ニツポンのアヘン人脈とミャンマー

  • 2018.09.13 Thursday
  • 23:29

 

 

〇 日本赤十字からのDMの中身には、個人向け寄付金の「特定寄付金」と法人向けの「指定寄付金」という名のマネーロンダリングを斡旋する内容。


それにミャンマーの少数民族ロンギャ族を広告塔にした寄付金集め

 

 

ネットで検索すればトップに破綻寸前の国連の寄付募集が掲載。

 

皆んなヤラセよ。

 

 

https://twitter.com/CIAWilloughby/status/1022734582452445186

 

 

 

 

日本ミャンマー協会。

 

ミャンマーを借金漬けにして植民地とし、フライン軍司令官を操り、

 

黄金の三角地帯で大麻栽培、麻薬密造、密輸し、人身売買およびロヒンギャ族迫害を支援し、内乱を起こさせるべく戦争屋に加担する偽旗作戦を決行、

 

そこにトランプチームがメスを入れる。

 

 

https://twitter.com/CIAWilloughby/status/1034401487248449536

 

 

 

 

 

〇 加計学園加計孝太郎理事長と株式会社日本大学田中英壽理事長は、

 

NPO法人日本ミャンマー交流協会、日本ミャンマー医療人育成支援協会という衣を被って、

 

安倍昭恵首相夫人のライフワークとも言える大麻と芥子(アヘン)栽培に勤しむ訳。

 

暴力団も。もう暴露てんじゃん。

 

 

https://twitter.com/CIAWilloughby/status/1008939008913637377

 

 

 

 

 

〇 もう国連も壊れたしぶっちゃけると

 

戦中と同じ支配構造が日本の裏社会で生き続けている。

 

ヤクザと在日米軍は典型で、

 

皇軍閥、閨閥、財閥が政官財で独立行政法人と特殊法人に同族が群がり、

 

国民の税金、寄付金、賭博金を食い潰し、

 

海外ではミャンマーを隷属化。人身売買、麻薬・大麻密売が横行。

 

https://twitter.com/CIAWilloughby/status/1009183773529763840

 

 

 

関東大震災◆ .皀襯ンとニツポンの権力  皇室

  • 2018.09.08 Saturday
  • 23:31

 

 

本ブログでは何度も書いてきたが、

 

ルーズベルトが大統領に就任するとJPモルガンをはじめとするウォール街の勢力がクーデターを計画する。

 

スメドリー・バトラー海兵隊少将によると、1934年の夏に「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。

 


その訪問者はJPモルガンと関係が深く、いわばウォール街からの使者。

 

 

ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうとしていた。

 

 

彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、50万名規模の組織を編成して恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。

 


バトラーの知り合いだったジャーナリスト、ポール・フレンチはクーデター派を取材、

「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。

 

 


バトラーとフレンチは1934年にアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、

 

モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。

 

 

 

ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。

 

活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だったという。

 


バトラー少将は計画の内容を聞き出した上でクーデターへの参加を拒否、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げる。

 

 

ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろ、というわけである。

 


クーデター派の内部にはバトラーへ声をかけることに反対する人もいたようだが、この軍人は名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で、軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があった。

 

 


1935年にはニューディール派以上にウォール街を批判していたヒューイ・ロング上院議員が暗殺されている

 

 

彼は当初、ルーズベルト政権を支持していたが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。

 

ロングは純資産税を考えていたという。

 

ロングが大統領になることをウォール街が恐れたことは想像に難くない。

 

ロングが大統領になれなくても、ニューディール派の政策を庶民の側へ引っ張ることは明らかだった。

 


一方、日本ではウォール街とつながっていた人物が殺されている。

 

ひとりは1930年に銃撃されて翌年に死亡した浜口雄幸、

32年には血盟団が井上準之助と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も実行された。

団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった

 


1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、

 

自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。

 

大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。日本の皇室はウォール街と深く結びついていたとも言える。

 


グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。

 

松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。

 


1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、

 

翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

 

 


ルーズベルト政権と対立関係にあったJPモルガンは関東大震災から戦後に至るまで日本に大きな影響力を維持していた。

 

大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。(了)

 

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809020001/

 

 

 

 

地震で停電でした   地下核実験

  • 2018.09.07 Friday
  • 22:56

 

 

☆ 地震で 停電でした。

 

3選に向けて 生粋のヤクザなので ・・・  という感想です。

 

なにせ その裏には 天皇元首 という 今時 ありえない 思いがあるようです。

 

元首になってしまえば 戦争犯罪とか 原爆が日本製とか 原爆実験の罪を 一切 スルーできるということなのか。

 

用心に 小和田恒を迎えていますので 国際裁判で 負けないということなのでしょうか。

 

あるいは 金塊など 信じられない バラマキ用のモノは いっぱいあるので 

 

バレてきたことを アベさんによって 封じ込めるということだと 私は解釈しています。

 

 

早速 wantonさんに 

 

「地震前に 停電が起こった」という 現地報告があったようです。

 

 

 

 

〇 ロシア国防省で各国の核実験の監査に当たっているイゴーリ・トカレフ大佐が、ロシアのメディアで爆弾発言❗️

 

「東アジアの地震の多い某国は、数十年にわたり、地震を偽装した地下核実験を繰り返している。」

 

http://news.7654.com/a/2084687301218557014?TAG=3_52 …

http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-9084.html …

 

 

これまたデカい情報きたね!

 

 

 

 

https://twitter.com/_yanocchi0519/status/1018895556456796161

 

 

 

 

 

 

米国の海中核実験

 

 

 

ロシア国防省で各国の核実験の監査に当たっているイゴーリ・トカレフ大佐が、最近ロシアのメディアで爆弾発言をしたらしい。

 

 

彼は「東アジアの地震の多い某国は数十年にわたり、地震を偽装した地下核実験を繰り返している」と発言したというのだ(記 事)。

 

 

トカレフ大佐は名指しこそしていないものの、東アジアの地震多発国と言えば日本であることはすぐにわかる。

 

 

彼は続けて「気づかれていないとおもったら大間違いだ。ロシアはすでに証拠を握っている。おそらく他の国も気づいている」と指摘した。

 

 

彼によれば、

 

大気圏内核実験は禁止されているが、禁止条約を潜り抜けるために地震を偽装した地下核実験が実施されているという(記 事)。

 

 

また、核実験と気づかれないように偽装する手段は洗練されているものの、データを分析すれば核実験と特定することができるとのこと。

 

 

恐ろしい話だが、もしかして日本で発生しているのは人工地震というより、

 

地震を偽装した新型核兵器の実験と販促展示会なのカネ。

 

 

野崎晃市(43)

 

 

http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-9084.html

 

 

 

関東大震災  ウォール街

  • 2018.09.07 Friday
  • 22:52

 

 

☆ 関東大震災の後から ウォール街との関係が深くなったとは 櫻井ジャーナルさんの記事で 読んだことがありました。

 

おまけに カーチスルメイに勲章を与えているのですから 

 

もう これは 天皇一族の地位を確立するための 合作だと思っていました。

 

いつでも 原爆実験が 繰り返されて そして 天皇 同和の地位があがる という 日本における歴史と思います。

 

 

大英帝国のスクリパス事件のように 英国と日本の ディープステートは 神からみて 赦せない代物。

 

つまり 維新以後 偽ものたちは そのように 出世したのです。

 

役にたたなければ 闇サイドが 大切には してくれませんね。

 

 

 

 

〇 1923年9月1日に相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲った。

 

死者/行方不明者は10万5000人以上、その損害総額は55億円から100億円だという。当然のことながら金融機関もダメージを受けた。

 

 

そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引したのだが、

 

銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したため、手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。

 

 

しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。

 

 

そうした中、復興資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断し、森賢吾財務官が責任者に選ばれた。

 

 

交渉相手に選ばれた金融機関がアメリカのJPモルガン。

 

 

このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。

 

 

1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。

 

 

当時、JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。

 

 

その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。

 

 

日本に対して大きな影響力を持ったラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。

 

 

 

1899年から1902年にかけての南アフリカ戦争で世界の金を支配することにイギリスは成功、

 

金本位制を採用した国々の通貨を支配できる立場になった。

 

 

会社の成立経緯を見てもわかるように、JPモルガンはイギリスの巨大金融資本の影響下にあった金融機関だ。

 

 

金解禁(金本位制への復帰)の結果、

 

1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、

 

景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。

 

 

そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だとする考え方をする人物だった。

 

 

当然、失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。

 

 

こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。

 

 

その1932年にアメリカでは大統領選挙があり、巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破って当選する。

 

 

そのルーズベルトは大統領に就任する17日前、つまり1933年2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会で銃撃事件に巻き込まれた。

 

 

ジュゼッペ・ザンガラの撃った弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。

 

群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外したと考える人も少なくない。

 

 

次期大統領を狙っていた可能性があるわけで、背後関係などをきちんと捜査する必要があったのだが、

 

何も事情を聞き出せない、あるいは聞き出さないまま、ザンガラは3月20日に処刑されてしまった。(つづく)

 

 

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809020000/

 

 

 

 

☆ 明治国家や 地上の悪魔たちは

 

いつも 同じ計画で生きているので

 

関東大震災は なんのために あったのか 造られたのかが

 

想像することが できる気がします。

 

 

 

 

 

 

犯人はキエフ

  • 2018.09.07 Friday
  • 22:49

 

 

9.4  ウクライナ議員が公言 キエフ当局はドネツク指導者の暗殺関与を認めよ
 

 

ウクライナ議会のイーゴリ・モシーチュク議員はウクライナ政権に対し、

ドネツク人民共和国のリーダーのアレクサンドル・ザハルチェンコ氏暗殺の犯行声明を出すよう呼びかけた


モシーチュク議員のこの声明はウクライナのTV放送「112ウクライナ」で表されたもの。

モシーチュク議員は、ウクライナ政権はザハルチェンコ氏など自国の体制にとっての政敵を処罰する権利を十分に有していると公言し、

テレビ報道で「あれを抹殺したのはウクライナの特務部隊だ」と言い放った。


モシーチュク議員はザハルチェンコ氏暗殺を認めたがらないのはウクライナ政権が臆病だからだと指摘している。
 

 

またこの他にもモシーチュク議員は、

ザハルチェンコ氏暗殺未遂はウクライナ安全保障庁によって以前にも幾度も計画されていた事実を明かしている。


ドネツク人民共和国のリーダーのアレクサンドル・ザハルチェンコ氏は8月31日、ドネツク市の中心部にあるカフェの爆発テロで暗殺された。

逮捕されたテロ容疑者らは、キエフ当局が暗殺に関与していた事実を認めている。
 

 

これに対しウクライナ安全保障庁はテロ関与を否定し、独自の真相見解を発表した。

 

 

 

 

 



 

 

〇 ​アメリカ政府はキエフ政権に対する武器の供給を拡大し、海軍と空軍を強化する準備を進めている​という。


これはアメリカ政府のウクライナ担当特使、カート・ボルカーがイギリスのガーディアン紙に語っている。

 

脅しのつもりなのだろう。


この記事が掲載される前日、2018年8月31日にキエフ政権と対立しているドンバスの政権を率いるアレクサンダー・ザカルチェンコがレストランで暗殺されている。

内部に仕掛けられた爆弾によるもので、副首相も重傷を負ったという。


キエフ政権は現在、ペトロ・ポロシェンコが大統領を務めているが、実態はネオ・ナチの体制。


2014年2月22日にバラク・オバマ政権の支援を受けたネオ・ナチのグループはビクトル・ヤヌコビッチ大統領をクーデターで排除することに成功、それ以来のことだ。


ネオ・ナチのリーダー、アンドリー・パルビーはウクライナ社会国家党(後にスボボダ/自由へ改名)とウクライナ愛国者党を作り上げた人物で、2016年から国会の議長を務め、今年6月にはフランスとアメリカを訪問した。


アメリカの議会は親イスラエル派で有名だが、その議会はパルビーを歓待、下院議長のポール・ライアンなどと私的に会談している。

社会国家党はナチスの正式名称、国家社会主義ドイツ労働者党を連想させるので改めたと言われている。


アメリカ支配層はパルビーがネオ・ナチだという指摘に対し、ロシアのプロパガンダだと主張

それで押し切ろうとしてきたが、パルビーたちがステファン・バンデラの信奉者であり、

ナチが使っていたマークに似たマークを使用してきたことも秘密ではない。


ステファン・バンデラは1930年代後半から活動していた反ロシア派OUNのリーダーで、

この一派はイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーに雇われていた。
 


ウクライナがドイツに占領されていた時代、彼らは「汚い仕事」を引き受け、ユダヤ人90万名が行方不明になった出来事に関与していると言われている。

1941年以降、バンデラ派はドイツから資金を受け取り、その幹部だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入った。


その後、ウクライナの民族主義者が独立を宣言するとナチスの親衛隊は弾圧に乗り出し、バンデラたちも逮捕されるが、ザクセンハウゼンの強制収容所では特別待遇を受けている。

その間、レベジは拘束されていない。


1943年になるとバンデラ派はUPA(ウクライナ反乱軍)を編成、反ボルシェビキ戦線を設立した。

この組織は大戦後の1946年にABN(反ボルシェビキ国家連合)となり、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になる。


言うまでもなく、1991年はソ連が消滅した年だ。


こうした動きの背後にはCIAが存在していた。

ソ連消滅後、こうした人脈は旧ソ連圏へ入り、活動を始める。


こうした流れの中でパルビーたちも暗躍、2014年のクーデターを成功させた。

ウクライナのネオ・ナチへイスラエルが武器を提供していたことも判明している。


ところで、ウクライナの大統領を務めているペトロ・ポロシェンコは国立キエフ大学を卒業しているのだが、

そこで親しくなったひとりが2004年から13年にかけてジョージアの大統領を務めたミハイル・サーカシビリ


このサーカシビリは1994年にコロンビア・ロー・スクールで学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学ロー・スクールに通っている。

その後、ニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働き、そこでエドゥアルド・シェワルナゼの下で働いていた旧友に誘われて政界入りしたという。


2000年10月にサーカシビリはシェワルナゼ政権の司法大臣に就任するが、すぐに辞任し、01年10月にUNM(統一国民運動)を創設する。


2003年11月の議会選挙ではシェワルナゼの政党が勝利するのだが、サーカシビリは選挙に不正があったと主張、混乱がはじまる。


選挙前、ジョージアでは選挙の信頼度を上げるためだとして投票のコンピュータ化を進める。

そのための資金、150万ドルを提供したのはCIAの資金を扱っているUSAID。


アメリカ大使として2002年からジョージアにいたリチャード・マイルズはサーカシビリ支持の若者を扇動してシェワルナゼを辞任に追い込み、サーカシビリが実権を握る。

これが「バラ革命」だ。


ちなみに、マイルズはジョージアへ来る前、ユーゴスラビアで政権を転覆させている。
 

 

その後、ウクライナではビクトル・ヤヌコビッチを排除するため、2004年11月から05年1月にかけてオレンジ革命が実行されるが、その正体が西側の巨大資本とその手先による国民の富の略奪にすぎないことが判明、


2010年に再びヤヌコビッチが大統領に選ばれる。

そこで、今度はネオ・ナチを使ったクーデターを実行したわけだ。


しかし、ヤヌコビッチの支持基盤、つまりウクライナの東部や南部ではキエフのクーデター体制に対する反発は強く、迅速に動いたクリミアはウクライナから離脱することい成功、
 

 

ドンバスでは今も戦闘が続いている。

そのドンバスに対し、アメリカは軍事的に恫喝した。


ドンバスのリーダーを殺したのはキエフ政権だと推測する人は少なくない。


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809040000/

 

終わりのない悲しみ  終わりのない長い列

  • 2018.09.05 Wednesday
  • 23:22

 

 

 

 

 

 

 

 

ロシアのテレビ局Lifenewsによる情報によると、ザハルチェンコ氏は道路を横断する際に足に銃弾を受け負傷したとしている。

 

警備部隊はすぐに止血を行い、その後ザハルチェンコ氏は病院に送られたとのこと。

ニュースメディアobozrevatel.comによると、ザハルチェンコ氏の命に別状はなく、病院への移送中も意識を保っていたとのこと。


http://ukrainenow.net/zakharchenko/

 

 



アレクサンダー・ザハルチェンコの追悼式に並ぶドンバスの市民。終わりのない長い列、終わりのない悲しみ…


https://twitter.com/TamrikoT/status/1036139914692362240?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1036141934257950720%7Ctwgr%5E373939313b73706563696669635f73706f7274735f616374696f6e&ref_url=https%3A%2F%2Fshanti-phula.net%2Fja%2Fsocial%2Fblog%2F%3Fp%3D172800
 




「私も一緒に連れて行ってくれ」―ザハルチェンコの葬式で


https://twitter.com/SEEKINGTHETRU17/status/1036281347684425729?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1036512532414967809%7Ctwgr%5E373939313b73706563696669635f73706f7274735f616374696f6e&ref_url=https%3A%2F%2Fshanti-phula.net%2Fja%2Fsocial%2Fblog%2F%3Fp%3D172800

 

 




「ドネツク共和国代表ザハルチェンコ暗殺は、ミンスク合意の破壊を狙ったもの。

今やロシア・ドイツ・フランス・ウクライナのノルマン4か国で話し合う意味は皆無となった」―ロシア外相ラブロフ



https://twitter.com/trappedsoldier/status/1036104921404268544?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1036104921404268544%7Ctwgr%5E373939313b73706563696669635f73706f7274735f616374696f6e&ref_url=https%3A%2F%2Fshanti-phula.net%2Fja%2Fsocial%2Fblog%2F%3Fp%3D172800













 

 

 

 

 

偽天皇の血

 

これが 霊波動となって 国体となる という 恐ろしさ。

 

NWOは 人間から 良心を奪う

 



 

 

 

 

 

「私はエノラゲイは見ていない。 下から爆発したのではないか」

 

 

 

 

ドネツク人民共和国指導者  暗殺

  • 2018.09.02 Sunday
  • 23:17

 

 

9.1  ドネツク人民共和国の指導者、死亡 ドネツク中心のカフェの爆発で


ウクライナからの独立を宣言したドネツク人民共和国の指導者、アレクサンドル・ザハルチェンコ氏はカフェ「セパル」で起きた爆発の結果、亡くなった。ティモフェーエフ歳入相は負傷。


プーシキン大通りにあるカフェで爆発が起きた。

カフェはウクライナからの独立を宣言したドネツク人民共和国の指導者、アレクサンドル・ザハルチェンコ氏の邸宅の近くに位置する。

共和国の治安当局はザハロチェンコ指導者暗殺の容疑者を拘束した。ロシアメディアが治安当局筋の話を基に報じた。


当局筋によると、拘束されたのは複数のウクライナの破壊工作員と関係者。拘束された時、容疑者らはボフダン・フメリニツキー大通りにあった車中にいた。








☆ ウクライナは 私の原点になっています。

地球では 悪いものを 狂ったように 擁護する 仕組みがあり 正しいものを 十字架にかけるということを 肌身で知るステップでした。

そして

自分の国での 対応は まさに 後者でした。


そこから 自国 と 世界の構造を知っていくようになりました。


かなり感情が動く出来事で 夜中に急に なぜか 中島みゆきさんの 歌を 動画で聞いた。


「私のことで とどまらなくていい」 ・・・ そんな歌詞が 聞こえていた。
 

 

ザハルチェンコ氏の 肉体の死で 敗北ととどまる必要など ない。

 



9.1 ウクライナ大統領補佐官、同国情報機関のザハルチェンコ氏暗殺関与ほのめかす

ウクライナのユーリ・ビリュコフ大統領補佐官はFacebook(フェイスブック)で、ドネツク人民共和国の指導者、アレクサンドル・ザハルチェンコ氏暗殺にウクライナの諜報機関が関与している可能性を示唆する投稿をした。

ビリュコフ大統領補佐官はザハルチェンコ氏の暗殺に関する報道が出てから間もなくして、ウクライナ特殊作戦軍を指揮するイーゴリ・ルーネフ少将の写真を投稿し、「この写真に惚れ惚れする」と述べた。




 

 


ビリュコフ大統領補佐官はまた、この投稿はザハルチェンコ氏暗殺とは関連はないとのコメントを付している。

ウクライナ安全保障庁のエレーナ・ギトリャンスカヤ報道官は先に、ザハルチェンコ氏暗殺への同国政府の関与を否定している。

 

 



9.1  ドネツク人民共和国で爆発 ウクライナ側の破壊工作か


ドネツク人民共和国の指導者、アレクサンドル・ザハルチェンコ氏の暗殺容疑で拘束された容疑者らは、

今回のテロ行為はウクライナで周到に計画されたものであったことを明らかにした。

ドミトリー・トラペズニコフ臨時代理が記者団に伝えた。


トラペズニコフ臨時代理は、

「今のところ全ての国境は封鎖されている。複数の容疑者らがすでに拘束されている。容疑者らの供述から、拘束されたのはウクライナの破壊工作員であることが明らかになった」と述べた。


ドネツク人民共和国のプーシキン大通りにあるカフェで1日、爆発が起きた。爆発により11人の死傷者が出ている。

 

 





 

英米は1945年8月よりソ連との戦争を始めていた

  • 2018.08.17 Friday
  • 23:18

 

 

第2次世界大戦で日本が降伏したのは1945年9月2日のことだった。

 


その日、東京湾内に停泊していたアメリカの戦艦ミズーリで政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎が降伏文書に調印したのである。

 


8月15日には天皇の声明が日本人に対して発表された。玉音放送、あるいは終戦勅語と呼ばれているものだ。

 

その詔勅には

 


「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ、非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ、茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。朕ハ帝國政府ヲシテ、米英支蘇四國ニ對シ、其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨、通告セシメタリ。」(句読点は引用者)とある。

 


ポツダム宣言の受諾をアメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に伝えたと「臣民」に発表したのである。


宣言の受諾は8月9日の「御前会議」で決まり、翌日には連合国側へ打電している。

 

 

アメリカ、イギリス、中国、ソ連は連合国を構成しているメンバーだが、連携していたとは言いがたい。

 


アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領はソ連と手を組んでいるつもりだったかもしれないが、

アメリカを支配する巨大資本はファシストと近かった。

 

 


本ブログでは繰り返し書いているが、1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選すると、ウォール街の巨大金融機関はクーデターを企てている。

 


在郷軍人会を動員し、フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にして政権を乗っ取ろうとしたのだ。

 

 


こうした動きを知ったジャーナリストのポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という証言を得ている。

 

ウォール街の手下は議会にも存在、民主党の内部にもルーズベルト大統領のニューディール政策に反対する議員は少なくなかった。


そうした議員たちは「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。活動資金の出所は巨大企業や富豪だったという。

 


このクーデター計画を成功させるため、アメリカ軍の内部に大きな影響力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将に接近する。


計画の内容を聞き出した上でバトラーはカウンター・クーデターを宣言する。


50万人規模の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると少将は告げたという。

 


この計画をバトラーは1934年に議会で明らかにし、ウォール街はクーデターを断念するが、

その翌年、ひとりの上院議員が暗殺されている


富裕なエリートや銀行を批判、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、純資産税を主張していたヒューイ・ロングだ。

 


1941年6月にドイツ軍は主力310万人をソ連に向かって進軍させる。

 

バルバロッサ作戦だ。


この時、西部戦線に残ったドイツ軍は90万人にすぎない。

 


ドイツ軍の首脳は西部防衛のために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 


西側から攻められたなら、ドイツはひとたまりもない。が、攻撃されなかった。

 

 

 

当時、ルーズベルト大統領はソ連の支援に前向きだったが、反対は強かった。


ミズーリ州選出の上院議員だったハリー・トルーマンは、


「ドイツが勝ちそうに見えたならロシアを助け、ロシアが勝ちそうならドイツを助け、そうやって可能な限り彼らに殺させよう」と主張していた。

 

(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 


ソ連へ攻め込んだドイツ軍はスターリングラードでの戦いに敗れて1943年1月に降伏、ドイツの敗北は決定的になる。

 


それを見て慌てた米英両国は1943年5月にワシントンDCで会談、7月にアメリカ軍とイギリス軍はシチリア島に上陸した。


ハスキー計画だ。


9月にはイタリア本土を占領、イタリアは無条件降伏する。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。


1945年4月にルーズベルトは急死、5月に入るとドイツが降伏する。

 


ウィンストン・チャーチル首相の命令でJPS(合同作戦本部)がソ連に対する奇襲攻撃計画を作成したのは5月22日。アンシンカブル作戦だ。

 


7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第三次世界大戦」を始める想定になっていた。

 

ドイツの敗北が決定的になったころ、ウォール街の代理人でOSS(アメリカの戦時情報機関)の幹部だったアレン・ダレスたちはルーズベルト大統領に無断でナチスの幹部と新たな同盟についての話し合いを始めていた。

 

 

降伏後の日本でも、源田実など無謀な戦いを推進した軍の幹部、戦前から戦中にかけて思想弾圧を行った検察や特高警察の幹部、裁判官たち、そしてプロパガンダで国民を操ったマスコミの人間は責任を問われないまま要職についている。


日本国憲法は「象徴」という形で天皇制を維持した。国体は護持されたのである。

 

 

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201808150000/

 

 

 

 

 

JAL123  ◆  〆篷楸

  • 2018.08.14 Tuesday
  • 23:19

 

 

 

 

 

どうやら日本の武装公務員は、民から米軍を守るために存在しているようだ。


八・六・九原爆トリオの坂本九が乗った旅客機を

 

 

自衛隊機が撃墜したという噂も、民の風刺作品から米軍の原爆投下説を守る武力行使だったのか?@GeorgeBowWow


https://twitter.com/honest_kuroki/status/738490003433480193

 

 

 

 

 

「上を向いて歩こう」とタブーの音楽史‼:

 

Sukiyakiは、マルコムX率いる黒人公民権運動に伴う黒人音楽の台頭が日本人音楽家を後押ししたリリース。

 

Sukiyaki:  mine鉱山→鋤    roast  焼き

 

広島の日本ウラン爆発実験を風刺した歌です。

 

https://twitter.com/honest_kuroki/status/738636825539944448

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忌野清志郎 上を向いて歩こう 


https://youtu.be/D9qWl0RC8k4

 

 

https://ameblo.jp/ghostripon/entry-10616643002.html

 

 

 

 

 

JAL123  日本の核  米軍  本当は長野県での出来事だった 

  • 2018.08.14 Tuesday
  • 23:18

 

 

☆ 密かに 核開発をしていた (JAL123 で 核を運んでいた?)

 

米軍からの そのことに対する 拒否 (でも 米には 日本の核を推進するものもいるが)

 

なぜ 御巣鷹山と 変更されたのか?

 

 

 

 

16分7秒あたりから

 

〜核開発の中曽根首相を日航機御巣鷹山墜落で追込み脅し、米国の日本支配を強化!

 

 

 

 

 

 

 

 

JAL123   仝暁実験と酷似  日本を憎む明治日本

  • 2018.08.13 Monday
  • 23:13

 

 

【JAL123便墜落事故】 

 

 

国家機密を守るため、特殊部隊が編成され事故処理にあたった。

123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。

殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?

彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、

火炎放射器で生きたまま焼かれた。

待機命令に反し、人命救助に急いだ隊員は射殺された。

精神状態がおかしくなる隊員も少なくなかったという。

口外すれば家族にまで危害が及ぶと言う事を暗にほのめかされ・・

日航ジャンボ機JAL123便墜落事故(M氏の証言_完全版) 
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Pf3-eJgnOkM


2011/1/8

 

証言を箇条書き


・13日午前4時、公式発表ではまだ発見されていないはずの墜落現場に自衛隊員が既に100名程度は来ていた


・自衛隊員は人命救助よりも何かの回収を優先していた


・4〜50名の生存者の声が聞こえた


・1時間後には生存者の声が全く聞こえなくなった

 

 

(事故概略)

 

1985年8月12日 18時12分に羽田を大阪に向け離陸した日航123便(ボーイング747型ジャンボ機・乗員15人、乗客509人、計524人)は離陸してまもなく大島西方上空付近で機体の異常を訴え、数十分間ダッチロールと呼ばれる異常飛行の後、

 

18時56分すぎ、群馬県上野村の三国山の北北西約2.5キロメートル、標高1,565メートルの通称・御巣鷹の尾根に激突し炎上した。4名の重傷生存者と520名死亡の犠牲を出した。

 

 

このとき、横田基地所属のC−130機が墜落現場を発見し、座間基地所属の陸軍ヘリUH-1が救助活動のため現場に入ろうとしたが、どうした訳か(日本政府から協力を拒まれ?)、墜落現場の真上でロープ降下しようとしていた救助ヘリと上空で待機していたC−130を引き返させるという不可解な命令が出た。

 

 

 

米C−130は午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせている。

自衛隊は、当日から明け方まで墜落場所の誤報を意図的に繰り返していた。


朝になって長野県警のヘリが正確に位置を確認、
生存者を発見したのも長野県レスキュー隊。


自衛隊はそれまで何かを運び出すのに精一杯)だった。(意図的誤報についての引用元)

 

 

実際の事故機墜落現場は早くからわかっていたが、

訓練中の標的機(オレンジ色)が123便にぶつかった残骸の回収を優先

 

JAL123軍事破壊・軍事焼却の背景は中曽根康弘軍事指揮にあり
http://heiwarikkoku.jugem.jp/?day=20100601 より(抜粋引用)

 

 

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。


ナゾの自衛隊のチームの ナゾの10時間の行動。かれらは なにをしていたのか。

 

狭い空間に三人もいて高浜(機長)さんだけ木っ端微塵になったのはなぜですか 

 

コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。

 

 

当時 突然 垂直尾翼が大破し 不可解な「攻撃されているというSOS信号」が発信され(JAL123便の「スコーク77」の発信) 自衛隊機2機がスクランブル発信しました(自衛隊のマッチ・ポンプ?)。そのあと墜落までの数十分間 管制塔との交信がされていて レーダーでも捕捉されています。

 


そして 空中で ナゾの爆発が2回起こり(前後に付き添う2機の自衛隊機が目撃されています) とうとう 御巣鷹山に墜落。

 

 

「奇跡的四人の生存」の件だが、これは現場自衛隊員による、上官命令に逆らった「名誉ある反乱」の結果だろう。

 

 

実際の事故機墜落現場は早くからわかっており、地元民らは救出に向かおうとしていたのに、わざと違う事故現場を報道させ、また地元民らにも救出に向かうことを禁止した。

 

 

 

日本自衛隊・人命救助に急ぐ隊員を射殺! JAL123便墜落時には、「待機命令に反して御巣鷹山へ怪我人救助を急いだ自衛隊員1名が射殺された」旨、当日のNHKニュースで発表

 

 

これもまた鋭い資料だ!!!

2007年08月27日

 

 

●衝突6分前から気付いていた操縦クルー(EJ第1056号)

 JAL123便の操縦クルーは、謎の飛行物体にぶつかる少し前に気がついていたのではないかと思われるフシがあります。

 

 JAL123便が羽田空港を離陸したのは、午後6時12分のことです。そのまま順調に飛行を続け、水平飛行に移行した午後6時18分過ぎ、右側に富士山と江ノ島が見えます。

 

高度は、約3500メートル。富士山と眼下の相模湾が一望できる風光明媚な場所で、この場所を飛行するパイロットたちがホッと息をつく瞬間だそうです。

 

 

 そのとき、右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいてきたのです。あり得ないことであるだけに、操縦クルーに緊張がはしります。「危ない!衝突する!」

 

 

 それとほぼ同時に、座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)も、その飛行物体に気がつき、それをカメラに収めているのです。この写真は、JAL123便事件の謎を解く、唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ることになるのです。

 

(抜粋引用終了)

 

 

 

加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、

 

 事故当夜、現場の上空まで行っていた!!

 

 遭難者を救助する前に、

 

 自衛隊が「大事件」証拠物件を搬出するのを見届けに行ったのか?

 

http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2010/08/post_1819.html より(抜粋引用)

 

 

 

この"重大事件"を隠蔽しようと画策し、123便の横田基地への着陸を拒否し、2機の自衛隊機を発進させ、遠く御巣鷹(=地元)の尾根まで同機を誘導させた、その命令権者としての中曽根元総理は、当日、一体、何を考え、何を命令したのか?

 

 

2機の自衛隊機が、ミサイルで123便を撃墜したという説(池田昌昭氏)もある。

 

また、二つの原爆の様な「きのこ雲」が湧き立つのを見たという、多くの目撃証言もある。

 

 

さらには、墜落した123便の機体後部(尾翼付近)に、ミサイルAIM4(オレンジ色の機体)が突き刺さっていたという証言(佐宗邦皇氏の言)さえもある。

 

 

 実際、ご遺体の識別や鑑識に関わった医師や歯科医師が、「単なる墜落事故の遺体とは思えない」と語っているのを、われわれは、すでに聞いている。

 

 それゆえ、私は、正直に問いたい。

 

 

中曽根元総理、あなたは、あの日、防衛庁、とりわけ航空自衛隊に対して、一体、如何なる命令を下されたのか?!

 

 

 何故、あなたは、墜落後の乗客の早期救出を命じられなかったのか? 事実、墜落直後、数十名の生存者がいたというではないか。

 

 そればかりか、早期救出に向かおうとした数名の自衛隊員が、待機命令違反というだけで、なぜ、射殺されなければなかったのか?!

 

 

 加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、当日、あなたは、当時の中曽根総理から、一体、如何なる命令を受けられたのか?!

 

 

(中略)

 

 実は、この時、操縦桿を握っていた佐々木副操縦士こそ、少年の頃、私が、心から憧れていた先輩である。まさに、「事実は、小説よりも奇なり」である。

 

 佐々木先輩のご母堂は、彼の没後、私の母に、こう語られた。「息子は、戦死しました」と。

 

今、私には、この言葉の意味が、よく分かる。今日、そのお母様も、もう、この世におられない。

 『日航123便はなぜ墜落したのか 2010年8月9日』 --> こちら から引用

 

 

(抜粋引用終了)

 


 日航ジャンボ機墜落と横田基地

 

「1985年墜落救助のぶざま、元エアマン証言」

「日本は現場到着に12時間もかけた」

http://www004.upp.so-net.ne.jp/imaginenosekai/yokota-haijack.html

 

 

彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。

 

 

大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、

上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。

 

助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された 
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html より(抜粋引用)

 

 

 

最重要証拠となるボイスレコーダーには、数々の編集跡がみられる。

さらに大事な部分がカットされている模様だ。

 

日航機墜落の真実を求めて 
「1985年8月12日発生の日本航空123便墜落事故」はネット上でも真実が解き明かされ始めた
http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/

 


★★御巣鷹山日航ジャンボ機事件から23年目 特にボイスレコーダの編集疑惑や当時の加藤防衛庁長官の行動にも疑惑が。


最重要な証拠となるボイスレコーダーを一切公開しなかった。

 

10年ほど経ってから、その一部を公開したものの専門家の分析ではその音声には数々の編集跡がみられるとのこと、さらに大事な部分がカットされてる模様だ。


おそらく自衛隊機との交信部分をカットされてるんじゃないかという気がする。

 


・ジャンボ機のあとを、戦闘機みたいなのが2機追いかけていった(『疑惑/JAL123便墜落事故』早稲田出版刊の筆者:角田四郎氏)


・マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の 透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。―浦和市に住む住民の目撃証言


・飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。―長野県南相木村中島地区の住人3人

 

 

 

隊員の中には精神状態がおかしくなる者や、生存者をかくまったために 拘束されて送り返された者も少なくなかったそうだ。 

口外すれば家族にまで危害が 及ぶと言う事を暗にほのめかされ、自殺を考えた事も有ると

 

 

(抜粋引用終了)

 

 

123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。

 

殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?

 

彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、

 

火炎放射器で生きたまま焼かれた。

 

 

最低50人くらいの生存者が墜落現場にいた、指先が1本ちぎれただけの男の人もいた、と、まだ夜も明けやらぬ現場に駆けつけた若者は証言!生存者達も同様、墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言。

 

 

 

この墜落現場で「生き残った罪も無い乗客、乗務員にとどめを刺した者達」は恐らく国籍が日本では無い、と信じたい。

 

 

来るべき極東有事を演出するために特別訓練された、日本の自衛隊を偽装した部隊の可能性が高いのでは?

 

任務遂行のみに全神経を集中する訓練と共に、部隊を編成するに当たって「日本人を嫌悪する教育」を受けた者達が選ばれたのではないか?

 

 

 

尋常ならざる遺体の状況 参考ウェブサイト:http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0809.html 

 

 

当時、遺体の歯形で本人確認を行った大國勉氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)に、青山さん(元日航客室乗務員、青山透子氏)は何度もインタビューを試みている。

 

「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。…二度焼きしたような状況だ」。

 

http://livedoor.blogimg.jp/ijn9266/imgs/5/7/57b43bd1-s.jpg

 

 

 

日航ジャンボ機JAL123便墜落事故の真相を追っていた佐宗氏は、不審死

 

●ワールドフォーラム代表 佐宗邦皇氏

 

 2009年8月8日、日本航空123便の御巣鷹山に墜落した事件(1985年8月12日)の真相を追っていた佐宗氏は、ビデオの月例会で話している最中、ペットボトル「おーい!お茶500ml」を一口飲んだ、そのわずか30秒〜1分程で突然倒れ、翌日死去。

 

 

 https://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a1a847e042b50e4899e8cc57750e87d1

 

 

 

 

 

 

 

麻薬組織  vs  メキシコの壁

  • 2018.08.02 Thursday
  • 23:21

 

 

国境でメキシコの麻薬組織が中世の武器で麻薬をアメリカ側へ投げ入れようとし、見つかる

 

 

 

 

トランプさん、メキシコ国境の壁、もっと高く建てる必要があるのでは?という冗談はさておき。

 

 

アリゾナ州ダグラス付近にある国境のフェンスで、国境警備隊が逃げ出す人々を発見。

 

 

国土安全保障省の職員が調査を行ったところ、投石器(カタパルト、中世に武器として用いられていた)と、

 

2つの巨大な大麻のブロックを発見しました。

 

 

そう、このご時世に中世の武器で何をしようとしていたか、容易に想像できますね?

 

 

 

 

 

 

そうです。投石器でメキシコからアメリカの国境フェンスを越えて大麻を投げ入れ密輸が行われようとしていたのです。

 

 

メキシコ当局は投石器を押収。

 

 

それは溶接された四角いチューブに、重厚なバネ機構、そしてロープで綺麗に構築されていました。

 

アメリカ当局は47ポンド(約21キログラム)の大量の大麻を保管しています。

 

 

ちなみに、2011年にも同様に投石器を用いて大麻を密輸しようとして見つかる事件が発生しています。

 

 

アリゾナとメキシコの国境沿いで発見された投石器は、木のように背が高く、今回のものよりも目立っていました。

 

 

 

 

2011年、アメリカの州兵が、件の投石器をテストしているところ。

(image: US Customs and Border Protection)

 

 


アメリカ国境警備局の広報から提供された今回の投石器の写真を見ると、ちょうど壁の上に吊すことができそうなため、簡単に取り外して素早く移動できるように2011年のものより構造がブラッシュアップされているようですが、

 

結局目的は果たせずじまい。密輸できないまま、見つかっちゃいました。

 

 

本当に壁が建設されたら、投石器じゃ太刀打ちできなくなりそうですね。

 


https://www.gizmodo.jp/2017/02/catapult-smuggling-mexican-border.html

 

 

 

 

 

8.1 トランプ氏 メキシコとの国境に壁建設開始

 

 

 

 

 

 

 

偽天皇と戦争の歴史

  • 2018.07.30 Monday
  • 23:24

 

 

☆ あえて 私は 偽天皇と書きました。

 

すべての 王は NWOの支店長となったからです。

 

偽物でなかったなら 「私財」をため込むために 「政治や」や 「銀行」を 私物化しないでしょう。

 

 

 

◎ 何度でも繰り返し言いたい。

 

天皇など、千数百年前の一時期、西日本を武力統治(日本を建国したのではない)した豪族の親分の子孫「かも知れない」というだけの存在だ。

 

 

そして、天皇を温存することは、再び戦前戦中のような「天皇の政治利用」を許す危険性をも温存することになる。

 

 

先の大東亜戦争(アジア太平洋戦争)のような惨劇を二度と繰り返さぬため、

軍国化・全体主義化の一因となった「天皇の政治利用」が完全に不可能となるよう、天皇自体を廃絶してしまうべきだ。

 

特に最近、政治的に「戦前回帰」の傾向が強まり、「明治憲法」や「教育勅語」を復活させるべしとの主張が数多く見られるようになってきた。

よって天皇廃絶は急務だと言える。

 

 

天皇は、為政者にとって使い勝手の良い便利な道具なだけであり、一般民衆には、これまで何の恩恵ももたらさなかったし、今後ももたらすことは絶対ない。

 

 

よく当たり前のように言われる「日本の伝統・文化の根源は天皇だ」というのは、詳しく調べてみれば、実は全くの虚偽であることが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アッツ島の玉砕」の画像検索結果

 

 

 

 

 

サイパン島 横たわる 日本兵の死体

 

 

 

 

このまだ幼い面立ちの若者たちに、非情な特攻(自爆攻撃)を強制し犬死させた天皇を含む国家権力・軍部中枢は、

自己の責任を問うことは一切しなかった。

 

その代りに、特攻隊員の悲劇を感傷的美談に仕立て上げ、涙と共に讃えて責任をごまかした。

卑劣極まる。

 

その典型を「靖国神社」特にその付属戦史博物館「遊就館」に見ることができる。(2017.9.12追記)

 

 

 

https://ameblo.jp/hirai-h/image-12301601777-14005207558.html

 

 

 

 

沖縄戦の悲劇:

 

先の大戦で沖縄は、本土とは違い米軍の上陸を受け、随所で住民を巻き込んだ悲惨な状況が繰り広げられた。

 

学生や児童まで軍に協力させられ米兵と戦わされた。

 

宮城(今の皇居)の頑強な防空壕にいた人物には、とうてい分からない悲劇だろう。

 

沖縄が最後まで「裕仁」の訪問を拒否し続けたのは当然だ。(2017.9.11追記)

 

 

 

 

 

 

集団自決

 

 

 

 

広島  黒焦げの死体がころがる

 

 

https://ameblo.jp/hirai-h/entry-12301601777.html

 

 

 

 

☆ 偽天皇とその一派 下は ネトウヨまで・・・

 

この国は たんに 戦争やという 非人に 支配されていたのです。

 

 

自ら 責任も 痛みも 感じずに 詭弁と演技を 続ける ・・・

 

それは 今の 権力と 全く同じ血 ということが 分かります。

 

 

真実の 怒りを 忘れない そして

 

直視できること。

 

 

やつら ネトウヨ の 恐喝や 嘘に 負けずに 冷静に その 嘘を見抜ける 力が必要です。

 

 

さよならをして

 

そして

 

新しい世界の入り口に入るために。

 

 

 

 

 

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