー議長やシュレジンジャー副議長(いずれも元国防長官)ら9人、日本側から秋葉剛男公使(現・外務事務次官)、金井正彰1等書記官の名前が記されています。

 日本側の文書発言によれば、

日本側は、米国に求める核抑止能力として「柔軟性」「信頼性」「ステルス性」など6点を列挙。

退役が検討されていた水上発射型核巡航ミサイル・トマホーク(TLAM/N)について「退役を決定した場合、能力の喪失の相殺について協議したい」として、代替兵器の配備を要望しました。老朽化が指摘されていた核弾頭の最新鋭化も促しています。


 米側のメモによれば、日本側は

「低爆発力の地中貫通型核兵器」が「拡大抑止に特に有効」だと述べたと言及。委員の1人が「われわれが今、聞いたことはびっくりさせるものだ」と述べています。

 日本側はさらに、核兵器搭載可能な戦略ミサイル原子力潜水艦(SSBN)の運用や、B2・B52爆撃機のグアム配備に言及しています。

その上で、「潜在的な敵が核能力の拡大・近代化を思いとどまるための十分な質量」の核戦力を要求。

戦略核弾頭の「大幅削減」については、「事前に日本との緊密な協議が不可欠」だと求めています。

さらに「米単独での戦略核弾頭の削減は日本の安全保障を危うくする。ロシアとの核削減交渉を行う際、中国の核軍拡に留意すべきだ」と述べています。


 米戦略態勢委員会は09年5月に公表した最終報告書で、

「アジアの若干の同盟諸国はTLAM/Nの退役を懸念するだろう」と明記。委員会が協議した「外国政府関係者」リスト26人のトップに秋葉氏ら日本人4人の氏名を記しています。






 

 

 

日本人皆殺しのなりすましが支配   セシウム・放射能

  • 2018.03.05 Monday
  • 00:27

 

大拡散希望≫

添付画像が重要

 

〇 広瀬隆講演会

 

「福島の今と岡山のこれから ・・

 

東日本の水道水は すべてセシウムで汚染されている。

東京は福島より 汚染度が高い !」

 

https://pbs.twimg.com/media/DXUjlMtU0AADyve.jpg

 

 

   

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/969852244307750913

 

 

 

 

◎ 立体日本地図で見ると、福島の県境になんの塀(へい)もないことがわかるよ。

 

福島から東京は、素通しです。

 

政府やマスコミは、放射能汚染地帯を福島に押し付けて、他の都道府県は安全だという印象操作キャンペーン中です。


https://twitter.com/honest_kuroki/status/969688367041400832

 

 

   

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

フクシマから7年

  • 2018.03.05 Monday
  • 00:26

 


東京電力の福島第一原発で炉心が溶融するという大事故が発生したのは2011年3月11日のことだった。

 

それから7年が経過しようとしている。

 

 

1号機から3号機までは炉心が溶融し、12日には1号機で爆発があり、14日には3号機も爆発している。

 

前者は水素爆発だと見られているが、3号機のそれは1号機とは異質の強烈なもので、核反応(核暴走)が起こったという見方もある。

 


15日には2号機で「異音」、また4号機の建屋で大きな爆発音があったとされ、

4号機は稼働していなかったことになっているものの、

使用済み核燃料プールの中には1500本を超す燃料棒が入っていて、この原発全体では1万本を超していたとされている。

 

このプールが倒壊した場合、放出される放射性物質で近くの福島第2原発や女川原発へも影響が及ぶ可能性があった。

 


東電は2号機の下に少なくとも1平方メートルの穴があり、そこで毎時530シーベルト(53万ミリシーベルト)を記録したと発表している。

 

チェルノブイリ原発で記録された最大の数値は300シーベルトだと言われ、それを大きく上回るわけだ。

 

ちなみに、7〜8シーベルトで大半の人が死亡すると言われ、勿論、人間が近づける状況ではない。

 

 

1号機と3号機の状態は2号機より悪いはずで、溶融した燃料棒を含むデブリが地中へ潜り込み、それを地下水が冷却、高濃度汚染水が太平洋へ流れ出ていると考えるべきだろう。

 

 

こうした爆発が原因で建屋の外で燃料棒の破片が見つかったと報道されているが、2011年7月28日に開かれたNRCの会合で、新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は、​発見された破片が炉心にあった燃料棒のものだと推測​している。

 


NRCが会議を行った直後、8月1日に東京電力は1、2号機建屋西側の排気筒下部にある配管の付近で1万ミリシーベルト以上(つまり実際の数値は不明)の放射線量を計測したと発表、

 

2日には1号機建屋2階の空調機室で5000ミリシーベル以上を計測したことを明らかにしている。

 

この排気筒を通って燃料棒の破片が飛び散ったという日本側のメッセージだったのかもしれない。

 

 


衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、4月17日付けの「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている:

 


「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。

 

そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。

 

それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。

 

 


言うまでもなく、徳田毅は医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で、医療関係差には人脈があり、これは内部情報

 

これだけ被曝して人体に影響がないはずはない。政府も東電、おそらくマスコミもこうした情報を持っていたはず。

 


その徳田毅は2013年2月に国土交通大臣政務官を辞任、11月には姉など徳洲会グループ幹部6人を東京地検特捜部が公職選挙法違反事件で逮捕、徳洲会東京本部や親族のマンションなどを家宅捜索した。

 

徳田は自民党へ離党届を提出、14年2月に議員を辞職している。この出来事と福島第一原発の被害状況に触れたブログとの間に関係があるかどうかは不明だ。

 


また、事故当時に​双葉町の町長だった井戸川克隆​によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという

 

セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。

 

福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。

 


ロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループがまとめた報告書『​チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響​』(​日本語版​)によると、

 

 

1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達する。

 

 

癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下が報告されている。

 

このチェルノブイリ原発事故より福島第一原発の事故は深刻だという事実から目を背けてはならない。

 

 

2011年の事故は奇跡的な幸運が重なっている。

 

事故直後の風が太平洋に向かっていたこと、定期点検中の4号機で炉内の大型構造物の取り替え工事でミスがあって使用済み核燃料プールの水がなくならなずにすんだこと、福島第二、女川、東海第二は紙一重のところで冷却不能、メルトダウンを何とか避けることができたことなどだ。

 

 

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201803040000/

 

 

 

 

 

アインシュタインの手紙

  • 2018.02.22 Thursday
  • 00:12

 

ミサイルは本物でも、核弾頭はニセモノです。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/965871394826240000

 

核兵器は存在します。でも、核ミサイルや飛行機で投下する核爆弾は存在できません。

 

そもそもアインシュタインがルーズベルト大統領に進言した核爆弾は、飛行機で運ぶには重すぎるので船で運ぶタイプ

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/965876673194295296
 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99#%E6%89%8B%E7%B4%99%E3%81%AE%E5%86%85%E5%AE%B9

 


 

◎ 閣下、

 

原稿として私のところへ送られてきました E・フェルミと L・シラードによる最近の研究は、ウラン元素が近い将来、新しい重要なエネルギー源となるかもしれないという期待を私に抱かせます。

 

このことによりもたらされる状況のある点は、注意深く見守り、必要とあらば、政府当局による迅速な行動を起こす必要があるものと思われます。 よって、以下の事実と提案とに閣下のご注意を促すのが私の務めであると考えるものです。

 

 

過去4か月の間に、フランスのジョリオ、またアメリカのフェルミとシラードの研究によって、

 

大量のウランによる核連鎖反応が有望なものとなってきました。

 

このことによって、極めて強い力と、ラジウムに似た大量の新元素とが生成されるでしょう。 これが近い将来に成し遂げられるのは、現在、ほとんど確実なことであると思われます。

 

 

またこの新たな現象は爆弾、それも、あまり確かとは言えないのですが、考えられることとしては極めて強力な新型の爆弾の製造につながるかもしれません。

 

船で運ばれ港で爆発すれば、この種の爆弾ひとつで、港全体ならびにその周囲の領域を優に破壊するでしょう。 ですが、また、こうした爆弾は航空機で運ぶにはあまりに重過ぎることがわかるかもしれません。

 

 

合衆国には、ほどほどの量でごく貧弱な質のウラン鉱石しかありません。 カナダと旧チェコスロバキアにはいくつかのよい鉱石がありますが、最も重要なウランの供給源はベルギー領コンゴです。

 

この状況に照らして、閣下は、政府と、アメリカにおいて連鎖反応を研究している物理学者のグループとのより継続的な接触を保つことが望ましいとお考えになるかもしれません。

 

これを達成するための、ひとつのありうる方法は、閣下の信頼にたる、そしてまたおそらくは非公式な地位で働くことのできる人物にこの仕事を託すことでしょう。 この人物の仕事は以下のようなものとなるでしょう。

 

 

a) 今後の開発の情報を政府機関へ逐次伝え、また合衆国へのウラン鉱石の供給を保障する問題に特に注意しつつ、政府の施策に対しての提案を行い、政府機関への接触すること。

 

b) もし資金が必要なら、この目的に貢献しようと望む民間人との接触を通じてその資金を供給することにより、またおそらくは適切な設備を持つ企業の研究所の協力も得ることによって、現在、大学研究室の予算の制限内で行われている実験研究の速度を上げること。

 

 

私の知るところでは、実際ドイツは、ドイツが接収したチェコスロバキアの鉱山からのウランの販売を停止しています。

 

こうした、いち早い行動をドイツが取ったことは、おそらくはドイツ政府の外務次官フォン・ヴァイツゼッカーの子息が、現在ウランに関するアメリカの研究のいくつかを追試しようとしているベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所に所属していることを根拠として理解できるでしょう。

 

 

ここで本文中にある、フェルミ、シラード、およびフランスのジョリオ(ジョリオ=キュリー)の研究とは、ウランの中性子による核分裂の発見を受けて、1939年3月に相次いでこれら3者のグループで行われたウランの二次中性子放出の発見を指しており[2]、この発見によってウランの連鎖反応の実現が一歩現実のものへと近づいていた[3]。

 

 

シラードはこのことがドイツに知られるのを遅らせるため実験結果を秘密にするように活動したが、ジョリオ=キュリーが拒否してネイチャー誌で公表し、手紙にあるようにドイツは直後にウラン輸出を禁止していた[4]。

 

 

こうしてこの当時、この事実は科学者の会議で公に語られ、ウランが都市ごと壊滅させるような強力な爆弾となりうるということは、新聞等で一般にも知られた事実となっていた[5]。

 

 

また、この手紙では爆弾が航空機で運べないであろう非常に大きなものとなるかもしれないと想定されている。

 

 

これはシラードらが減速材を含んだ低速中性子による天然ウランの連鎖反応を考えていたことによる[6]。

 

シラードがこの時点で案じていたこうした原子炉のような連鎖反応では、実際には大きな爆発は起こらないことが後に明らかとなっている。

 

しかし、後の1942年にウラン同位体の濃縮が工業的規模で可能であると考えられるようになったことと、高速中性子でそうした濃縮ウランが爆発的連鎖反応を起こすことがわかったことで、小型のウラン爆弾が可能とみなされるようになった。

 

 

なお、最後の節で言及されているドイツの外務次官エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーの息子は、実際ドイツにおいてハイゼンベルクらとともに連鎖反応の研究に携わっていたカール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーを指している[7]。 ただし、ジョリオ=キュリーの論文によって実際にドイツ政府に警告を行ったのは別の人物であった[8]。

 

 

シラードらがこの手紙で政府に最も強く求めたこととは、情報を政府に与えるとともに、資金を融通するため政府と自分たち科学者グループとの接点となる人物を政府が置いてくれることであった。

 

 

歴史ジャーナリスト、リチャード・ローズは、大統領へ手紙を渡す仲介者となるアレクサンダー・ザックス(リーマン・ブラザーズ副社長)への手紙の中でシラードが暗に自分がその役を引き受けることをほのめかしているとし、またこうした提案は「大胆であるのと同じように、アメリカの官僚政治に関して無知なものだった」と評している[9]。

 

 

 

 

経緯[編集]

 

著名なアインシュタインが関わったこの手紙は、

アメリカ政府の原子爆弾開発計画であるマンハッタン計画の最早期の引き金として有名である。

 

しかし、その手紙の作成とその後のマンハッタン計画の開始までの経緯は複雑なものであった。

 

 

 

ハンガリー陰謀団[編集]

 

中性子による原子核の連鎖反応によって莫大なエネルギーを解放するというアイデアと、それによる核戦争の危機に最も早く気づいたのはシラードであり、

 

実験的にウランからの複数の二次中性子が確認された1939年3月のおよそ6年前、彼がナチス・ドイツから亡命して間もない1933年であった[10]。

 

ナチスが原爆を保有することを恐れたシラードは、やがてそれに対抗するためにはアメリカが先に原爆を保有するしかないと考え、それ以来、一刻も早い連鎖反応の実現を急いでいた。

 

 

天然ウランを用いて、放出される二次中性子を連鎖反応として維持するためには、中性子をあまり吸収せずに速度をさげる適切な減速材を見つけ出すことが必要であった。

 

 

コロンビア大学のエンリコ・フェルミとともに連鎖反応の実現に向けて研究を続けていたシラードは、1939年7月ごろには黒鉛を減速材とすることが有望であると考えるようになっていたが、それを実証する実験ための資金は不足していた。

 

これに先立つ5月には、シラードらはすでにアメリカ陸軍と海軍に資金援助を募っていたものの果たせずに終わっていた[11]。

 

 

 

このころ、いずれもハンガリー生まれの亡命物理学者であったシラード、ユージン・ウィグナー、エドワード・テラーの3人はこの連鎖反応がもたらしうる未来を度々議論していた。

 

この3人はアインシュタインへ手紙を依頼したことにより後にハンガリー陰謀団と冗談めかして呼ばれることになる。

 

 

こうした話し合いの中で、ウィグナーは特にこの問題をアメリカ政府へ早急に訴えることが必要だと主張し、このため資金の調達も含め政府との橋渡しとなる人物探しが行われることとなった。

 

また、ベルギー領コンゴで採掘されている良質のウランがナチスの手に渡ることへの懸念も表明された[12]。

 

ウィグナーは後に「核兵器が開発されたなら、いかなる2つの大国も、それらを統べる上位の権威機関によって軍事力がコントロールされない限り平和を保つことはできなくなると我々は悟り、

 

もしそれが核戦争を廃絶するほど十分有効なものとなるなら、あらゆる形の戦争をも根絶するのに有効なものとなるだろうと期待した」とし「この期待が、敵の原爆の犠牲となる恐怖と同じぐらいに強く自分たちを駆り立てた」のだと当時の動機について語っている[13]。

 

 

 

シラードとウィグナーはドイツ時代にアインシュタインの教え子であったことがあり、特にシラードはアインシュタインの家を度々訪ね、連名で発明の特許を取得するなど深い付き合いをしていた[14]。

 

こうしたことから、シラードはアインシュタインがベルギーのエリザベート王太后と面識があることを知っていた。

 

こうして、ロング・アイランドの別荘へアインシュタインを訪ね、コンゴのウラン鉱石の問題に関してエリザベートへ警告してもらうことが提案された[15]。

 

 

 

手紙の作成[編集]

 

エリザベートへの手紙を依頼するため、1939年7月16日にウィグナーとシラードは車でアインシュタインの別荘へ向かった。

 

別荘はロング・アイランドの東端に近い入り江に突き出た岬の付け根近くにあったが、さんざん道に迷い、多くの人に通りの名を尋ねたものの誰もその通りを知らなかった。

 

 

ようやくたどり着けたのは、地元の子供にアインシュタインの家を知っているかと直接尋ねた後だった。

 

彼らを軽装で迎えたアインシュタインは、シラードに説明を受けたこのとき初めて連鎖反応について理解することになった。 彼は話の途中ドイツ語で「そんなことは考えてもみなかった!」と叫んだという[16]。

 

 

シラードによれば、アインシュタインは王太后の代わりにベルギーの内閣閣僚となっていた知人への手紙ならば書くことを約束した。

 

ウィグナーはまずそれをアメリカ政府へ送り、添え状をつけるべきだとし、そのことも合意された。

 

このときアインシュタインがドイツ語で口述した草稿が、その後いく度もの改訂を経て最終的にルーズベルト大統領宛の手紙となることになる[17][18]。

 

 

 

シラードがアインシュタイン邸から戻ってきてみると、アメリカ政府への接触の試みによって、フランクリン・ルーズベルトの選挙で演説原稿を書いたことのある経済学者アレクサンダー・ザックス (Alexander Sachs) がシラードに会うと告げてきていた。

 

 

数日後、シラードとテラーはこのザックスと面会した。

 

シラードの話を聞いた上でザックスは大統領に伝えるべきであるとし、手紙を自らが大統領に渡すと約束した。

 

この大胆な提案にシラードとテラーは乗り気となり、元々ベルギー宛であったアインシュタインの草案を元として、シラードがルーズベルト宛へと書き換えた第2の草案が7月19日にアインシュタインへと送られた[19]。

 

 

アインシュタインは大統領宛となったこの手紙を送ることに快く応じたものの、この草稿をもう一度検討したいと返答し、7月末ごろシラードとテラーが再びロング・アイランドの別荘へと向かった。

 

免許のなかったシラードを車に乗せたテラーは後に

 

「私はシラードの運転手として歴史に名を残した」とこのときの経験を述べている。 こうしてアインシュタインとシラードとの相談によって3つ目の草案が作成された。

 

このときアインシュタインは「うん、そうだ。 これではじめて、人類が核エネルギーを〔太陽からの〕間接的なものじゃなく直接に解放することになるぞ」と言ったという[20]。

 

 

シラードは再びザックスと会い、この草案を読んだザックスとの相談によって、政府と科学者との仲介者の役割をよりはっきりさせた長い文案も作成された。

 

これら英訳された長短2つの文面が最終案として8月2日にアインシュタインに送付された。

 

 

アインシュタインは両方に署名した上で長い方が良いと思うと書き添え、8月9日までにシラードに返送している。

 

またあまり賢くやろうとせず大胆にやれという趣旨のことが付記されていた。

 

シラードらには、はたして大統領への仲立ちとしてザックスが適任かどうか疑問があったものの、シラードは大統領に渡せない場合は返送して欲しいと付け加え、アインシュタインが署名した長い方の手紙が、8月15日にザックスへと手渡された[21]。

 

 

 

ウラン諮問委員会[編集]

 

9月1日ドイツが電撃的にポーランドに侵攻し、遂に第二次世界大戦が開始された。

 

ルーズベルトに十分な時間を取ってもらう必要を感じ、直接の面会にこだわったザックスは、この急激な展開にはばまれ、いまだ手紙を届けることができていなかった。

 

ひと月以上ザックスから何も連絡がないことにしびれを切らしたシラードとウィグナーは、9月末にザックスを訪問しそのことを知った。

 

シラードらがザックスによる仲介を諦め他の手段を考え出した中、10月11日になってようやくザックスはホワイト・ハウスの大統領執務室の扉をノックした[22]。

 

 

ルーズベルトとの面会においてザックスは、ナポレオン・ボナパルトが夢想家と呼んでアメリカへ追い返したフルトンの蒸気船の話を例えに出し、アインシュタインの手紙を読む代わりに自らの用意した短い文書を読んで原子力のもたらす両義的可能性と重要性を説明した。

 

ルーズベルトは「つまり君が望んでいるのは、ナチスが我々を吹き飛ばさないようにしようということだね」と応じ、

 

この会見によって、国立標準局の局長ライマン・ブリッグズ (Lyman J. Briggs) を委員長とし陸海軍の兵器の専門家を含むウラン諮問委員会 (ウラニウム諮問委員会、Advisory Committee on Uranium, 単にウラン委員会、ウラニウム委員会とも) が設けられることとなった[23]。

 

これは、民間の資金を工面し政府との連絡役となる非公式の人物というシラードらが思い描き、手紙に記したものとは程遠いものだった[24]。

 

 

10月21日、これらのメンバーと、ハンガリー陰謀団の3人シラード、ウィグナー、テラー、およびブリッグズが招いたカーネギー研究所地磁気研究部の物理学者リチャード・B・ロバーツ (Richard B. Roberts) などからなるメンバーで第1回のウラン諮問委員会が開かれた。

 

この地磁気研究部ではシラードらとは別にしばらく前から連鎖反応の評価を進めていた。

 

シラードの説明に対し、ロバーツは天然ウランによる連鎖反応は有望でなく、自分たちが進めている高速な遠心分離機によるウラン濃縮の結果が明らかとなるまで数年は大学での研究レベルに留めておくべきだと主張した。

 

また陸軍の代表は新兵器で防衛の役に立つなどと考えるのは素人であり

 

「兵器は戦争の行方を決めたり歴史を作ったりするものではなく、一般市民の精神を通して戦争の勝利はもたらされるのだ」とした長い演説を始めた。

 

 

ウィグナーはこのとき「それが正しいのなら、おそらく陸軍の予算を 30 % 削減して、その素晴らしい一般市民の精神を広めるべきでしょう」と皮肉で応酬している[25]。

 

 

結果としてこのウラン諮問委員会は、主に潜水艦の将来の動力源として核エネルギーの可能性に言及する大統領への報告書を提出するに終わった。

 

しかし同時に、爆弾の可能性にも言及し「徹底的な調査のための適切な支援」として黒鉛の減速材としての有効性を確かめる当面の実験に必要な 6000 ドルがフェルミのグループへ与えられることが約束された。

 

だが、この勧告はその後およそ半年の間、ホワイト・ハウスのファイルの中で忘れられたままとなり、その間フェルミとシラードの研究は立ち往生することとなった[26]。

 

 

 

第2回ウラン諮問委員会[編集]

 

フェルミらへの黒鉛購入のための資金提供の約束がなかなか果たされなかったため、シラードは黒鉛による連鎖反応に関する論文を執筆し、それを公開するかどうか政府に判断を仰ぐという形で揺さぶりをかけようとした。

 

委員会から4か月以上たった1940年3月7日、シラードはアインシュタインに会いに行き、再び手紙を依頼した。

 

 

この手紙はザックス宛のものであったが、ザックスを介して大統領に転送された[27]。

 

この手紙では、ドイツにおいて核開発が組織的に進展している様子とシラードの論文の問題を記し、大統領への取次ぎの判断を仰いでいる[28]。

 

 

大統領は2回目のウラン諮問委員会の開催を指示し、委員会は4月27日に招集された。

 

これによってフェルミとシラードは約束の 6000 ドルを手にし、黒鉛が中性子を吸収する度合いである捕獲断面積を測定した。

 

結果は極めて小さく、それは黒鉛を減速材とした天然ウランでの制御された連鎖反応が実現可能であることを示していた[29]。

 

 

この後、ウラン諮問委員会は科学研究開発局 (Office of Scientific Research and Development, OSRD) の S-1 ウラン委員会 (S-1 ウラニウム委員会、S-1 Uranium Committee, S-1 は第1課 Section One の意) に引き継がれることとなり、1940年秋にはさらに4万ドルがフェルミのいるコロンビア大学に与えられた。

 

 

 

マンハッタン計画とその後[編集]

 

詳細は「マンハッタン計画」を参照

 

 

結果としてアインシュタインの大統領への手紙は、主にフェルミらによる黒鉛をもちいた天然ウランの原子炉の開発を資金的に後押しすることとなったが、アメリカ政府を原子爆弾開発に本格的に歩みださせるところにまでは至らなかった

 

実際、アーサー・コンプトンは1941年夏にはアメリカ政府による核分裂の軍事的研究はほとんど潰れかかっていたとしている[30]。

 

 

しかし1941年10月、アメリカ政府はイギリスの MAUD 委員会からウラン濃縮とそれによるウラン爆弾が技術的に可能だという報告を受け取った。

 

図らずもウラン諮問委員会でロバーツが主張したように、ウラン濃縮の可能性が現実に近づいた後、アメリカは遂に原子爆弾開発へと舵をきることになった[31]。

 

こうして計画が滑り出したころアメリカは真珠湾攻撃を受けることとなり、ともすればヨーロッパの戦争と見られていた第二次世界大戦への国内の孤立主義的気分は吹き飛ぶこととなった。

 

1942年6月、科学研究開発局の元で進められていた開発は、陸軍の管理下でのマンハッタン計画へと引き継がれることになった。

 

マンハッタン計画では、フェルミとシラードらの原子炉の研究は、その後ウラン238から作られることがわかった新元素で、やはり爆弾となるプルトニウムの生産計画へと姿を変えた[32]。

 

 

1945年春以降、ドイツの敗北が時間の問題となると、シラードは逆に原子爆弾の実戦使用に反対する活動の先頭に立ち、このとき再びアインシュタインを頼ることとなった。

 

この間、アインシュタインはその政治姿勢から政府に機密保持が不可能であると判断され、マンハッタン計画には参加していなかった[33]。

 

 

1955年にアインシュタインが亡くなったとき、その追悼会において生化学者ライナス・ポーリングは、晩年アインシュタインが彼に語った後悔について触れている。

 

「私はひとつ大きな間違いを犯してしまった。 ルーズベルト大統領に原子爆弾を作ることを勧めた手紙に署名したことだ。」[34]

 

 

 

ルーズベルトへの2度目の手紙[編集]

 

シラードの求めに応じて再びアインシュタインがルーズベルトへの手紙を書いたのは上述のように戦争末期のことであった。

 

1945年3月にナチス・ドイツが原爆を開発していないことが明らかとなり、自分たちが開発してきた原爆が日本に対して使われるという懸念が広がった。

 

シラードにとってそれは元々の原爆開発の動機と相容れないものであるだけでなく、科学者の研究チームの結束も、戦後世界の安定をも壊す行為だと思われた[35]。

 

 

 

シラードは自らの意志を再び大統領へと伝えるために覚え書きを執筆し、大統領への紹介状をプリンストンのアインシュタインに依頼することにした。

 

マンハッタン計画の機密保持条項による厳しい規制のため、シラードは、計画外にいたアインシュタインに紹介状を依頼する目的を告げることも、自ら執筆した覚え書きを見せることもできなかった。

 

それでもアインシュタインはこの求めに応じ、1945年3月25日、内容にまったく触れられないままルーズベルトへのシラードの紹介状をしたためた[36]。

 

 

シラードは、機密性の問題から紹介状のみを大統領夫人エレノア・ルーズベルトへと送り、夫人と5月8日に面会を行う約束を取りつけた。

 

しかし4月2日のルーズベルトの突然の死によって、この機会は失われた[37]。

 

新たなつてを頼り、シラードはこのルーズベルト宛のアインシュタインの紹介状をトルーマン新大統領に送ることとなった。

 

これによりシラードは、ワシントンでトルーマンの秘書と会い、新政権で国務長官となる予定のジェームズ・F・バーンズとの会見が設定された[38]。

 

 

5月末のこのバーンズ訪問でシラードは、原爆の実戦使用が、戦後の国際的核管理体制を不可能とし、危険な核開発競争を招くであろうことなど持論を訴えたが、バーンズに理解されることはなかった[39]。

 

その後もシラードら科学者によっていくつかの原爆実戦使用への反対活動が続けられたが、これら科学者側からの活動は広島と長崎への原爆投下という政治決定に影響を与えることはできなかった[40]。

 

 

出典・注釈 は 元記事で。

 

 

 

ウランの宝庫コンゴと日本人

  • 2018.02.22 Thursday
  • 00:09

 

 

ウランの宝庫コンゴに駐在した1000人以上の日本人男性の子供が、日本人医師と看護師によって何人毒殺されたか、明らかにしなければならないでしょう。

 

日本人が日本人の子を毒殺した大量殺人事件です。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/714887682732589056

 

 

 

 

 

(((;゚;Д;゚;)))➡

 

ウランの宝庫のコンゴで1970年代、1000人以上の日本人男性が日本企業の鉱山開発で現地に赴任し、そこで生まれた大勢の日本人混血児が、日本人医師と看護師によって毒殺しされていたことを、FRANCE24が報道

 

 

   

 

 

http://www.france24.com/en/20100316-katangas-forgotten-people

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/714331043419979777

 

 

 

NHKが放送した記録映像「爆心地の5人」の怪しさを指摘する声も

  • 2018.02.15 Thursday
  • 04:06

 

☆ 地上起爆を知らせていると 単純に喜んでいたのですが ・・・

 

甘かったのかも ・・・

 

 

 

NHKが放送した記録映像「爆心地の5人」は、

米国があたかも空対空核ミサイルを開発したかのように見せる作り物

 

https://www.npr.org/sections/krulwich/2012/07/16/156851175/five-men-agree-to-stand-directly-under-an-exploding-nuclear-bomb

 

 

   

 

       

https://pbs.twimg.com/media/DV7nArzVAAANLtw.jpg

 

このストップモーションの赤直線は私が描き込んだ太陽光の角度。

真上から太陽光より強い光を浴びると、緑円内では頭の影が下に伸びるのに青円内の手の影は変化なし

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/963463251181805568

 

 

 

 

NHK放送「アメリカ 自由の国の秘密と嘘」は、米国批判で民意に呼応しているかのように見せかけて、終わりころに、

本当は実在しない米国空対空核ミサイルの映像を挟み込んでいますよね 印象に残るように

 

その記録映像は作り物よね️

核自爆屋の日本は何を企んでいるの

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/963471820908212225

 

 

 

 

本当にそのミサイルを持ってるんなら、バーンと兵器そのものが炸裂するところを映せばいいですよね。何で下にいる人の反応を映してるんだかw

 

つくづく思うんですが、人間が実際に使用可能な兵器をほぼ70年間、一度も使用せずにいられるほど理性があるとは到底思えない。ないから使わないんだろ?と。

 

https://twitter.com/hoshina17/status/963507235451097088

 

 

 

 

本当は記録映画ではなくて、米国は空対空核ミサイルを持っているよって宣伝するための作り物の映画ですから、あっちにもこっちにも不自然なところがあります。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/963504029773971456

 

 

 

 

 

なぜ官邸は、小野寺防衛大臣が安倍首相の東京・富ケ谷の私邸周辺をジョギングしていることを、マスコミ各社に報道させたの

 

代々木公園をジョギングしていることがばれるのに。


北朝鮮のテロリストに殺される事件を自作自演して、公園隣のNHKに報道させて、開戦する予定なの


https://twitter.com/honest_kuroki/status/963502642553962497

 

 

 

☆ 大臣と首相が偶然会ったことも不自然で 報道することも不自然

 

その真意は分かりませんが 彼らのすることは いつもきな臭い。

 

 

 

地上起爆と空中起爆の相違  小和田家を報道する海外

  • 2018.02.14 Wednesday
  • 00:31

 

 

NHKが 地上起爆を間接に暴露か?  小和田家を報道する海外メディア

 

46分〜 

 

 

https://www.youtube.com/user/tweetTVJP

 

 

村上水軍  同和につながる

 

アキシノマコの婚約者は 創価と繋がり? で 韓国系?

 

 

韓国も朝鮮も 明治以後の日本に権力と繋がっているものが 怪しいが

 

そうでないものとは 別です。

 

 

赦すまじ 被爆させたものども   天皇の地位

  • 2018.01.27 Saturday
  • 00:56

 

 

許すまじ、わたしの子どもたちを被ばくさせた者ども

 

 

   

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/956114959129128960

 

 

 

 

 

そのためにはまず、日本人が、核兵器の発明国は日本であり、「核の傘」の発案者がGHQ占領下の幣原喜重郎首相であり、

 

その継承者がマッカーサーであったという、隠されてきた史実を受け止める勇気を持つことから始めなければなりません。

 

http://www.cgs.gov.cn/xwl/ddyw/201603/t20160309_303270.html

 

 

 

幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について

ー平野三郎氏記―

憲法調査会事務局

 

https://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou-text.html

 

 

 

 

 

米国は数ヶ月後に開戦予定️日本も、#君が代 が千代に八千代続くために参戦予定

殉職を勲章と国歌で讃える準備かしら

 

西原博史 教授の死亡事故

 

 

 

 

菅原真教授曰く:

 

主権者である国民の総意によって天皇の「地位が消失することもあり得る 」にもかかわらず、政府解釈では、

 

「『主権の存る日本国民の総意に基づく天皇』の制度が千年も万年も続くことを他でもなく主権者国民が祈念する」ことになってしまい

 

 

◎ 学校現場 に お け る 「国旗 ・ 国歌」 強制批 判 の 法理

菅 原 真

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180124022708.pdf?id=ART0000848844

 

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/955892310645985280

 

 

 

 

 

 

核兵器禁止条約  メキシコが批准

  • 2018.01.19 Friday
  • 01:04

 

今日、メキシコが 核兵器禁止条約 に批准した 日本時間2018年1月17日(現地時間16日)

これで批准国は4ヶ国になった

 

https://treaties.un.org/pages/ViewDetails.aspx?src=TREATY&mtdsg_no=XXVI-9&chapter=26&clang=_en

 

 

広島・長崎以外の日本での被爆者やその子孫が報われる日が一歩近づいた。

 

日本は1939年3月1日に核爆発に成功して以来、各所で核実験した。@nuclearban_jp

 

 

   

 

 

    

 

  https://pbs.twimg.com/media/DTr4aHUU8AAne_K.jpg

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/953348049480200192

 

 

 

 

 

不思議なことに、核兵器禁止条約参加を求める国会議員たちは、

 

日本が1939年から核爆発装置を創製して爆発させて以来、核兵器と呼ばれる核爆発装置を所有、保有、管理してきたことを隠蔽している理由を国会で質問したことがありません。

 

中国政府ウエブサイトに記されているのに

 

http://www.cgs.gov.cn/xwl/ddyw/201603/t20160309_303270.html

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/953500201817272320

 

 

 

 

 

引用:フィン氏は核兵器の開発、実験、生産のほか、威嚇も禁止する条約の内容を説明した上で、

 

「日本がとっている政策が条約の文言に違反しているのか洗い出してほしい。

 

抵触しないのなら、なぜ参加しないのかという議論につながる。事実に基づく議論をするべきだ」と話した。

 

 

   

 

https://twitter.com/nuclearban_jp/status/953411923722174464


 

 

 

 

もちろん、日本は #核兵器禁止条約 第二条に従って、

 

1939年から核兵器と呼ばれる核爆発装置を所有、保有、管理していることを申告しなければなりません

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/953485878504013824

 

 

 

 

 

そうですよ。

 

日本が核兵器を世界で初めて爆発させたのは1939-1940年の間。新兵器として殺傷実験して殺傷記録を取ったのが1945年広島と長崎。


https://twitter.com/honest_kuroki/status/951484547312398336

 

 

 

 


広島で核兵器の殺傷実験をしてデータを記録したのは日本ですから、

 

その実験があることを知っていた人は少なくないでしょうね。


https://twitter.com/honest_kuroki/status/951116781896134657

 

 

 

 

 

分かってきたこと  そしてどうする?

  • 2018.01.05 Friday
  • 00:24

 

 

◎ 京大が 湯川秀樹の日記を公開。

原爆開発に関わっていたことを暴露。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/21/yukawahideki-diary_a_23313755/

 

 

理研と京大とチッソは一体。

北朝鮮で チッソが原爆を製造。

 

 

当然 トランプも知っている。

北が 米を脅かす核は 実際は 日本が製造していた。

 

 

 

◎ 原爆の地上起爆。

 

製造は北朝鮮にて  →  アトランタ紙

 

http://rakusen.exblog.jp/26284880/

 

 

 

 

◎ 中国政府公式サイトに、

「日本軍は、1939-1940年、遼寧省の海城市でウラン鉱を発見し、東京に空輸し、核兵器開発し、実験した」ことが掲載されている。 

 

英国の1940年のネイチャ―にも日本の核実験の結果が掲載されている。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/850967033109925888

 

 

   

 

 

  

 

 

 

 

◎ 日本はウランが足りなくて原爆が完成しなかったという言い訳が嘘になる。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/847685579995099138

 

 

 

 

 

◎ (」゚ロ゚)」エーー!

 

ロシア政府系通信社スプートニクは、

「日本が1945年8月12日、今の北朝鮮の咸興という港町沖合で、広島の原爆と同程度の核弾頭のサンプルを爆破させ、キノコ雲を上げたこと」を、2013年6月13日に報道していた。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/850519271721414656

 

https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_06_13/115687091/

 

   1945年8月、ソ連軍の参戦によって、日本軍が米国に核兵器を使用する可能性が排除された。

 

   1945年8月9日、米国・英国との協定に基づき、ソ連が対日戦争に参加した。

 

11日、太平洋艦隊およびソ連陸軍が清津港・元山港占領作戦を開始した。

 

両港の間には咸興(ハムフン)という港町があった。日本軍はそこで密かに核開発を進めていた。

 

ソ連軍に研究施設を占拠されることを危惧した将校らは12日、巨大な金属のコンテナーで核弾頭のサンプルを運び出し、小型の船艇に載せて漕ぎ出し、沖に出ると間もなく点火、もろとも爆破した。巨大な爆発であった。

 

直径1kmの火球が天空に燃えたあと、巨大なきのこ雲が騰がった。

米機B-29が投下した広島原爆と同程度の威力の爆弾であった。

 

「祖国」作戦の一環で米軍に対して使用される予定であった。しかし、投下され、炸裂することはなかった。いわばソ連が米国を日本の核攻撃から救ったのである。

 

 

   

 

   Konkurent.Ru、Vladivostok

 

 

 

☆ 罪悪感を いったん 脇において 冷静に見てみます。

 

偽天皇の犯罪が 世界では報道されているということです。

 

部下がなしたこととしていくでしょうが 「原爆特許」を公開されれば 所有者の名前は 消せないでしょう。

 

そうするには どれほどの金品 金塊を与えればよいのか。

 

 

ロシアも中国も そして 新米も 知っていて 北朝鮮の黒幕を あえて 隠ぺいしています。

 

領土問題の嘘 どころではありませんね。

 

 

それで これから どうするのか ・・・

 

やはり 共謀罪と 天皇元首にして 国内を封じ込めるしかありません。

 

それが今。

 

 

そして チッソが皇室に入ってきたのは 現実的に 原爆特許のパテント料が チッソもからんでいるからではないのか、チッソが秘密も守ってくれなければ困るということか (ツィートテレビ動画より)。

 

チッソというのは 朝鮮 創価ですね。

 

 

だいぶ 系統だって 分かってきました。

 

 

天皇 維新美化キャンペーンの これが 裏の事情と思います。

 

日本には 日本の人々 日本の魂は もう ないのでしょうかね。

 

 

現政権が生存できるということは 北朝鮮の将軍様どころではない、完璧に 堕ちた社会ですが、その根本には ディープステートの大犯罪がありますね。

 

 

どのブロガーも みごとに 沈黙している これが 核心でしょう。

 

 

見事な国ですが 一人一人は 別な魂の存在です。

 

 

最低限 人間らしく生きる道と場が 与えられていけますように ・・・

 

 

 

 

 

 

アインシュタインと天皇  ユダヤの火の神

  • 2017.12.30 Saturday
  • 04:18

 

 

◎ 1905年特許庁審査官アインシュタイン曰く

 

「質量とエネルギーの等価性の検証は放射性元素ラジウムを用いた実験で行うことを提案」

 

 

https://books.google.com.hk/books?id=d2jyH5XX6sUC&pg=PA140&lpg=PA140&dq=%E8%B3%AA%E9%87%8F%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%AD%89%E4%BE%A1%E6%80%A7%E3%81%AE%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E3%81%AF%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E5%85%83%E7%B4%A0%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%82%92%E7%94%A8%E3%81%84%E3%81%9F%E5%AE%9F%E9%A8%93%E3%81%A7%E8%A1%8C%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E6%8F%90%E6%A1%88&source=bl&ots=EieK8i7aO3&sig=yb1CPh-O6_8wCszMv2M2DaL2EkI&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjWsM_096XYAhUF5bwKHdQnA6YQ6AEIJTAA#v=onepage&q=%E8%B3%AA%E9%87%8F%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%AD%89%E4%BE%A1%E6%80%A7%E3%81%AE%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E3%81%AF%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E5%85%83%E7%B4%A0%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%82%92%E7%94%A8%E3%81%84%E3%81%9F%E5%AE%9F%E9%A8%93%E3%81%A7%E8%A1%8C%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E6%8F%90%E6%A1%88&f=false

 

 

1922年アインシュタインが大正天皇に謁見

 

1939年3月日本が核爆発に成功/8月アインシュタインが米国大統領にウラン爆発の軍事応用を手紙で進言

 

   

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/945384450677882880

 

 

 

 

◎ 火の中でユダヤの神living Godを演じた昭和天皇は、

 

スイス特許庁審査官のアインシュタインから聞いた通り、原子の質量を莫大なエネルギーに変換する特許、

すなわち原発技術の基礎を成す原爆特許を手にし、

 

世界から特許使用料収入を得て、知的財産帝国のエンペラーになった。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/945397728036634624

 

 

 

 

◎ 1905年特許庁審査官アインシュタイン曰く

 

「質量とエネルギーの等価性の検証は放射性元素ラジウムを用いた実験で行うことを提案」

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/945384450677882880

 

 

 

 

◎ 昭和天皇は、ユダヤの神であることをユダヤ人に示すために、原爆を自国のあちこちで爆発させ、

 

ユダヤ経典の申命記に記された火の中から語る神を演じたのだろう。

 

倫理感のある人には理解し難い思考です。

 

現人神=living God=火の中から語るユダヤの神

http://biblehub.com/deuteronomy/5-26.htm

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/945393279956271104

 

 

 

湯川秀樹の日記 なぜ 今 公開?  F研究

  • 2017.12.30 Saturday
  • 04:17

 

☆ 本当の核心は避けているでしょうが なぜ 今 公開なのか?

 

日本が 最初に核爆発をしたことは 世界の支配層は知っていて 国連が乗り出してきている 核兵器禁止条約の動きもある という この時。

 

 

 

  

 

 

◎ 湯川秀樹博士の日記、京大が公表 原爆研究に関わったことを示す記述も

 

湯川秀樹博士の日記、京大が公表 「F研究」の記述も

 

湯川秀樹博士(1907〜81)がつけていた日記のうち、太平洋戦争終戦前後の45年の内容を、京都大が21日、公表した。

 

原爆研究に関わったことを示す記述があるほか、戦後、戦争反対や核廃絶を訴えるまでの軌跡がうかがえ、貴重な資料だと専門家は指摘する。

 

 

 

湯川博士は「F研究」と呼ばれる京都帝国大での原爆研究に関わったことが知られている。

 

日記にも「F研究相談」「F研究 打合せ会」といった記述が45年2〜7月に計4回登場。

 

 

本人の記述はこれを裏付けている。「新聞等より広島の新型爆弾に関し原子爆弾の解説を求められたが断る」(8月7日)などと記している。

 

 

終戦後、「反省と沈思の日々」として沈黙を貫き、その後、核兵器廃絶や平和を訴えていく。

 

解読に取り組んだ慶応大の小沼通二(みちじ)名誉教授は記者会見で

 

「終戦直前、直後でさえ一貫して物理に取り組んでいた姿や、戦後、湯川博士が沈黙の期間に何をして誰に会ったのかが読み取れる。日本の価値観がひっくり返った時代の、日本を代表する科学者の日記の内容は貴重だ」と話した。

 

 

湯川博士の日記(研究室日記、研究室日誌など)は34〜49年と54年の存在が確認され、湯川博士が初代所長を務めた京大基礎物理学研究所に遺族が寄贈。

 

読みずらいことや専門的な内容を含むため、過去に内容が公表されたのは、ノーベル賞(49年)の受賞理由となった中間子論の研究がつづられた34年の分など一部にとどまる。(波多野陽)

 

 

http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/21/yukawahideki-diary_a_23313755/

 

 

 

☆ 理研と湯川秀樹が共同で 原爆を開発 → チッソが 北朝鮮で製造 

 

☆ ノーベル賞は 闇への 貢献賞

 

 

 

 

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